いろいろな種類の企業研修をさせて頂いています。
短時間の1回限り研修。
長時間の1回限り研修。
1年契約で、年間数回同じ方への研修。
同じ内容を全社員へ数回にわけてする研修。
その中でも職制ごとにさせていただく研修は相当の年数を重ねていくので、
社員の方々の個性も把握でき、状況も想像できます。
先日の中間管理職研修は、ある意味、講師と参加者の全面対決のような雰囲気の中進みました。
研修結果を実行できないのはなぜか。
ということをテーマにディスカッションを進めると
私に対する要望、批判、叱責が続きます。
もちろん、それに対し意図を繰り返し伝え、
社員がどう実行するかを解説し、理解してもらい続け、
私からも要望、叱責が続きます。
研修は、「では、また次回来ます」と伝え、
皆さんもほっとした顔で、「とにかく、次回までに実行できることはやります。」という
言葉を伝えてくださり、終了しました。
「仕事」ということは十分わかっているけれど、
長年信頼関係を続けている中間管理職からの、私の対するマイナスの指摘の言葉は
終わった後、どうやっても消せない「黒点」となり刻まれました。
人に伝えることの難しさ。
受け取りかたによる擦れ違い。
今の状況を私なりに判断して選んだ言葉・言い方が
裏目に出る怖さ。
人に何かを伝える仕事をしていることの恐怖に見舞われました。
折しも・・・翌日は、ヘルスコーチングの資格認定試験。
8分の1対1のコーチング。10分間のファシリテーションを
沢山の方の前で実践して、審査を受けるというものでした。
前日のショックは、今まで研修講師をしていて一番大きなものだったので
人前での実践試験は、今の自分に可能だろうか。と思い
とても悩みましたが、その日を逃すと1年間試験はない。
気持ちを奮いたたせて臨みました。
特に午後からの研修形式のファシリテーション試験は
前日の様子が浮かび、順番が来るまでの間も
どうしよう・・・いやだなぁ・・というマイナスの気持ちが浮かんできました。
順番が来ると、とにかく、
「スタート→双方向→レクチャー→体験談→まとめ」という流れだけを
間違わないように必死に進めていきました。
人の目を見るのが怖いという思いはそのままに
それこそ、必死に、進めました。
規定の10分が来て、「終わった・・・」とほっとした後
審査してくださる方からの冷静なフィードバックの数々を頂きました。
「修正案」「今後の展開」などなど、思いもしないような視点でのフィードバックに
「なるほど。」「そういう展開もあるのか」など思いながら
でも、人の目を見るのが怖いという思いで、うつむき加減で聴いていました。
その時。
ふと目に入ったのは
「受講生役」の女性の涙ぐんでいる姿でした。
体験談で、私は、反抗期だった中学時代の私と、母親のやりとりを話しました。
そのことに共感してくださった方が、涙しながら聴いてくださっていたことに
その時、初めて気が付きました。
私はその涙に救われました。
10分という短い時間。
その短い時間で、私の想いが伝わった。
伝えたい。という想いが伝わったことを、彼女は自分の姿で私に示してくれました。
まだ、できるかもしれない。
また、やれるかもしれない。
心にあった黒点がだんだん薄くなっていくのを実感しました。
その女性が、私の話を裏表無しに聴いてくださったからこその
綺麗な涙は、私そのものを認めてくれました。
そして。
もう一度、前日の中間管理職とのやりとりを思い出してみました。
「あなたのやりかたに限界がきている。」
「実行に移せないのはあなたが机上の空論を力説するからではないか。」
彼らは、私にそう言いながら、何を考えたのだろう。
つばを飛ばし、私にそう訴えながら
彼らの表情には、曇りがなかった。
「悪意」「自分の利益のみ追求」「ストレス発散のはけ口」
など、感じられなかった。
涙してくださった女性と同じように
彼らは、私の話に真剣に反応してくれたのだ。
そう思えるようになると、この仕事に対する気持ちがより強くなってきました。
純粋な涙が
私を救ってくれました。
「最高の承認」をありがとうございました。
そして、辛くて、人の目も見るのが怖い。人前で話すのも嫌だと感じた
中間管理職の方がたとのやりとりも
私に対する「最高の承認」と思えるようになりました。
朝陽が昇る瞬間。心が立ち上がる瞬間を実感できました。