鴨長明は日本の歌人・随筆家であり、活躍したのは平安時代末期から鎌倉時代前期である。彼は「方丈記」の初めに「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし」とうたっている。

 河の水は常に変化しているが、変化しているのは水だけではない。河の流れの道筋も少しずつ変わっているのである。河の道筋が少しカーブすることがある。そうなると、カーブの外側では侵食、内側では堆積が行われる。その結果、カーブは徐々に大きなものとなり、根元の括れ(くびれ)が小さくなっていく。

 やがて、カーブ同士が接合して流路が短絡される。河の水は短絡路を流れるようになり、大きくカーブしていた旧河道は流れから取り残される。その結果、新河道と旧河道との間に土砂が堆積して旧河道は河川から切り離されて湖となる。多くの場合、この湖が三日月形となっているため三日月湖(みかづきこ)と呼ばれる。典型的な例として石狩川の中流が挙げられ、河跡湖(かせきこ)とも呼称される。

 洪水などによって大規模な侵食が起きて河の流れが変わることがある。河川改修にともなう人工的な流路変更によって同様の地形が作り出されることもある。このような地形が陸地化された場合、地震による液状化現象の原因となることが多い。東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)でクローズアップされた。

 世界中に三日月湖が存在する。わが国でも同様で、各地に存在する。関東地方に限れば、利根川、渡良瀬川、小貝川、荒川(あらかわ)などの例が挙げられる。さらに、都内に限れば、荒川だけになる。意外なことに、関東台地を下る多摩川には三日月湖が存在しないのである。

 荒川は埼玉県に起因し、東京都を流れ東京湾に注ぐ河川である。荒川水系の本流で一級河川に指定されている。水系として、流路延長173 km、流域面積は2,940 km2にも及ぶ。川幅(両岸の堤防間の距離)は御成橋(埼玉県鴻巣市・吉見町)付近で2,537 mになり、わが国最大と言える。江戸時代に行われた河川改修である荒川西遷事業(荒川の瀬替えとも)により流れを変えられた歴史がある。

 三日月湖に関しては、改めて新しいお話しをすることができるだろう。
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