マンガ家・エッセイストの東海林さだお氏が2026年4月5日、88歳で亡くなった。また、マンガ家・随筆家のつげ義春氏も2026年3月3日、東海林と同じ88歳で亡くなっている。筆者もかなり影響を受けたので、二人のことを記しておきたい。
順番としてはつげ氏が先になる。幻想性、叙情性の強い作品のほか、テーマを日常や夢に置きリアリズムにこだわった作風を特徴とする。貸本雑誌「迷路」「忍風」に作品を発表する。ただし、1960年を境に貸本は衰退の一途をたどる。
当時、豊島区のトキワ荘に住んでいた手塚治虫を訪ね、原稿料の額などを聞き出し、プロになる決意を強める。その後、メッキ工場に勤めながらマンガを描く。1954年10月、雑誌「痛快ブック」の「犯人は誰だ!!」「きそうてんがい」で漫画家デビューを飾る。その後、一コマ、四コマなどの作品が少年誌に採用され始める。自身の作品を持って1週間ほど多くの出版社を回り10軒目の若木書房でようやく採用され、1955年5月に「白面夜叉」で若木書房から正式にプロデビューした。18歳であった。
この頃「ガロ」が誕生する。同誌の「連絡乞う」の尋ね人に応じ、つげは貸本漫画を離れる。白土三平が希求した〈己の作品〉を手掛けるに至る。以後、足かけ5年間、名作・傑作を同誌上に発表。つげ世界の全面展開が始まる。「沼」「チーコ」「山椒魚」などで注目され始める。
それらに続く「ねじ式」で多くの読者・文化人に衝撃を与える。「ガロ」を通じて全共闘世代の大学生を始めとする若い読者を獲得した。1970年代前半には「ねじ式」「ゲンセンカン主人」といったシュールな作風の作品が高い評価を得た。
はるき悦巳氏、雁屋哲氏、蛭子能収氏、弘兼憲史氏、江口寿史氏ヤマザキ マリ氏らはつげ氏に影響を受けたと語っている。2017年「つげ義春 夢と旅の世界」(新潮社)と一連の作品で第46回日本漫画家協会賞大賞受賞。2020年、第47回アングレーム国際漫画祭で特別栄誉賞を受賞した。2024年11月、秋の叙勲で旭日中綬章を受章している。
さて、もう一方は東海林氏である。早稲田大学に入学し、2歳上の園山俊二さんらとともに漫画研究会で腕を磨いた。大学を中退して作品づくりを続け、67年から漫画雑誌に「新漫画文学全集」を連載して注目された。実家は八王子の造り酒家だが、西荻窪に仕事場を設けている。
うだつの上がらないサラリーマンの悲喜劇を、味のあるタッチでユーモラスに描いた作品が人気を得ている。サラリーマンものの長期連載を複数同時に手がける売れっ子に。週刊文春での「タンマ君」(1968~2025年)、週刊現代での「サラリーマン専科」(1969~2024年)は連載期間が半世紀を超えた。また、1974~2014年には毎日新聞朝刊で4コマ漫画「アサッテ君」を1万3749回にわたって描き続けた。
庶民的な食べ物である「モヤシ」「タクアン」「のり弁」などといったに焦点をあてた作品群も存在する。個人的なこだわりや楽しみ方をユーモア一杯に記したエッセイでも長年活躍した。1987年、週刊朝日で「あれも食いたい これも食いたい」と題した漫画入りの連載をスタートした。24年1月から朝日新聞週末版で月2回連載した。連載をまとめた単行本「丸かじり」シリーズはこれまでに47巻が刊行されている。最終巻「アンコの丸かじり」は5月20日(2026年)新聞出版から発売予定である。
11年に旭日小綬章の他に第16回文藝春秋漫画賞、第11回講談社エッセイ賞、第45回菊池寛賞、第30回日本漫画家協会賞大賞を受賞している。
二人とも多くの人々に愛されてきたことがわかる。
