宝厳院のお庭

阪急「嵐山」駅に到着。
宝厳院(ほうごんいん)?? 初耳だがツアーの案内が届いた。紅葉狩り…。嵐山辺り…。久しぶりだし行ってみるか、と申し込んだ。
当日の12月3日。天気は良かった。小春日和。川面に映る嵐山の紅葉。
ハヤを釣っている人が。
山は紅葉真っ盛り。庭園のカエデはどうだろう。「嵐山」駅から地図を頼りにその場所に向かった。
渡月橋。保津川の眺め。観光船が川面を静かに進んでいた。
周りは観光客であふれている。聞こえるのはアジア各国の言語ばかり。
渡月橋を渡り、保津川左岸を上がっていく。
位置的にはこの辺り。図のように渡月橋の上、保津川(桂川)左岸にある。天竜寺のすぐ横の臨済宗天龍寺派の寺院。天龍寺の塔頭(たっちゅう)、つまり天龍寺の境内(けいだい)にある小寺のようだ。
屋形船の観光船。
山号は大亀山。すぐ近くの亀山公園(かめやまこうえん)は、子どもや孫と展望台を訪ねたことがある。蛇行する保津川を眺められ、運が良ければトロッコ列車がゆく景色も。公園内に亀山天皇を含む3天皇の火葬塚がある。だから亀山公園で、宝厳院の山号もそこからだろう。
宝厳院に到着。集合まで時間があったので周辺を歩いた。
あれっ、この築地壁の通りは…そうか。数年前、晩秋の嵯峨野を巡ったとき、壁の向こうに美しいモミジがあった築地壁だ。その時はそのまま通り過ぎた記憶がある。そこが今回訪ねる宝厳院だった。
この壁の向こうは天龍寺に続いていた。
この辺りの人は毎日この景色の中で暮らせるんだ。
宝厳院は創建当初、京都市上京区にあった。しかし、応仁の乱で焼失、天正年間(16世紀末)に再興された。明治時代、河川工事で寺域が買い上げられ天龍寺塔頭の弘源寺内に移転。2002年、現在地に移転した。どおりで門の茅葺屋根も新鮮なはずだ。
秋の特別拝観期間に入るようだ。
境内に入場。目の前が紅く染まってきた。
 
すてきな紅葉色。
羅漢像。
枯山水と言うのだろうか。丸い大粒の石の海が広がっていた。
シャクナゲの芽。
茶室?に入る小さな門の屋根。コケの上にノキシノブが繁茂していい感じ。
ノキシノブと言うよりノキノウエという感じ?
中では抹茶が出されていた。
 
現在の境内地は、天龍寺塔頭、妙智院があったところだそうだ。妙智院は禁門の変(1864年7月)で天龍寺と共に焼失。天龍寺の勅使門の南側に移転し、旧地は畑になっていた。大正時代、日本郵船の重役・林民雄が買い取り別荘地としていた。
本堂に到着。別料金で入場。場内は撮影禁止。
宝厳院本堂は2008年の再建。58面の襖絵「風河燦燦 三三自在」が見事だった。田村能里子作。いわゆる花鳥風月や水墨画ではなく、33人の老若男女が、朝日や三日月に照らされる赤茶けた砂漠に様々な姿勢で佇んだり横になっている。
「タムラレッド」と言われるそうだが、独特の赤や朱色が画面を覆いつくす印象的な襖絵だ。女性画家が寺院本堂の襖絵を手掛けたのは田村氏が初めてだとも。
本尊の十一面観音立像の左右に三十三体の観音菩薩像。「西国三十三所巡りに等しい功徳がある」とパンフに書かれている。パンフには同じく「『観音経』の経中には観音菩薩は三十三身に身を変えてこの苦の世界を救われたとある。まさしくこの襖絵の中に登場する三十三人の老若男女は、観音菩薩の化身」とも書いてある。なるほど。
2006年(平成18年)に嵐山に乗り入れている京福電鉄が、当院の初夏の紅葉を「青もみじ」と称したキャンペーン以降、「青もみじ」という言葉が広まったそうだ。
パンフによると、この庭園は「室町時代に中国に二度渡った禅僧・策彦周良禅師によって作庭され、嵐山を巧みに取り入れた借景回遊式庭園」だそうだ。
同じく「江戸時代に京都の名所名園を収録した『都林泉名勝図会』にも紹介された名園である」。
獅子岩 。この庭園は「獅子吼(ししく)の庭」と言われる。師子吼とは仏陀の説法。 獅子(ライオン)が吠えるように勇ましく法を説くからとか。
大きな岩が二つあった。どちらが獅子岩なのか、本当は分からなかった。元からあったのか、運んで来たのか不明。
たてがみ?
庭の中をうねるように道は続いている。
ヤマブキの黄葉か。
一面ササが植えられている場所や
苔生す丘のような場所も。
豊丸垣と言うそう。
起伏のあるコケに映る影が美しい。
カエデの樹形も美しい。
 
これが書院だと思う。1919年の建築。日本郵船の重役・林民雄の別荘時代の建物。大正~昭和初期の数寄屋建築ブームの時代に、近代数寄屋建築の礎となる建物としての価値が認められ保存された。
これが茶室「青嶂軒」と思う。やはり林民雄の別荘時代の建物。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「サザンカが咲いているね」との会話が聞こえた。「チャノキの花です」と教えてあげた。この秋二回目。
 
宝厳院を出た。昼食場所に向かった。
渡月橋をもっと南に下がり
「花のいえ」でお昼ご飯を頂いた。隣で食事されていた方と四方山話。中京のお寺の住職をされているそうだ。最近のお寺事情のことも聞かせて下さった。
紅葉で満腹という一日だった。渡月橋を渡り阪急で高槻へ。