能登半島地震は大変そうですよね。
最近よく2次避難も・・・なんてことをTVで言っていますが、ちょっと一言。
くにちゃんは東日本大震災の被災者ということはお話しましたよね。
これ体験談です。
前記したように、くにちゃんは震災後避難所指定されている最寄りの中学校には行かず、無事だった作業所で暮らしていました。
ですから行政にはたぶん避難者としての認識はされていなかったと思います。
当然救援物資の支給はありません。
まあ、くにちゃん自体アパートは当時よく言われた盛土にあるアパートに住んでいましたが、地割れを起こし、いつ崩れてもおかしくないので、その上の物件ということで全壊扱いの物件、当然「危険」シールが貼られていましたが、家自体には大きな損傷はないので、本当は良くないのですが、若干の家財道具と冷蔵庫の中の食材を出して作業所に持っていきましたから、生活にはそんなに苦労しませんでした。
幸い水道も使えましたし、ガスもプロパンで温水器が使えましたからね。
そのため救援物資や炊き出しを貰いにも行きませんでした。
ですから作業所で暮らしている当時はどちらかと言えばそんなに大変ではなかったんです。
ただ情報が入ってこないことは困りました。
ガソリンがどこのスタンドで入れられるようになるとかという情報も避難所では得られたらしいのですけどね。
ですから人と会うと話せる限り話をしながら情報を集めました。
そんな感じで避難生活をしていた矢先に兄から連絡が入り、新潟の実家に帰ることに。
これはある意味くにちゃんにとっては2次避難です。
まあ帰れる実家があるだけ幸いですけどね。
ただ新潟に帰ってからが大変です。
帰るときに区役所に移転届を出し、その時に行政の支援について聞くと
「借家の人には義援金関係の補助はありません。情報についても市HPで確認してください。」
と言われただけです。
実家に帰り、起業1年目のくにちゃんに資金的な余裕はなし。
ただ実家でぼーっともできませんから、事業継続を断念し、就職先を探してハローワークへ。
最初は単純に就職先を探して話を聞きましたが、年齢の関係でなかなか紹介してもらえる仕事がありません。
言いたくなかったのですが避難者である旨をいいました。
それでも避難者に対しての紹介もやっていないんですよ。と。
結局約1か月間に10数社の試験を受け、当然全滅。
もっと言えば大半は履歴書を送るだけ。
合ってくれたのは3社だけ。
それもハローワークとの関係であっただけ。採用するつもりはないときっぱり。
TVなどで言われる他の行政機関での避難者支援というのは実際あると思いますが、万全ではありません。
ましてや避難先の人においても、中には理解の無い人もいます。
ある知人に、くにちゃんは三男なのですが、お盆過ぎ暗いからでしょうか?
実家に来るたびに「おまえ、早く家でなさいよ。ここは長兄の家なんだから。」と言われました。
幸いにも引っ越し当初、借家に対して災害義援金が出なかったものが支給されることになっていたので、くにちゃんも申請を行いました。その義援金が頂けることになったので、その義援金をもとに長岡市に引っ越したのです。
元々職人の父ですので、実家には作業スペースもあります。
就職活動中に仙台のお客さんからのお声掛けが無かったら今はありません。
そのお声掛けをもとに事業を再開させたのです。
幸い廃業届は出していませんでしたからね。
そのお声掛けをもとに新潟での営業活動を再開し、実際実家の作業スペースで作業もしていたのです。
ですからくにちゃん的にはもう少し実家で暮らし、義援金だけでなくもう少し資金的余裕ができてから引っ越そうと考えていたのです。
くにちゃんにだって実家は自分のものでないことくらいわかりますからね。
ただ避難して数か月でそれを言われるのかな。
ですからみなさん、被災することの大変さを理解してください。
TVでの情報はほんの一部です。
生活を再開できているなどの報道もありますが、そんなのは稀です。
なにもできずにいる人も多いはずです。
避難の声を聴いてください。
被災したくにちゃんにも正しい支援の仕方はわかりません。
でも、好き好んで避難している人は一人もいないことをわかってください。
ただ無理な支援、間違った支援はしないでくださいね。
あとはここぞとばかりの犯罪は絶対やめてください!!