どなたも「イグノーベル」というのを聞いたことがあるだろう。ノーベル賞に否定を表す接頭辞的にIgを加えたもので、英語の形容詞 ignoble「恥ずべき、不名誉な、不誠実な」にかけた造語である。公式パンフレットにはノーベルの親戚と疑わない Ignatius Nobelという人物の遺産で運営されているという説明もある。
1991年、ユーモア系科学雑誌のマーク・エイブラハムズ編集長が廃刊の憂き目に遭いながらサイエンス・ユーモア雑誌「風変わりな研究の年報Annals of Improbable Research」を発刊する際に創設した賞である。面白いが埋もれた研究業績を広め、並外れたものや想像力を称賛し、科学や機械、テクノロジーへの関心を刺激するために始めたものである。本雑誌と編集長がイグノーベル賞を企画運営している。共同スポンサーはハーバード・コンピューター協会や世界のSF研究会が数多く協賛している。
毎年テーマが一応設けられており、その中から多くて10部門が賞に選ばれる。同賞には、ノーベル賞と同じカテゴリーの賞もあれば、本家には存在しない生物学賞、心理学賞、昆虫学賞などの部門も少なくない。そのため、賞が贈られるジャンルは多種多様になっている。
毎年9月もしくは10月に「人々を笑わせ、そして考えさせてくれる研究」や風変わりな研究、社会的事件などを起こした10の個人やグループに対し授与される。時には笑いと賞賛を、あるいは皮肉を込めて脚光の当たりにくい分野の地道な研究が対象となっている。一般の人々の注目を集めさせ、科学の面白さを再認識させてくれるという面がある。
授賞式は2019年までハーバード大学のサンダーズ・シアターで開催され、2020年から2023年までは新型コロナウイルス感染症の流行に伴いオンラインイベントとして開催された。2024年以降は毎回異なる大学の構内で行われるようになった。
日本は本賞の常連国になっている。日本以外に継続的に受賞しているのはイギリスである。創設者のエイブラハムズによれば、「多くの国が奇人・変人を蔑視するなかで、両国は誇りにする風潮がある」という共通点を挙げている。また「両国では、本当に風変わりなアイデアを思いついた人を排除することなく大切にしてきた結果に他ならない。」と分析している。
今後も継続することを願って、日本人の受賞について、具体的に挙げておこう。
・1992年 医学賞 神田不二宏(資生堂研究員)ら:足の臭いの原因となる化学物質を特定
・1995年 心理学賞 渡辺茂(慶応大学教授)ら:ハトを訓練してピカソとモネの絵を区別させることに成功
・1996年 生物多様性賞 岡村長之助(岡村化石研究所):1000以上のミニ種の化石を発見
・1997年 生物学賞 柳生隆視(関西医科大学講師)ら:ガムをかんでいる時、ガムの味で脳波がどう変わるか研究
・1997年 経済学賞 真坂亜紀(バンダイ)、横井昭裕(ウィズ):「たまごっち」の開発
・1999年 化学賞 牧野武(セーフティ探偵社社長):夫のパンツに吹きかけると浮気を発見できるスプレーを開発
・2002年 平和賞 佐藤慶太(タカラ社長)、鈴木松美(日本音響研究所所長)、小暮規夫(獣医師):犬語翻訳機「バウリンガル」の開発
・2003年 化学賞 広瀬幸雄(金沢大学教授):ハトに嫌われた銅像の化学的考察
・2004年 平和賞 井上大佑(会社経営);カラオケを発明
・2005年 生物学賞 早坂洋司(オーストラリアワイン研究所):カエルがストレスを感じる時に出す特有の臭いをカタログ化
・2005年 栄養学賞 ドクター・中松(中松義郎、発明家):34年間自分の食事を写真に撮り、脳の働きや体調への影響を分析
・2007年 化学賞 山本麻由(国立国際医療センター元研究員):牛ふんからバニラの香り成分「バニリン」を抽出
・2008年 認知科学賞 中垣俊之(北海道大学准教授)ら:単細胞生物の真正粘菌が迷路の最短経路を見つけることを発見
・2009年 生物学賞 田口文章(北里大学名誉教授):パンダのふんに含まれる細菌で台所の生ごみを90%削減
・2010年 交通計画賞 中垣俊之(公立はこだて未来大学教授)ら:鉄道などのインフラ整備に真正粘菌の「知恵」が役立つことを研究
・2011年 化学賞 今井真(滋賀医科大学講師)ら:ワサビの匂いの気体で聴覚障害者に知らせる火災警報装置を開発
・2012年 音響賞 栗原一貴(産業技術総合研究所研究員)、塚田浩二(科学技術振興機構研究員):おしゃべりを続ける人を邪魔する装置「スピーチ・ジャマー」開発
・2013年 医学賞 新見正則(帝京大学准教授)ら:心臓移植したマウスにオペラ「椿姫」を聴かせると生存期間が延びる
・2013年 化学賞 今井真介(ハウス食品研究主幹)ら:タマネギの催涙成分をつくる酵素の発見
・2014年 物理学賞 馬渕清資(北里大学教授)ら:バナナの皮の滑りやすさを証明
・2015年 医学賞 木俣肇(クリニック院長):キスで皮膚のアレルギー反応が低減することを実証
・2016年 知覚賞 東山篤規(立命館大学教授)ら:「股のぞき」をすると、距離を正確につかみにくいことを証明
・2017年 生物学賞 吉沢和徳(北海道大学准教授)、上村佳孝(慶応大学准教授):ブラジルに生息する昆虫の雌に、雄のような形状の性器があることを発見
・2018年 医学教育賞 堀内朗(昭和伊南総合病院消化器病センター長):座位で自身の大腸内視鏡検査を行い、苦痛が少ないことを実証
・2019年 化学賞 渡部茂(明海大学教授)ら:5歳児の唾液のサンプルを集め、分泌量を調査
・2020年 音響賞 西村剛(京都大学霊長類研究所准教授):ヘリウムガスでワニのうなり声も高くなることを発見
・2021年 動力学賞 村上久(京都工芸繊維大学助教)、西成活裕(東京大学教授)、西山雄大(長岡技術科学大学講師):「歩きスマホ」の危険性を実証
・2022年 工学賞 松崎元(千葉工業大学教授)ら:円柱形の取っ手を何本の指を使って回すかについて研究
・2023年 栄養学賞 宮下芳明(明治大学教授)、中村裕美(東京大学特任准教授):電気を通した箸やストローで飲食物の味を変えることを提案
・2024年 生理学賞 武部貴則(東京医科歯科大学教授)ら:哺乳類が肛門から呼吸できることを発見
・2025年 生物学賞 児嶋朋貴研究員(農研機構)ら:黒毛和牛に白色のしま模様を描き、寄ってくる吸血昆虫が約半分になることを確認
