ブルーの「書自由也」ブログ -147ページ目

「三体千字文」 小野鵞堂(がどう)書より

書風について
手本の三体千字文は、皆さんに筆づかいや形のとり方の要領を学んでもらうために書いたものですから、これを基礎として、将来自分独自のものを書くという目標を必ずもってもらいたい。
下の古典作品は、ともに書聖の手本になるもので、ここに例示した「」という字でも、書く人によって、
暖かいい春風を感じさせるものや、厳しく寒い北風を表しているものもあります。
このように独自の感じを「書風」という。
この書風のもとになっているのは線質で、線質はそれにふさわしい字形を要求し、同時に字形によって文字の並べ方も変わってくるのです。
ところで、この線質と字形は、どちらが先かといえば、線質が根本であって、それに書く人の個性や好みに大きく左右され、そこからその人の書風が生れてくるのです。
例示した「風」とい字の書風を理解し研習することが、書道上達のポイントとなるのです。
「三体千字文」 小野鵞堂(がどう)書 P206より


ブルーのブログ-小野鵞堂(がどう)書風
なるほど、です 
書を勉強するのは、自分独自の書風を身につけること



百歳万歳4月号に

百歳万歳4月号に 1月号の行書課題が、2回目の佳作として掲載されました。
賞品はありませんが、応募総数232点から選ばれたのは、うれしいものです。




一気に千字文

今日は、朝6時起床し、挑戦、午後4時に完了
金園社の三体千字文 井上千圃書 を手本としました。
今回は、先月から3回目であり、カナ用の紙、筆を変えて、一気に書き上げようとの意気込みでした。
これが普通なのでしょうが、飽きっぽい私には、何とか達成しました。

ブルーのブログ-千字文3回目


雪 の行書を「五体字類」で調べてみたら 

 の行書を「五体字類」で調べてみたら なんとこれが \(゜□゜)/ !!
現在の雪の字は、省略されているというのがわかりました。


ブルーのブログ-雨冠 雪

ここの雲という字はなかなか、芸術的ですネ



青 という字を楷書で書くポイントは

という字のバランスをという字を楷書で書き練習すると
月の左の縦線は、ほぼ真っすぐです.....これが難しい
青というか月を使う文字は沢山あります
精、静、晴、靖、錆、情、請、瀞、靜 etc

ブルーのブログ-青
中心を気をつけて、練習に縦線を注意して書いてみると
ブルーのブログ




松本芳翠の「楷書基本帳」を

先輩より、松本芳翠の「楷書基本帳」(昭和29年1月1日発行100円)をお借りできたので書いてみました。
特に「」の字にほれました。

ブルーのブログ-松本芳翠

ブルーのブログ-楷書基本帖

松本芳翠 (まつもと ほうすい、1893年 - 1971年 )は日本の書家。
愛媛県伯方島生まれ。本名:松本英一。
1910年(明治43年)明治薬学校(現明治薬科大学)卒。
1921年(大正10年)「書海社」を設立し、 競書誌「書海」を発行。
同11年平和記念東京博覧会で、一等賞金牌受賞。
1948年(昭和23年)日展審査員。
との紹介である


九條武子の和歌を

九條武子(くじょうたけこ  1887(明治20)年~1928(昭和4)年)  の和歌 
「そらあをし やまのいてゆの よきあさを またうぐいすの こえのあかるさ」
を二通りの書き方で
ブルーのブログ-九條武子句2  ブルーのブログ-九條武子句1




 

「山躑躅」この字は 

山躑躅」この字読めませんでした。
花は、知っていて、普段使うのですが、漢字で書くと書けませんし、読めませんネ。




千字文を3日間で

吉丸竹軒書の千字文を3日間で書き上げました。
二度書きしたり、抜かしたり...大変でした。
しかし、これでは全紙へ書くのはおぼつかない物ですネ
何か、良い方法はないものでしょうか
ブルーのブログ-千文字


吉丸竹軒書「三体千字文」序文より



吉丸竹軒 書『三体千字文』の序文 より
書法における用筆法と結構法は車の両輪である。 筆者は長い学書の体験の中で
 1.用筆の基礎は執筆にある。
 2.用筆は結構に先行する。   と考えてきた。
 テニスにおいて、球を確実に打ちかえすことが出さなくて、敵の虚を衝くなどいうことはできないであろう。そして、ラケットの操作は主として持ち方にかかっている。学書においても執筆法の研究の重要な所以である。
 「執筆法に定法なし」といって単鈎法、双鈎法等の一般的方法を述べても、筆者自身の執筆法を明示し、何故
この執筆法をとるかを説かない著述が多い。筆者はこれを不満とし、本書を揮毫するに当ってとった方法を明示
した。
ブルーのブログ-吉丸竹軒執筆法
  用筆法とは、多数の獣毛で構成されている筆の開・閉・捻・屈の性能を生かして、点画を描き、これに活気と筆力を充満させ、霊力あるものとすることをいう。この点画によって文字は書としてよみがえる。これには基本点画の練習が必要である。練ることによって冴えと輝きをもつ。習うとは、くりかえすこと、まねることの二つの字義をもつ。
 用筆法は基本点画に習熟することが肝要で、これは終生習い深めるべきものである。 各体の基本点画を細かく掲出して、凡ゆる場合に対応でぎるよう配慮したのもこのためである。

次いで少字数精習による練熟をはかることである。
結構法は字形と組み立ての研究である。そして頭脳でなく筋肉が覚える習い方を実行すべきである。
筆者は体験上、結構については
 1.測ることによる発見的学書法
 2.記憶につとめる学書法
 3.多字数学習による結構力の拡充  をすすめたい。
 自分の理想とする書については、その結体結構を定規、物指等によって測定して、結構の要点と妙所を発見し
これを自己に貯蔵することである。
 学書は一面記憶学習である。書くとは記憶している分だけが心頭に浮び筆先に表出されるものだからである。
次いで、書いた経験の少ない又は書いたことのない字は形がとりにくい。千字文は千字の異った文字をもっているので、多字数学習による揮毫力拡充のため、古来多くの先人が習ってきたものである。今日の時代からはいささか、異義もあるがこれに代るものとてない。学書毛にとって千字文学習の意義は充分にあるとしなければならない。
 本書の文字は大字ではないが、大字として、また細字として習うことはその活用度を高めることになろう。
 本書の書風は、温健中正にして書品を失わぬことを期した。ほぼ正統な基礎作りが出来るものと信じる。いか
に個性的なものとして書作の上に発展させるかは、かかって学書者の側にある。
用筆はくりかえして深く習い、自在に書けることにあるが、少数の文字に止っていては書の振幅が狭いことになる。書の領域を広くするためには、更に多くの文字揮牽の経験が必要である。更に碑版古法帖にわたれぽ書域は一層広くなるであろう。本書はその前階としての意義に立つ。
 芸術家であるかないかは兎も角として、世には名人といわれる技術者がある。名人とは、技術と人との幸福な関係をつかんでいる人をいう。筆とる者は名人の域をあこがれるのも自然のことである。いってみれば、みな名人になる道を歩んでいるのである。生涯かけて名人への道を歩んでいるのである。
そして古来の書法書論は、凡て上達速成法を説いていないものはない。効果的学書法は万人の希うところである。それをいかに体得し、いかに実行するか、名人というのも、努力究明のいかんにかかっている。名人と称されないとしても、一点一画、発見の累積悟得の積み上げによる外はない。本書は、体験三省、書の悟得への一端を示唆するにすぎないものである。
 山に登らんとするものは先ず登れ、という。本書の反復学習を怠らないなら、揮毫力向上のめあては、充分達せられるものと信ずる。筆とる人に幸あれと祈って序とする。