嗚呼よかったーつ(^o^)



まあでも周りは

あほ

アホ

阿呆

ばっかりだったということですこれは←





うっしゃ!こっからだーつ(^o^)
死にそう~



まあ周りがどれだけ

あほ

アホ

阿呆

なのかが
一番大きなポイントとなっておりますので(^o^)





祈願をします

しますがどうしようもない
今更な話ですが
五木ひろしさんの『契り』は大変な名曲だと思います

サビの音の運びがやばくだいすきです

あとラストに向かっての盛り上がり具合も







今日テレビを観てて改めて実感



生で聴いたら泣きそう
今日というか今本当は家にいる予定じゃなかったのに




















自分のここ最近の激しい現実逃避を今更後悔しています



後悔って一番よくない
きみは将来結婚できますよ



と言われた

根拠はどこにあるのか

そしてわたしは結婚はしない
というかできないと思っていたので複雑な心境です

まあそれが確実という確実な証拠があるわけでもないが


でもその人にとってわたしが
将来結婚しそうに見えたのは確実であり
それはあたかもわたしがそうなるのを望んでいるかのような
そんな言い方で言われた



一般的に
女の最高の幸せは
結婚
だということなのだろうか

でもだからといって誰もがそれを望むとは限らない



逆にそうやって男つまり他人に頼らないと
生きていけないように
見えたんだろうか

そうだとしたら悲しい

人に頼らないと生きていけないなんて


だから
玉の輿
とか
有り得ない

他人が形成した資本に頼って生きるなんて
人としてどうなんだろうか

まあそんな話はわたしには無縁だろうが










とりあえずわたしは今やることをやるのです
これを今更新するのには何等かの過程を経て今に至ったからです





八日の日に熱が出ました



何故か

注射に緊張したのか
でも前回は全然そんなことなかったからおそらく違い

だいぶな冬靴下をはいているからか
でもそれで体温が上がるなら冬苦労することはないはずであり





一体それは何なのだろうかと
考えていますが思い当たるのはやはり
最近体の真ん中にある何かがもやもやとしていることだけであり
まあそれが最近の日々の生活を楽しくも悲しくもしているわけでありますが

それが今日のこの熱に繋がったというならそのもやもやはこれまでの
わたしには無い最大の出来事(=もやもや)になるはずでそれは
大変な過ちであり現在の生活においては
どうすることもできない
というかそれが
そのもやもやは以前過ちではなくてわたしを支配するのを
少ない程度に抑えてそれで
それは一旦消え去ったわけで
安心して他人についてなんやかんや助言をしていたが
また以前もやもやができたきっかけと同じ事態または
さらに一段階上がったところにいるというのに
もやもやが消えないどころか再び登場してきたのは
どういうことなんだろう


どういうことなんだろう


でも誰かにいうこともできないですでも
自分でどうにかすることもできないというつまり

わたしは鶏なんですね


というか
どうにかていうのは何なんだろう
もやもやの対象からこちらに何か働きかけてくることはおそらくないから
自分からいくしかないのか

いってどうする

この
もやもや

もやもや
じゃなくて
正式な
きれいな
かたちのものに
なるのかと
いうと
それは
大変
難しい
ことであり
何故かというと
きれいなかたちのものに
なっている人が
まあ近くに
いるという
ことを
わたしは
知って
いる
から


.



これについてわたしは
どうすることもできない

他人の心中を操作
できるんなら
ロボットなんて
要らない
はずだから




















明日になってほしくもあるしなってほしくなくもある
人に気を遣われていることに気付いてしまったときほど何とも言えないときはない
と思う



だいたい気を遣うということ自体が煩わしい

気を遣うという行為がなかったら
私たちの日常生活の煩わしさの七割はなくなるんじゃないかと
思われるほどです



今日もそういうことがありました
気を遣ってくれてた人が心から優しい人だったから特別に
怒りを覚えることはなかったが
そうでなかった場合のことを考えると恐ろしすぎて眠れない










しかしそれは
バスの中で音楽を聴いていて
信号でバスが止まって
アイドリングストップで
エンジンがきれてしまって
自分が聴いている音楽が
周りにきこえているのではないか
と思ってしまうこととは
種を全く異にする
各人のかっこいいの基準とはいかなるタイミングで決定されるのか



やはりわたしも一応は高校生の女子なんで
あの人かっこいいだのあの人おしゃれだのと話をします

でもそれはやはり各個人の好みによるものでありまして
巷で付き合っている男女からしたらわたし達は第三者でありそれでしかないわけで
その人らについてあーだこーだ言うことは許されていないというかそんな資格なんてない

と思っているにも関わらず言ってしまう
わたしはなんて未熟な人間なんだ
とつくづく感じます

憲法で言論の自由が保障されてるから罰せられるということはないだろうけど
なんとなく心の奥底でぐつぐついう何かが
残ることは間違いなくて
それはもしかすると何らかの方法で法的に罪を償うより
深くしぶといものであるかもしれない
だって刑務所に入ったら自分の行動を省みることができるし

だから下手に言論の自由、とか、どうなのか、とか思うけど
やっぱりそれがないとわたし達の生活は大変なことになるわけで

なんやかんやで負担は人間の心
にかかるわけです



今日わたしはとてもきゅんとくるような人を見かけましたが
普段自分がタイプ、といわれるようなもの、と言っている人とは
だいぶ違ったわけでそんなんが
今まで何回あっただろうかだから
タイプ、といわれるようなもの、なんてないと
そういう議論を展開する人が今までいなかったわけでもなくてでも
みんなどんな人がすきとか持論を展開しているのです
かっこつけている人がいる





そういう人はだいたい自分の何かしらに自信があるのだろう
または好きなのだろう



かっこつける
というのは良いことなのか良くないことつまり悪いことなのか


この事柄に関しては良し悪しを判断するのでなく、正誤を判断すべきであると思います

というか、正しくかっこつけている人はつまり自然にかっこよいということだと思う
そして、誤ってかっこつけている人はただの勘違いにすぎないのだと思う

これを誰が判断するのかはわからない、というかこれは個人によって考えが異なってよいものであると思うしだからといってどうというわけでもない



かっこつけている感じがしてかつかっこよい人といえば
断然、早乙女さんだと思う
当然、自分の演技の技術に自信を持ってもよいはずであろうし

なんといってもあの声です、ボイトレとかの成果なんでしょうか
少なからずもともよかったのでしょう

わたしはああいう声の人が近くにいたら、と思います



天才は99%の努力と1%のひらめきだという人がいるようです

でもやはりもとからの性質も何かしらの関係なきにしもあらずだと思う

そういう人にとって世界はどんな風に見えているのか
非常に興味深いものがあります





天才と呼ばれる人と話をしてみたいです



その人の前いったらたぶんへらへらしてしまうでしょうけど
何週間か前にうった内容を携帯電話に留めたままだった
これが今発されるのはきっと何か所以があるのだろうと思いますので、今





反対言葉とは何なのか



たとえば
めっちゃ好き、の反対は何か
ちょっと好き、か、めっちゃ嫌い、か、ちょっと嫌い、か

昔、数学でそういうのがあった
それでいったら確か、ちょっと嫌い、になるはず
(めっちゃの反対のちょっと+好きの反対の嫌い)

でもよく考えたらおかしいと思う

ふつう、を基準(0)にして、めっちゃ好き、を5としたら
めっちゃ好きの反対は、基準から負の向きに5、で-5、になるから、めっちゃ嫌い、になります



でも反対がはっきりしてるのもあって、例えば
明るいの反対は暗いとか
高いの反対は低いとか
赤の反対色は緑(確か)とか

あと自分的に犬と対応するのは猫だし
コロッケと対応するのはメンチカツだし

対応するというかたちなら名詞にさえあるんです


反対と対応がどのような関係性で結びついているのか、も藪の中ですが





そもそも好き、の反対が嫌い、なのかさえわからない