第二章 パリー8
瀕死のカルチャーを救ったのは、フランスの大衆ライター、シルバーマッチの社長ロベール・オットである。
1969年三月、オットは高級ライターに進出する際、「腐っても鯛」のカルチャーの名前を買い取った。
そして、その販売をジャン・ドロンに一任した。
ジャン・ドロンは当時を振り返り、こう語る。
「ボスはこの私にカルチャーの名前とライター、シャンゼリゼ近くの小さな事務所、秘書一人、それに
二万フランの資金をよこし、さああとは任せるぞと言って引っ込んでしまった。
もちろん、どうやってよいのか始めは呆然とした」
三年後にカルチャーのライターは世界の一流品としてよみがえり、デュポン、ダンヒルと肩を並べるに至る。
成功物語を地でいくようであるが、その秘密はカルチャーが腐ったとはいえ「鯛」だったことにある。
これを一流の料理人ドロンが、持ち前の仕事熱心さで発展させる。
独特の卵型デザイン、徹底した高級品志向、フランチャイズ方式で巧みに味付けし、
「これこそ世界の一流人が持つ最高の品」とかたりかけたことが、成功につながった。
商標、社名ともなっているマストは英語のMUST、これは「一流人ならカルチャーの製品を持たねば
ならない」という含みを持つ、広告マンとし ても卓越した人材である。
第二章 パリー7
二代目のアルフレッドはアクセサリーだけでなく、インクスタンドやマッチ箱、クシなどの小物も作り始め、
洗練された趣味と卓越した技術でその名を高めた。
十九世紀から二十世紀へかけてのカルチャーは、アルフレッドの長男、天才肌の芸術家ルイが土台を
作った。
ひらめきと新しいものえの感覚に秀でたルイは、婦人用の美しい時計を発案する。
ルイは小さな時計ひとつのデザインにも、完璧で美しく、オリジナリティがあることを要求した。
カルチャー最初の腕時計サントス。戦場の勇士たちに贈られたタンク。
これらの逸品は、二十一世紀においても、永遠のベストセラーとして、変わらぬ輝きを放つ。
ルイがパリで名声を欲しいままにしている一方、次男ピエール、三男ジャックは、それぞれ
ニューヨーク、ロンドンに進出する。
名品カルチャーの名が、世界中の人々の胸に深く刻みこまれた。
時は移り、ついに「名のみが残る」状態に陥る。
二度の世界大戦で、カルチャーの顧客が地上から消えたのである。
第二章 パリー6
もう一度、十九世紀の中期から二十世紀にかけて、フランス・ブランドの歴史をさかのぼってみる。
カルチャー社の歴史である。このカルチャー社こそ、二十一世紀において、イル・バトングループと
業界最後の覇権をかけて競い合う最大のグループの中心的存在になる会社である。
カルチャーには、ベットに身を横たえた老婦人の趣が漂う。
1847年、ルイ・カルチャーが創立した「王家御用達宝石商」のカルチャーは、かってはパリ、ロンドン、
ニューヨークに店を構え、世界の高級宝石商として名声を欲しいままにしていた。
ソワレ(夜宴)が華やかなりしころ、パリの社交界が一堂に会するソワレで、貴婦人たちの胸元を飾り、
さん然と輝く。
ひときわ衆目を集めたのが、カルチャーの宝飾品であった。
イル・バトンの顧客ナポレオン三世の従妹、パリ社交界の女王と呼ばれたマチルド公爵夫人の耳にも
届く。
彼女はカルチャーの店に赴き、ひと目で気に入ってしまう。
マチルド婦人の影響力のもと、カルチャーは一躍有名になり、ナポレオン三世王后ユージーヌからの
御用達までとりつける。
こうしてカルチャーはには、貴族や皇族んど上流社 会の人々が足しげく訪れるようになった。
第二章 パリー5
「ところで、提案があるのだが」
「何でしょうか、アラン」
「まえまえから考えていたのだが」
「じらさないで、早くいってください」
「実は、イル・バトンもこれからは天然革の素材だけでなく、化学製品の素材でカバンを
作ろうと思っている」
「合成繊維の素材ですか」
「その通りだ」
「イル・バトンのイメージと違いますね」
「なんとなく安っぽいなあ」
「価格も大衆品並みになりそうですね」
「いろいろな意見があるだろうが、自分が考えているのは、今までの天然物と同じ品質の製品
なのだ」
「天然素材と同じものが手に入るということですか」
「その通り。しかも、確実に」
「それは、何処で」
「デュパン。アメリカのデュパンだ」
「デュパン?」
一同は、沈黙した。
第二章 パリー4
一瞬の沈黙があった。
財務部長が、おもむろに口を開いた。
「素材の在庫が、約三年分あるわけだから、三年をめどに事業を続けよう。
その間、うちのブランドをイタリアの老舗に高く売りつけようや」
参加者全員の意見を聞いた後、アラン・ベルモント四世は結論をだした。
「皆の意見はわかった。
一年以内に代替品を探す。
二年目には、この素材を生産ラインにのせることを約束する。
現在、ゾウの素材は三年分はあるはずだから、事業は続けよう。
この新素材のプロジェクトが少々遅れても問題はない。
素材確保のために、密猟品は絶対に買ってはならない。
信頼がうしなわれては、ブランド価値はゼロになる」
アランには勝算があった。
創業時代からふかい関係にあるアメリカの化学会社デュパンとよりを戻すことだった。
あのナイロンを、より強固にし、イル・バトンのカバンを再生させることだった。
第二章 パリー3
会議の内容は、事業の継続か、会社清算かの重苦しいものだった。
各担当者の言い分を要約すると次のようになる。実際は、会議はだらだらと一日中続いた。
パリ本店店長がまず口火をきって会議は始まった。
「私は事業の継続を主張します。
その理由は、顧客がヨーロッパかにアメリカに広がる見込みがあるからです。
将来は、日本を中心として、アジアに顧客を増やすことができます。
アフリカは広い。ゾウの密猟も可能だろうし、素材集めは、モロッコ工場のハッサンがうまくやるでしょう」
続いて、営業のマネジャーも同じような趣旨の発言をした。
「私も、当面、事業の継続を主張します。なぜなら、素材がモロッコ工場からマルセイユ港に毎日運ばれて
おり、あらたな素材も第三者経由で、コッソリと密猟品が手に入る。
今後、三年ぐらいは、事業は持ちたえることができると思います。
この間に、ゾウの革に代わる新しい素材の開発をすればよいと考えます」
これらの発言に同意するかのように、製造主任もこう述べた。
「私も、事業継続を主張します。それにしても、代替品の自社開発は不可能なのではないか。
化学分野の新興国アメリカに目を向けてみてはどうかな。良い素材が見つかるかもしれないと
思うのだが」
研究開発と担当者は、これらの発言に反発するかのように、
「事業中止を主張します。異業種に進出してはどうでしょうか。
理由は明白です。資源の枯渇により、ゾウのむ革は将来、入手不可能になるでしょう」
第二章 パリー2
七月一日。革命記念日を二週間後にひかえたマロニエの香りが芳しい。
パリはのどかな雰囲気をかもし出していた。
1950年八月二十五日に、パリがドイツ軍の占領から解放されて六年ほどたっていた時、戦後初めての
イル・バトン社で経営会議が開かれた。
しかし、四年間のドイツ軍の占領は、パリの人々に暗い影を落としており、その記憶が薄れるには、
まだまだ月日が必要だった。
イル・バトンの工房には、数人の従業員しかおらず、カバンの生産が再開されたのは、ほんの三年目
の春であった。
顧客は駐留アメリカ軍将校の夫人連中が主だった。
生産が止まっている間でも、アラン四世はイル・バトンの工房には毎日出かけて行ったが、なによりの
関心は、今後フランスが政治的にも経済的にもどんな道を歩んでいくかということだった。
戦後のイル・バトン社の経営に関する重大な決定を早急にしなければならないとアラン四世は考えて
いた。
1950年代初めのフランスは、他のヨーロッパ諸国と同様に「輝かしい三十年間」にさしかかっており、
フランス人の旅行熱も高まり、カバン業界も大成長が見込まれていたのである。
第二章 パリー1
パリ、バンドーム広場。その広場の真ん中に鉄の塊でできた鉄塔がある。
この鉄の素材はナポレオンが1805年のアウステルリッツの戦いでロシア・オーストリア連合軍を
徹底的に撃破した時、フランス軍が凱旋記念に持ち帰った敵軍の大砲の筒を溶かしたものだといわれている。
それは、ナポレオンの皇帝戴冠式が行われた1804年十二月二日からちょうど一年たっていた。
この歴史に残る輝かしい勝利が、ナポレオン没落の遠因となった。
アラン四世は、バンドーム広場を見下ろすホテル・リッツの二階にあるイル・バトン本社の窓から、
この鉄塔を眺めながら、ふと呟いた。
「度をすぎた勝ち戦ほど危険なものはない。第二次世界大戦の原因は、第一次大戦後、ベルサイユ条約
でドイツに過酷な賠償金を課したからではないか」
第一章 モロッコー26
注記:ゾウについての知識ー続き
2005年現在における密猟の実態はどうなっているのだろうか。
あるジャーナリストが、密猟の実態を取材する為、カメルーンとコンゴ共和国の国境地帯を訪れた。
密猟者と同行すること八日間、ハンターは二頭のマルミゾウを仕留めた。収穫は四キロの象牙だが、
ハンターが手にした報酬は四十三ユーロ。約六千円にすぎない。
マルミゾウからとれる硬質の象牙は、印鑑や楽器の素材として需要が多い。
象牙の末端価格は幾らになるのだろうか。計り知れない。この現実があるかぎり、密猟は後を絶たない。
仕留められたゾウの肉は、その場でいぶして食料にするが、ゾウの皮はその場に捨てられる。
捨てられた皮は、現地の人達が丁寧にナメシて、秘密のルートでモロッコに送られる。
何日かかって、モロッコのマランケシュにつくのか、その地での売買価格は誰にもわからないし、
ましてや、それが何に使われるのかはまったくわからない。
1989年のワシントン会議でアフリカゾウの国際取引が全面禁止され、急激な減少はとまったが、
一方では、密猟が激化したという報告もある。
2004年十月二日からタイのバンコックで開かれたワシントン条約締結国の予備会合では、アフリカと
アジアの一部の国々が象牙取引の解禁を求めた。
一方、自然保護活動家らは、マルミゾウをはじめとする数種類のゾウを絶滅に追い込みかねないとして、
強く解禁に反対している。
第一章 モロッコー25
注記:ゾウについての知識
アフリカのサハラ以南に生息するアフリカゾウは陸上で最大の動物である。
南・東南アジアに生息するアジアゾウは森林に棲み、アフリカゾウよりも体が少し小さく、
頭や鼻などの体の特徴も違う。
ゾウは、農地開発などで生息地を奪われると同時に、象牙目的で乱獲されてきた。
アフリカゾウについては、特に1970年代後半、各地で組織化、大規模化した密猟が急増した結果、
1980年代のたった十年間だけでも約百三十万頭から六十万頭へと激変したといわれている。
その間、印鑑の原材料などとして最も象牙を輸入したのが日本だった。
現在でも密猟が続き、その頭数は約五十万頭が現存していると推定される。
一方のアジアゾウも四万頭程度しか生息しておらず、継続して絶滅のおそれがある。