治療生活の中でとてもとても大切だったことの一つは、
「きょうだい」のことでした。
入院は母親の私が24時間付き添いが必要だったので、
上のきょうだいは夫と家で3人暮らし。
年が離れてるとはいえ、まだ小学校2年と4年の幼なかったふたりは、
夏休みに急に弟と母が不在になってしまったことで、
学校に行けず家に引きこもるようになりました。
WiFiをレンタルして病室と家をスマホ画面越しで繋ぎ、
自宅で一緒にいるかように会話して。
個室にいた間は特に、起きて「おはようー!」から、「ご飯美味しい?」も、
ずっと繋いだままで生活。
それでも、当然寂しさを埋められる訳はなく、
泣き叫びながら深夜に電話がかかってきたり、
残された家族が精神的に辛い様子が伝わってきます。
『死にたい。辛い。
もうどうなってもいい。』
そんな悲痛なきょうだいの叫びが、胸に刺さる。
いますぐ家に飛んで帰って抱きしめたい。
でも出来ない。
夫も仕事と家事に、週末は病院の私達を支える日々で必死にやってくれている、
もう家族皆が限界まで頑張っていました。
「笑顔なんて望まない。
みんなが生きているだけでそれだけで十分。
そのままのあなたが何よりも大切。
どうかほんの少しでも
ほっと安心したひとときがありますように。」
そう祈っていました。
そんな状況を救ってくれたのは、家の外のきょうだい達の居場所でした。
仲間が送迎を手伝ってくれたおかげで、辞めずに続けられた習い事のフラも。
学校に行けなくてもそこには友達や仲間がいて、いつもの自分自身で居られる場所。
時には晩御飯をそっと持たせてくれたり、心を寄せてくれる友達のことも、
私に嬉しそうに教えてくれました。
祖父母や妹家族も遊びに連れ出してくれたし、
病院スタッフさん達はきょうだい児の為だけのお楽しみ会を催してくれて、
積極的にきょうだいのふたりを大切にしてくれました。
すれ違いに声をかけてくれるご近所さんや、お店で挨拶を交わす人の存在も。
『こんにちは。元気?』何気ない会話でも、
彼女たちにはあたたかな環境を感じるに充分でした。
家族の他に、いくつもの居場所があったおかげで、
学校という居場所が無い時でも、
ふたりは自分らしく居られることが出来たのだと思っています。
親だけではサポート出来ないと一度は諦めた大きな舞台の出演も、
仲間に頼って助けてもらい叶いました。
病院から外出許可をもらって、笑顔で踊るふたりの姿を見れた時の
まおの嬉しそうな顔といったら!
もう最幸でした。
大好きなきょうだいの存在が
回復の大きな力でした。
画面越しでも、治療の合間で会えた時でも、
いつでも全力で遊んで抱きしめて、まお君を笑顔いっぱいにしてくれるふたり。
小さなきょうだいは、ずっと弟が治って帰ってくるのを待っていてくれました。
治療期間中、一度もまおを責める言葉を言わなかったし、
ずっとずっと「大好きだよ」と、
応援者でいてくれた。
(きっと本当は責めたくなる時もあっただろうし、
帰ってからはもちろんそんな言葉も聞けるようになりました。)
本人達の優しさももちろんですが、
きょうだい達が『自分は大切にされている。』と感じられる居場所が
幾つもあったからこそ、そう思っています。
改めて、周りで支えてくれた方々に心から感謝しています。
その後の、きょうだいさんたち。
転校も、不登校も、色々経験していくことになりますが、
親の私から見ても、強く優しく育ってくれています。
その後はまた、改めて書いていきたいと思います😊