私が人生の師と仰ぐ方がいらっしゃいます。
詩吟の宗家、寶心流吟道寶水会の木原寶心先生です。
詩吟とは、吉田松陰や中国の論語など人生を導く言葉に「節」をつけて、
尺八や琴などの演奏にのせて謡うものです。
ずっと支えて頂いているのですが、
忘れられない一日となった日があります。
先生との出逢いは10年以上前、
私の事務所に長年ビジネスマナーの個人レッスンに通っている女性が
寶心先生に詩吟を習っていて、ずっとその方から、
「私の詩吟の師匠は本当に尊敬できる方なので、
温品さんにどうしても、一度逢って欲しい」と言われ、
先生が主催する詩吟の発表会にお花を持って会いに行った時です。
彼女の言うとおり、優しい笑顔、そして、力強い吟、包み込むような言葉。
全てに癒され、それからずっと、折に触れ先生に会いに行きたくなります。
出逢ったころから、先生は私の家族のことまで
気にかけてくださっていて、
主人ともども挨拶にいったり、ふたりの息子も可愛がっていただいていました。
息子達にとっては、「詩吟」というのが何かはわからないけれど
私と主人が「木原先生は、すごい詩吟の先生」といつも言うのを聞いていたようです。
次男が小学6年生のときの夏休みの宿題は「近所の名人に話を聞いてこよう」というものでした。
次男が夏休みの始めに、「お母さん。この近くの名人っている?」と、にやにや聞くので、
私は(結構これは、未だに木原先生にいじめられるのですが・・・)
「え?名人?この辺にそんな名人って人って、おるかねぇ? 思い浮かばんから友達と相談したら?」と答えました。
すると次男は、私をあきれたような顔で見ながら、
「お母さん!!詩吟の先生がおるじゃん!」と言うのです。
おおおお!!!そうだぁ。木原先生こそ名人だ!と
すぐに思い出さなかったことを反省しつつ、すぐに電話で連絡。
その時の先生の「おっ!僕のことを名人と息子さんが指名してくれたんかね。」とおっしゃった嬉しそうな声は忘れられません。
訪問の日を決め、息子と二人、木原先生のご自宅に伺いました。
初めて詩吟の稽古場に行き、ましてや、正座をして座るわけですから
当時小学6年の息子は緊張しまくっていました。
それがまた、先生には可愛かったらしく、
息子の宿題のとおりに、「インタビュー」に答えてくださいました。
「詩吟とはどんなものか」
「どんな練習したら名人になれるのか」
「詩吟をしているときの楽しさ」などなど・・・
先生は私に向ける以上の優しいまなざしで息子の質問に答えてくださいました。
そして、先生が「心の支えとしている言葉」を話し始めてくださいました。
現在80歳を超えていらっしゃる木原先生が高校を卒業する時、
当時は戦争真っ最中から終わる時期で
大学進学について、大変迷っていたそうです。
そのとき、担任の先生が木原先生に言ってくださった言葉が、
80歳を超えた今でも、ずっと心にあり、その言葉を忘れずに今も全力で
何事にもチャレンジをしていらっしゃるそうです。
そして、その言葉は、次男にとっても私にとっても、
心の支えとなる言葉となりました。
まず、担任の先生は
「あなたは、試験も無く、だれでも入れて、卒業することもない大学があることを知っていますか」と
木原先生に聞いたそうです。
「そんな大学聞いたこともないです」というと、担任の先生は教えてくださいました。
「その大学の名前は、社会大学、と言います。
この大学は、年がくれば誰でも入れます。勉強をしてもしなくても誰も何も言いません。
その大学での成績は、誰もつけてくれません。
あなたはこれを聞いて、『楽』だと思いますか?
社会大学は、とても険しい道を行く大学です。
社会勉強に終わりは無い。100点も無い。
ひとつ知れば、もっと詳しい道がある。
一生勉強し続けなければいけない大学です。
あなたは、人としての道を学び続け、
知識をつける勉強をしつづけ、
死ぬまで社会大学で学び続けるのですよ。
その場所がどこであろうと、学ぶことが出来るはずです。」
それを聞いた木原先生は、就職をし、独学で簿記や数々の資格を取得し
職場で誰より認められる存在になりました。
40歳を超えた頃にであった詩吟の「言葉」に魅せられ
日本の古典や歴史上の言葉を研究し、中国の文献を研究し
それに自分で「節(曲)」をつけて、独自の詩吟の世界を作りました。
始めて数年で出場した、詩吟の全国大会で全国2位となり
詩吟の世界で知らない人はいないほどの吟じ手となりました。
宗家となってからは、構成吟(詩吟の世界のミュージカルのようなもの)のオリジナル作品を
数々手がけ、誰もが思いつかないテーマで構成吟を発表し続けています。
実は、今日、木原先生の詩吟の公演がありましたが、
テーマは「中原中也」です。
中也のあの「ひとつのメルヘン」などなどの叙情詩を、詩吟にしてしまうんです。驚き!です。
毎年松陰神社で吉田松陰顕彰吟詠大会を主催していらっしゃいますが
今では、全国から出場者が集まる、大きな大会になさいました。
小学6年の次男は、木原先生の「社会大学」の話を食い入るように聞いていました。
最後に先生は息子におっしゃいました。
「そうちゃん。(むすこの愛称)ええかね。
社会大学は、自分が決めて、自分が勉強をせんといけん大学です。
誰もあれをしろ、これをしろと言わない。
それなのに、学ぶことは山ほどある。
だからこそ、手を抜くことをしなさんな。
人を利用するようなことをしなさんな。」と。
息子はその日、「社会大学」に入学しました。
自分で決めて、自分で実行する。
手を抜かない。人を利用しない。
私もその日、一緒に、「社会大学」に入学しました。
あれから5年経ち、
未だに木原先生は、息子も私も可愛がってくださっています。
息子はたまに、社会大学の劣等生になります。
私は息子よりは頻繁に、社会大学の劣等生になります。
そのたびに、小学生の息子と正座をして、
木原先生から入学許可をもらった日のことを思い出すのです。
人生の師と仰ぐ方と出会えた幸せを感じつつ。




