第176回コヘレトの言葉 8章 聖書通読

【期間】2024/10/1

【聖書箇所と感想】

コヘレトの言葉 8

1「人の知恵は顔に光を添え、固い顔も和らげる。」賢者のように、この言葉の解釈ができるのは誰か。 

2それは、わたしだ。すなわち、王の言葉を守れ、神に対する誓いと同様に。 

3気短に王の前を立ち去ろうとするな。不快なことに固執するな。王は望むままにふるまうのだから。 

4王の言った言葉が支配する。だれも彼に指図することはできない。 

5命令に従っていれば、不快な目に遭うことはない。賢者はふさわしい時ということを心得ている。 

6何事にもふさわしい時があるものだ。人間には災難のふりかかることが多いが、 

7何事が起こるかを知ることはできない。どのように起こるかも、誰が教えてくれようか。

8人は霊を支配できない。霊を押しとどめることはできない。死の日を支配することもできない。戦争を免れる者もない。悪は悪を行う者を逃れさせはしない。

9わたしはこのようなことを見極め、太陽の下に起こるすべてのことを、熱心に考えた。今は、人間が人間を支配して苦しみをもたらすような時だ。

→神を畏れない王や、王のように振る舞う人はたくさんいる。彼らとの関係にも時がある。福音を伝えるのも、諦めて立ち去るのも、迫害に立ち向かうのも、主の導きに従うことが必要。


10だから、わたしは悪人が葬儀をしてもらうのも、聖なる場所に出入りするのも、また、正しいことをした人が町で忘れ去られているのも見る。これまた、空しい。

11悪事に対する条令が速やかに実施されないので 人は大胆に悪事をはたらく。

12罪を犯し百度も悪事をはたらいている者が

なお、長生きしている。にもかかわらず、わたしには分かっている。神を畏れる人は、畏れるからこそ幸福になり

13悪人は神を畏れないから、長生きできず

影のようなもので、決して幸福にはなれない。

14この地上には空しいことが起こる。善人でありながら 悪人の業の報いを受ける者があり 悪人でありながら 善人の業の報いを受ける者がある。これまた空しいと、わたしは言う。

→悪への裁きは必ずしもすぐに起こらない。しかし、神が見過ごしていると思ってはいけず、主は忍耐されているのかもしれない。善にも悪にも主の報いがあることを忘れてはいけない。イエス・キリストの贖いに感謝。


15それゆえ、わたしは快楽をたたえる。太陽の下、人間にとって 飲み食いし、楽しむ以上の幸福はない。それは、太陽の下、神が彼に与える人生の 日々の労苦に添えられたものなのだ。

→飲食などの快楽は人間にとって幸福。自分の日々の労苦に対しては、快楽でねぎらってよい。それは神が私たちに与えられたもの。贅沢は良くないが、過度にストイックにならなくて良い。イエス・キリストも弟子たちや人々と食事をしたり、ワインを飲んだりしていた。


16わたしは知恵を深めてこの地上に起こることを見極めようと心を尽くし、昼も夜も眠らずに努め、 

17神のすべての業を観察した。まことに、太陽の下に起こるすべてのことを悟ることは、人間にはできない。人間がどんなに労苦し追求しても、悟ることはできず、賢者がそれを知ったと言おうとも、彼も悟ってはいない。

→驚くような世の原理が解明されたかのように話す人がいるが、ソロモンの知恵でも、被造物のすべてを理解するにはほど遠い。まして神のすべてを理解できる人はいない。聖書の言葉を手がかりに、神について学び続け、感謝して神の喜びとなりたい。