介護スタッフ養成講座でのビジネスマナーの授業を担当しています。
先日、ある受講生の方から
「次の授業では電話応対を教えてください。」とリクエストをいただきました。
施設での実習が2週間後に始まるそうなのですが、その前に施設に電話して事前に挨拶に行かれるそうです。
その電話のかけ方がよくわからない、どのように伝えればいいのか悩んでいるとのことでした。

もちろんカリキュラムの中に電話応対も組み込んでいましたので喜んでお受けしました。

さて、授業当日。
リクエストしてくださった受講生の方は万全の準備です。
レポート用紙に場面1と場面2を想定してセリフを記入、「実際にロールプレイをしてみるので改善すべき点を教えてください。」とおっしゃいます。

そして「前回の授業で先生が、第一印象が大切です。と言われたので、まず電話での第一印象をいいものにしておきたいと思いました。」と言ってくださいました。
その方の言葉に、他の受講生の方も賛同し、終始、意欲あふれる雰囲気で授業が進み、あっという間に終了時間を迎えました。

目の前に苦手なことや悩むことがあっても、逃げたりせず、より良い成果を出すために、できることをする。
わからないことは率直に相談する。
相談する時は、自分なりの考えを用意しておく。

大切なことをたくさん見せていただいたうれしいリクエストでした。

公共サービス業の若手職員研修に行きました。

「今日の研修で、何を学びたいですか?」と、みなさんに問いかけ

一人一人発表してもらいました。


まじめな顔で、

「嘘のつき方を習いたいです。」と一人の男性職員がおっしゃいました。


おっっ・・・きたぞ。きたぞ。

それまで学生として生活をしてきて、4月から社会人となり働き始めて半年。

誠実な方ほど、表現は違えど、この力をつけたいとおっしゃいます。


きっと、とても素敵なご両親に育てられ、

ご自身も勉強にスポーツに努力をし、お友達も沢山いるだろうなぁと思われる

彼の真剣な顔を見ていると

「この半年、苦労したんだな。頑張ってきたんだな。」と

愛おしくてなりませんでした。


窓口に高齢のお客様がいらっしゃった。

自分が応対していると、あきらかに業務上無理な要求をされた。

自分の仕事は、誠実に正確に公平にするものだ。と信じているので

「申し訳ありませんが、できないんです。本当に申し訳ないです。」と

心から申し訳ないという気持ちを込めて、優しく言った。


どんどん、相手が機嫌が悪くなり、「それくらい良いではないか。」

と詰め寄られ、でも、「本当にそうして差し上げたいのですが、これはどうしようもないのです。

ご理解ください。」と一生懸命説明をした。


すると、上司がそっと近づいてきて

「○○さん。本当に申し訳ないですね。お気持ちはよくわかりました。

本当に、おっしゃるとおりです。長いこと説明をしてくださってありがとうございます。

暑い中お越しくださって・・・こちらからお宅に伺えば良かったですね。ご足労をおかけしました。

なんとか○○さんのご希望に添えるように、こちらでも検討させて頂きましょう。

ただ・・・・ただ・・・今年の状態では、無理だと思うんです。あぁぁ。どうしようかなぁ・・・

検討致しますが・・・来年以降、もしも、もしも!規則が変わったらなんとかなるでしょうが・・・」

と、その高齢者の方に言ったら、なんとそのお客様は

「そうですか。まぁ、あなたがそういうんなら・・わかりました。

あきらめましょう。来年以降に期待するよ。」

と帰られた。


すぐに、その上司に、「ありがとうございます。では、この件の対応を検討しましょう。」というと

「え?なんで?解決したじゃん。機嫌良く帰られたからもう良いでしょ。

検討したって、無理なものは無理だしね。」という返事。


「え?検討しますって・・・嘘?それって、正しいの?無理でも、「検討する」と言ったのなら

検討するべきなのではないのだろうか。」


彼の事例を聴きながら、その場の若手の方々は真剣に「うん。うん」とうなずく。


ニコニコしているのは、私と、すでに長年社会人経験があり、転職してきた「新人さん」たち。


それでは!と

この事例をテーマにグループワークをしてもらいました。

グループでみんなの考えをシェアしあい、最初は小さかった声が

どんどん白熱して大きくなるのがわかります。

各グループには、社会人経験者が一人は入っていらっしゃいます。

新社会人のみなさん、社会人経験者の考えを食い入るような目をして聴いていました。

私も会場内を回りながら、聞こえてくるその言葉の数々に

うなずくことばかりでした。


ワークを終えて、代表の方に発表してもらいました。

「ごまかしのための、「嘘」

自分が有利になるための「嘘」は、ただの「嘘」。絶対についてはいけない。

だが、相手の気持ちを楽にするため

相手の立場を守るため、お互いがわかりあうための調整のための「嘘」は

「おもいやり」になる。」

まとめると、こういう意見となりました。


当初の研修の目的発表で

「嘘のつきかたを学びたい」と言った彼に

休憩時間に

「ねぇ。嘘のつきかた、学べた?」

と聞いてみました。


やっぱり、誠実そうな顔で

「今まで自分が貫いてきた「嘘をつかない」という価値観と

違う視点で物事を見ないといけないとよくわかりました。」と言ってくださいました。


「それ本心?嘘ついていない?」と微笑んで聴いてみました。


すると、顔をくしゃくしゃにして満面の笑顔。


「はい。あんまり自分がこだわりすぎると先生が困ると思って

嘘、つきました。

あれ?僕、嘘つきますねぇ。」


彼のあまりの素直さに、まわりにいた人たちが大爆笑。


その素直さがあれば、あなたが相手を思うが故に

口に出す言葉は、もしかしたら「嘘」かもしれないけれど

相手は、「ありがとう。私のことを思ってのことですね。」と

感じてくださいます。


こういう「人」を社会人のプロに育てて行くことこそ、

私たちの使命だ。と感じた一日でした。



長男がまだ幼稚園のころ、習い事をしていました。

送迎でいつも一緒になるのは、

お孫さんの送迎をしているとても上品な女性です。

息子さんとその奥様もお医者さまだから忙しくて、おばあさまであるその女性が

お孫さんの習い事の送迎をしているとのこと。


その教室の発表会が10月の日曜日に実施されることになり

保護者のお手伝いの割り振りがありました。


私は、そのころイベントの仕事がもっとも忙しい時期で

土日は、到底休めない状態でしたので、保護者のみなさんに

「私はその日仕事なので、主人がお手伝いをします。

力仕事なら主人にお任せください!」と言いました。


すると、その女性が大きな声で

「え?お母さんは土日にお仕事なの?」とおっしゃいました。

私は普通に

「はい!私が仕事なので主人が来ます。よろしくお願いします。」と言うと


「お母さんが、お休みの日におうちにいない家の子は、

『ちゃんとした子』に育ちませんよ。あなたは、それでも良いのですか?」

と、はっきりおっしゃいました。


その場にいた誰も何も言わなかったので、私も、

にこっと笑って、そうですよねぇ・・・まぁ、うちにはうちの事情もありますしぃぃと小声で言い

他の方が、話をお手伝いの割り振りに戻したので

そのままになりました。


その日から、私は土日の仕事のたびにその女性の言葉に悩まされることになりました。


私は、仕事があるという理由のために、

子どもと休日の時間を一緒に過ごさなくても良いのだろうか。

私の仕事は、「今」やることなのだろうか。

子どもが大きくなってからでも良いのではないだろうか。

私がやりたいことをすることで、子どもが「ちゃんと」育たなかったらどうしよう。


仕事に出かける前。仕事が終わって自宅へ帰る途中。

この言葉が頭を駆けめぐりました。


仕事をしているときは、集中していて、思い出すことはないけれど

終わったとたんに思い出すのです。

「ちゃんとした子ども」に育たなかったら私のせいだ。

今日も仕事ですごい達成感を感じることが出来た。

お客様も喜んでくださった。

でも・・・「ちゃんとした子ども」に息子が育たなかったら何にもならないではないか。


帰るたび、気持ちが沈んでいる私を自宅で迎えてくれるのは

「おかえりぃ」という息子の満面の笑顔。

「今日、おとうさんと、維新公園に行った。びしょびしょになったけど、おもしろかった。」という

嬉しそうな報告。

そして、主人が作ってくれている晩ご飯。


帰宅して、彼らの様子を見ると

「なんだ。ちゃんとしているじゃん。うちの子。ちゃんとしているよ。めちゃ、可愛いじゃん!」

「私が仕事で頑張った何よりのご褒美は旦那の手作りご飯じゃん!」と

帰り道が嘘のように、幸せな気持ちになりました。


でも、また、週末仕事に出かける途中。終わってからの帰り道。

「ちゃんとした子」というフレーズが頭をよぎることの連続でした。


息子ふたりがずいぶん大きくなり、

親バカだと思いつつ、「ちゃんとしているなぁ」と思える年にまで育った今、思うこと。


もしかしたら、母親が土日家にいるべきだと言った女性の考える

「ちゃんと」と、私が今息子たちに思う「ちゃんと」は違うかもしれません。


この「ちゃんと」こそが、子育ての価値観。

子育てをした時代とのジェネレーションギャップ。


あの時、時間をとってその女性と会話を交わしていたら

私は子育ての真っ最中に混乱しなかったと思います。


「ちゃんと」ってどういうことなのですか?と聞いていたら

「挨拶ができること」だとか

「家族の絆を感じる心」だとか、


その女性の考えを知ることができたのでしょう。


そうすると、我が家のやりかた、考え方を伝えることができて

「そうなの。それなら、安心ね。お宅もちゃんとした子に育つわね。」

とお墨付きをもらえたのかもしれません。


そうは言いつつ、その女性の一言のおかげで

私は、自分が仕事をすることの意味をしっかりと考えることができました。

また、自分がやりたいことをさせてもらうからこそ、

家族に感謝をしようと強く思うこともできました。


子どもが「ちゃん」とする前に、親である自分が「ちゃんと」しよう。

と思って過ごすことが出来ました。


それこそが、子育ての大先輩からのアドバイスだったように、今、思えます。











娘の通う学校で親子ヨガ教育がありました。
ヨガでは最初と最後に目を閉じ、胸の前で両手を合わせ瞑想します。
最初の瞑想では何も考えず、ゆっくりとした呼吸で気持ちを静めます。
最後の瞑想では、自分の体や心の変化に気付く事が大切だそうです。
私も
「なんだか体が軽くなったような気がする。」
「そういえば最近運動不足だなあ~。」
という気づきがありました。

ヨガの先生が、
「お母さんは子どもの変化にはすぐに気づく事ができるのですが、自分の変化にはなかなか気づけないようです。日々、目の前の事や家族の事に一生懸命で、自分の事は後回しにしがちです。自分の変化にも気づく事ができるといいですね。」とおっしゃいました。

私も大きい変化には気づく事ができても、小さな変化は気にもとめていなかった事に「気づき」ました。
でも、物事は常に変化しています。
マイナスの変化であれば小さいうちに気づく事により、早く対処できます。
プラスの変化であれば、小さなことでも気づく事により喜びが増えます。
これからは意識して小さな変化を見つけていこうと思いました。

そういえば、娘はほんの少し前まで学校で私を見つけると嬉しそうに手を振っていたのに、最近はなんだか素っ気ない態度です。
ちょっぴり寂しいけれどこれも成長という変化なのかもしれませんね。

主人が職場の同僚の方の披露宴に招待頂き、出席しました。

それはそれは、温かい雰囲気が流れる披露宴で、

帰ってきてから、延々と

「今日は、ほんとに良い一日だ。披露宴は良いねぇ。いやぁ。良い。」

と繰り返していました。



お料理も美味しくて。

人前結婚式も幸せそうで。

出席者のみなさんも、新郎新婦のお人柄がわかるような良い方ばかりで。


本当に、その場にいるだけで「楽しい」と実感したようです。


あまりの嬉しそうな顔に、こちらまで幸せな気分になりました。

本当に、新郎新婦・ご両家ご両親様の気配りのなせる技だと思います。



実は。

主人は、かれこれ10年近く披露宴には出席していませんでした。

私はブライダル業界に長年いろいろな形で関わらせていただいているので

今の主流が、今の披露宴。




実は、披露宴に出かける前の主人と私の会話はちぐはぐ。でした。



私「ねぇ。何時から披露宴?」

主人「えっと、挙式・披露宴って、一緒に書いてある・・・挙式が30分くらいあるから、

    書いてある30分後に行けばいいんかなぁ。」

私「いやいや。挙式って書いてあるなら、人前結婚式だろうから、その時間にいかんといけんやろ。」

主人「え?親族でもないのに挙式でるの?」



私「晩ご飯は、何にする?お昼、ご馳走だから、あっさりしたものにしようか。」

主人「俺は、きっと、結婚式の折り詰めを持って帰るからそれでええよ。」

私「あの・・・今時、折り詰め持ち帰り、完全不可だから。無いと思うよ。」

主人「え?そうなの?」



主人「そういえば、今回仲人は誰がするんやろうか。おい。俺ら、まだ一度も仲人しちょらんよなぁ。」

私「きっと・・・このまましないままで、一生終わると思うけど・・・」

主人「え?なんで?」

私「一年のうち、仲人さんがいる披露宴は1回あるか無いか。今は仲人はいないよ。」




私にとっては、普通のことが、

「昭和」の披露宴のイメージが強い人にとって、こんなにも違和感のあるものなんだと知りました。



人は変わる。

時代も変わる。

しきたりも変わる。



お互いの生きてきた時代の中で作り上げられた「こだわり」を

お互いに調整し、譲り合い、「折り合いをつける」ことは

本当に難しい。


そういうときこそ、お互いを思いやる気持ちが大切なんだと思いました。



朝のこういうやりとりがあったから

帰宅してからの主人の機嫌の良さに

私まで嬉しくなったのかもしれません。



自分の思っていたことと違うことが目の前で行われていて

それを「面白い」「へぇ。こんなのもあるのか。」「こりゃ、良いね。」と

新鮮に思う心があると、自分が幸せになれるんだなあ。



たくさんの「幸せ」を感じさせてくれた、今日の新郎新婦さんたちに

ありがとう。と言いたい一日でした。