18日は両槻会の「忍坂街道探検」という企画で、その名の通り忍坂街道の古墳を中心に巡ってきました。
気候もちょうど良く、ハイキング日和ないい天気となりました。
とはいうものの、今回のコースはのんびりと春から初夏への季節を感じながらウォーキング…というものではなく、とってもハードなものでした; 古墳がとにかく高い所にあるので、木の枝をよけつつ山道を登ったり、急坂をよじ登ったり、狭い石室に潜り込んだり…と、まさに「探検」でした(笑)。
女寄峠近くまでタクシーで行き、まずは花山塚東・西古墳の見学からスタート。
この古墳は、奈良まほろばソムリエ検定の勉強で名前を知ったのですが、本当に名前を覚えた程度;特徴はおろか、場所さえ曖昧な状態でした。
花山東塚古墳は、榛原石を積み上げた横口式石槨をもつ古墳。なかなか綺麗に積み上げられています。
この古墳の西に、花山塚古墳があります。
柵で囲われていました。
東塚古墳と同じく、磚積式の横口式石槨をもつ円墳ですが、石積がものすごくきれいなのにびっくりしました。
また、羨道はとても狭いです。
石室の奥にもう一つ奥室があるという構造なのだそうです。
この2つの古墳を見たあと、国道166号線をずず~っと西へ下っていきます。周りの山並や、桜・蓮華などの花が咲く風景に心癒されますが、国道なだけに車がビュンビュン飛ばしていて結構スリリングな道でしたね(笑)。
1時間弱くらい歩いて、粟原寺跡へ。国道をそれてからここまでの道も、結構上り坂でした;
前から行ってみたいと思っていたので、訪ねることができてよかったです。
中臣(藤原)大嶋が草壁皇子の供養のために建立しようとしたが果たせずに亡くなり、その後を比売朝臣額田が継いで建立したといわれる寺院で、現在は礎石が残っているだけでした。
この経緯は、談山神社に残る国宝の粟原寺三重塔露盤伏鉢に銘文として刻まれています。
「比売朝臣額田」という人物は謎らしく…あの歌聖額田王とする見方もできるようです。
しかし何故に大嶋が…
大嶋といえば、天上の虹では額田に求婚してたよな(ふられたけど/爆)。あれは、この寺の額田に纏わる伝承から作者が作ったエピソードなんだろうけど。
でも大嶋と草壁の繋がりがいまいちわからん…( ̄^ ̄)
血縁や政治関連での絡みが見つからない以上は、個人的に仲良しだったのかな(笑)。そんなことまでは文献に残らないしね。
塔心礎。三重塔だったと推定されるそうです。
礎石がぽつぽつと残っています。
で、持統天皇の御代での額田といえば。
弓削皇子とのあの贈答歌ですね。
「古に恋ふる鳥かも 弓絃葉の 御井の上より鳴き渡りゆく」
「古に恋ふらむ鳥は ほととぎす けだしや鳴きし 我が念へる如」
ちゃんと歌碑がありました。
今回訪ねるコースでの万葉歌碑はここと舒明天皇陵の2か所。これは事前にちゃんとチェックしておきました(笑)。
再び国道へ戻り、北へ渡ったところにある公民館横の公園でランチタイム。
30分ちょっと休憩し、次はムネサカ古墳を見に行きました。
~続く~