岡林信康氏は日本のフォークソングのシンガーソングライターである。初期の傑作に「山谷ブルース」「友よ」「流れ者」「手紙」「チューリップのアップリケ」などがある。山谷ブルースの最後の歌詞は「だけどおれ違や泣かないぜ はたらくおれ遠の世の中が きっときっと来るさそのうちに その日にゃ泣こうぜうれし泣き」とある。しかし、その日は来ることはなかった。大学3年の時北海道を旅行した。主な宿泊は「ユースホステル」を用いたが、そこでみなと歌った記憶がある。この歌だけ、ハモルことができた。
手紙は部落のことを謡っている切ない曲である。みつるさんと都会に出て働くという選択肢があったはずと思ってしまう。チューリップのアップリケは昭和の香りが漂う曲で、なんといってもおかあちゃんが揃った家庭がよいことは言うまでもない。
また、1970年に出した「見るまえに跳べ」の中に「性と文化の革命」という曲がある。半世紀以上経っているため、歌詞が現在にそぐわなくなっている。1番の歌詞は「土曜の夜に町を歩いてごらん」と始まっている。現在なら「金曜になるだろう」。2番の歌詞は「一度団地の中を歩いてごらん どこの家庭も子供は二人か三人」とある。これも「せいぜい一人」ではないだろうか。
志村けん氏の「「ウンジャラゲ」は1969年の「クレージーキャッツ」のカバー曲だが、「土曜日はギンギラギンのギンギラギンのギンギラギンのギン」とある。土曜は仕事で、夜には羽目を外すということだろう。現在なら「金曜日は・・・・」となるに違いない。
童謡であれば、歌詞がさらにそぐわなくなっているのは当然である。「船頭さん」は作詞:武内俊子、作曲:河村光陽により1941年に発表された日本の童謡である。一番の歌詞は「村の渡しの船頭さんは 今年六十のお爺さん 年はとってもお船をこぐ時は 元気いっぱい櫓(ろ)がしなる ソレギッチラギッチラギッチラコ」である。人生百年の時代になっている訳である。現在なら「年はとっても」という部分は年配の方々にとって違和感一杯といわざるを得ない。
「歌は世につれ 世は歌につれ」というのであれば、歌詞を書き換えて2025年版としてもよいのではないだろうか。
*野川自然の会:収穫祭
11/8日、収穫祭を行った。参加者は大人37人と子ども21人でおにぎりと豚汁をいただいた。。
子供たちが走り回るのを見るのは楽しいものである。
*筆者HP https://yokoyama-food-enngineer.jimdosite.com/

