婚姻の変遷 | YUKIの部屋

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 現在は性に対して寛容な社会であるが、報道規制は厳しい。性に対する考え方はさまざまな変遷を経てきているため、調べてみました。

 

婚姻

 

 日本では平安中期までは貴族の間では妻問婚が一般的でした。ここで言及したのは日本列島という意味よりも倭国と言うべきかもしれません。また、国境がない時代であるため、周辺地域でもさまざまな結婚様式が存在しました。戦前までは本妻以外に女性を養うことは男の甲斐性とされていました。この風潮は戦後も残りました。一夫一婦制が定着したのは最近のことです。

妻問婚ですから、財産などは女性が受け継いでいただろうと思います。今の形態とは当然違いますし、少し前の長子男子相続が定着したのもそれほど古くないかもしれません。

 

 

 

明治政府は、これまでの伝統を変えたことが分かります。古来からそう考えられていたのか、明治政府によって創り出されたり、統一されたりしたのか、検証することが必要です。

民間では、地域によって風習が異なっており、『お国』という言葉が故郷を指すなど、日本という国が国家として一般的に認識されるようになったのは、明治政府からだと思います。それまでは、国と言う概念は知識人の概念であったのではと思います。

約10年前に私はブータンを訪れましたが、ブータン人は典型的な日本人に似ていると感じました。30代後半のブータン人の通訳は、誤って彼の彼女ではなく、彼女の母親のもとに行ってしまったと恥ずかしそうに話していました。それから推測すると、ブータンでは2000年頃にはまだ夜這いという風習が存在していたのでしょう。今も残っている かも知れません。また、民家の壁には男性器・女性器を描いた絵が大きく書かれていました。おそらく、それは豊穣の象徴だったのでしょう。

男根信仰は日本にもあり今でもご神体が男根である所は各地に残っています。

 

 

YouTuberで、名古屋大学の教授でありエジプト考古学者でもある河江氏がエジプト神話を解説しています。その解説は非常に興味深く、私は楽しみながら視聴しています。河江氏は、エジプトにおいても男根が豊穣の象徴として神話の中で統合されていった可能性があるのではないかと指摘しています。

正史は文献の検証ですが、残っている文献は支配者の歴史で、自分に都合のいいように書いてあります。

庶民の歴史は随分違っています。