長文になるので、2回に分けて書かせて頂きます。
2025年3月22日から23日までの2日間、特定非営利活動法人 日本ホスピタル・クラウン協会大棟さんが企画運営する能登半島支援のイベントに日本商店会の仲間3名と一緒に参加させて頂きました。
(大棟さん達は21日から3会場をまわられていました。)
ホスピタルクラウンさんは、日本商店会の会員でもあります。
我々以外にも、ボランティアで参加してくれている方々がいらっしゃいました。
名古屋の成城中学校の音楽部の生徒さんと先生。
全国各地からボランティアで集結してきてくれる大棟さんの道化師仲間たち。
パンのかんづめで有名な株式会社パン・アキモトさんなど、全国の大棟さんファンも集結。
地元においては、金沢のまいもん寿司さんが23日から炊き出し支援に。
ここからは時系列に書いていきます。
3/21(金)、羽田から、能登空港に行きました。
1日に2本、直行便があります。
午後にZOOM会議が2本+事務仕事あったので、レンタカーを受け取ったあと、空港から徒歩30秒のコワーキング施設「NOTOMORI」へ。
復旧復興を目的として、誰にでも無料開放されているので、ありがたかったです。
あちこちで打ち合わせをされている方が何人もいらっしゃいました。
そして、ランチや夕方の時間帯には、飲食店がオープン。
コーヒーを販売されている方にお話を伺うと、個人店はお休みなく営業されていて、そこが課題とのこと。
そこで見つけた3/21北国新聞の一面は、「土砂堆積250万立方メートル」
奥能登豪雨からちょうど半年。大雨に伴い、下流部で被害拡大の恐れあり。
さらにその隣にあったチラシに、「今、行ける能登はココ!」がありました。
WEBでも展開されていたので共有します。
https://www.hot-ishikawa.jp/notofukko/index.html?utm_source=qrcode&utm_medium=flyer&utm_campaign=imaikerunoto_r7jan
観光で行くことが応援になるので、ぜひシェアなど拡散いただければとおもいます。
夕方、日本商店会メンバーの荒木さんと合流し、復興に携わる人だけ泊まれる旅館へ。
翌朝から活動開始。
7時半に珠洲市にある見附公園に集合。
そこには見附島という、観光スポットがあり、景色がとても良かったです。
ちょうど、木の後ろ側がその島なのですが、
このサイトにあるような石畳はなく、地震による影響で島自体の形が崩れてしまっていました。
ユーチューブを調べると、昨年ニュースにもなっていました。
大棟さんからの朝礼、各員紹介のあと、2トン車から、物資やテントなどを出すところからスタート。
まずは、テントを組み立てます。
なんと、2名でもこのテントをつくれるということですが、なかなかのハードワークです。
皆さん、慣れている方も多く、2時間くらいで出来上がり!
テントが出来て、物資も仕分け完了。
日本商店会他、沢山の方々からの支援のお陰で、100個のお土産ができました。
日本商店会からは、
サーカスが終わったら、これを配布するための準備でした。
ここで一時休憩。
大棟さんたちは、ここからお着換えタイム。
私と荒木さんは、大棟さんに教えて頂いたので、海岸沿いの被害が大きい地域の周りに車で向かってみることにしました。
地震からは1年以上も経ちますが、現実は厳しい。
余りにも解体や土木作業がキャパに対して多すぎる。
こんな感じで、街のあちこちで電線は傾いている。
まだまだ、沿岸地域はこんな感じで、家がある。
中には、新しい建物を作っていたり、作業をする人も見えたりしました。
車もそこに残っていました。記憶を残すためか。。。処分する余裕がないのか。。。
そして、、、日本商店会の古川さん、馬場さんも合流し、サーカススタート!
風が少し強い状況でしたので心配でしたが、沢山の人が来て下さり、皆さん、盛り上がりました。
最後は、記念撮影。
これは想い出づくりになりますね。
子供達嬉しそうでした。
支援品の数々を来場の皆さまに配り、お昼過ぎに終了。
次の日の会場設営のため、輪島市にある町野小学校へ。
途中、お腹が空いたので道の駅すずなりで昼食、、、と思いきや、
団体さんの予約がはいっていて飲食店は満席。
コンビニかなにかあるでしょ!ということでソフトクリームを買って、移動。
集合時間まで2時間あったので、余裕をかましていたところ、、、コンビニは全くないわ、道に迷うわ!
どこだどこだ、と迷い込んだところが、なんと看板がちゃんと置いていなくて、誤って禁止区域に入っていた・・・
これは、まともにいったら、大事故になるところでした。
あわてて引き返し、Googleマップを見ながら運転しているのに、まさかの通行止め。
がれきの山が道をふさいでいました。
なかなか、出てこれませんでしたが、ようやくなんとか輪島市の海沿いに出ると、今度はこちらも被害甚大。
がけ崩れなどで、車が通れない場所も数々ありました。
ここらへんでがれき撤去などの作業をされている方々は、命がけだなと。
何年かかるのか。
どうなっていくのか。
途方にくれます。
長くなりましたので、一旦、ここで区切って、あらためて後半部分を書きたいと思います。