🟨①善をやっていこうという心・心の世界を問題にしないと善をやっていこうという気持ちはおきない・白道とは信心・信心決定するまでは何度も心が崩れる・火の中を進んでいくしかない【令和8年6月19日】
🟦YouTube で見る
🟥https://youtu.be/i9a2sswaMQo?si=gQ33WDQ6rsuLsuWM
………………………✴️✴️…………………
【1️⃣質問】
🟨善をやっていこうという気持ちになれないのは何故か?
【1️⃣回答】
🔷私達は、そもそも仏教でない善をやろうとしている。
⏩️例えば、大学に合格したいから、勉強する。
🟨勉強することは善、こういう善はやる。
🟨お金を稼ぐために働く。こういう善はやる。
🔷現実世界に於いて、思い通りにしたいことがあって、その為の種蒔き、そういう善はやるけど、思い通りにしたいから、善をやる。
⏩️幸せになるために善をやる。
🔷私達は、普通の人が因果の道理と思っていることは、現実世界を思い通りにするための因果の道理です。
🔶仏教の幸せとは、心の世界です。心の世界を問題にしないと善をやっていこうとは思わない。
🔷仏教で善をしようとは、心の世界を幸せにしたいから、善をしようということ。
🔶そこで心の世界を幸せにするためには、何をしなければならないのか?
🔷普通の人が、心の世界が見えたら、どうなるか?
🔶心を見ないようにしたい。➡️心の世界とは、イコール悪人の自分なのです。
⏩️私達にとって、悪人の自分が見えている世界です。
🔷だから、幸せになるには、先ず悪人の自分が見えても、
🟨不安になったり、
🟨苦しんだり、
🟨否定されている、という感じないようにならなくてはならない。
🔶だから私はあなたに悪人の自分が見える御縁を一生懸命に勧めている。
➡️具体的にご主人と向き合って下さい。
🔷それを聞いて、
✡️よし、やろう!とは思わない。
✡️やろうと思っても、すぐに挫折する。
🔶それは悪人の自分が見えている心の世界は苦しいからです。
✡️よし、前向きにやっていこう、とは思える訳はない。
🔷だけど、この悪人の自分が見える心の世界を幸せにしなければ、私達は本当の幸せにはなれない。
🔶悪人の自分を見る縁から、離れてはいけない。
🔷どんなに頭で分かっていても、仏教を聴いて悪人の自分と向き合わなければいけないと分かっていても、
⏩️それを向き合いたくないなあ、と思うのが人間なのです。
✡️だから善をやっていこう、なんて思わない。
🔷善をやっていこう、は仕方ないから、やるか。
⏩️聴いてやっていこう!
⏩️自分の中で、やっていくしかないなあ、という感じです。
🔷この幸せになるために、悪人の自分と向き合っていくことは、火の中を掻き分けて進むことですから。
🔶仏教で善をやっていく、ということは、
➡️火の中を掻き分けて進むことでもあるし、
➡️二河白道を進むことでもある。
🔷二河白道に於いて、善をやっていこうという心、これを白道という。
🌠白道とは信心のことです。
🌠白道とは細い道なので、すぐに、もう嫌だ、やりたくない!と思うのが人間です。
🟨自分の悪を受け入れることが自分に出来るのか?
🔷白道は聞いた後から、水の河、火の河が迫る。
➡️その白道に水の河が潤したり、火の河がやって来たりする。
🔶いつも白道が見える訳ではない。
⏩️逃げたいというふうに思うのが、二河白道の教えです。教えの通りなのです。
🔷私達は悪人になりたくはない。
⏩️仏教を聴いて幸せになるためには、先ず悪人の自分を受け入れないといけない。
🔷だって心の世界を幸せにしする。その心の世界が不安に満ちている。
🔶悪人を責めているから、悪人の自分を受け入れられない。
🔷皆、悪人になりたくない。
🌄でも心の世界とは、私達にとって、悪人の自分の世界なのです。
🔶皆、百%です。
➡️仏の悟りを開いて始めて悪人、善人とかのカテゴリーがなくなる。
🔷だけど私達はまだ心の世界といったら、悪人の自分の世界のことなのです。
🔶だから、死んで心の世界が見えた時に、皆、苦しみとなる。
🔷良いことをしていても、善人の自分のところへ行っている。悪人の自分には善をしていない。
🟨善をしようと思っても出来ないのは?
🔶それは自分が善人に立ちたいからです。悪人の自分が見えたら、見たくない!となる。
🔷それを少しずつ、少しずつ、火の中を掻き分けて進むことによって、進んだ分だけ、悪人の自分を受け入れられる。
🔶悪人の自分を受け入れた分だけ、否定をしなくなる。
否定しなくなっていくことによって、悪人の自分が崩れてしまう信心が崩れなくなる。
🔷これを信心決定という。
⏩️仏教、浄土真宗に於いて、仏教を求めているのは、信心決定するためなのです。
🔷信心決定とは何か?
⏩️悪人の自分が見えた時に、それを逃げずに受け入れられることなのです。
🔶悪人の自分が見えてきても、善をやっていこうという気持ちが崩れないこと。
🔷それが信心決定なのです。
➡️この信心決定した世界を浄土という。
🔶私達は浄土往生するために仏教を聞いている。信心決定することだ!
🔷だから、そんなに善をやっていこう!という気持ちには中々なれません。
🔶善をやっていこう、という気持ちになれたら、信心決定している。
➡️報土往生していることになる。
🔶それまでは、聴聞した時にやろう!で崩れる。又、聴聞して、やろう!と思って、また崩れる。
🔷それを何度も、何度も繰り返していく。
🟨私は今まで17年も聴かせて頂いて、心は変わっていくのか?自分は信心決定ができるのかと思ってしまう。
🔷出来ますよ!大丈夫ですよ!
➡️火の中を掻き分けて進んでいくのです。
⏩️やっていくしかない。
➡️火の中を掻き分けて進んでいくしかない!
🟨自分の心が上がったり、下がったりする。
🔷だから、若存若亡する故に、と御和讃でも親鸞聖人は教えられています。
➡️🟨進んでいると思う時は信心があって、前に進んでいこうと思う【若存】。
➡️🟨でも悪人の自分が見えた時は、認められないと【若亡】となる。信心がなくなって、もうだめだ!と思ったりする。
🔷それが自力の信心というのです。
🟨どうしたら、良いのですか?
🔶聴聞に励むことしか、ありません。
【終了】


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………………………✴️✴️…………………
【1️⃣質問】
🟨善をやっていこうという気持ちになれないのは何故か?
【1️⃣回答】
🔷私達は、そもそも仏教でない善をやろうとしている。
⏩️例えば、大学に合格したいから、勉強する。
🟨勉強することは善、こういう善はやる。
🟨お金を稼ぐために働く。こういう善はやる。
🔷現実世界に於いて、思い通りにしたいことがあって、その為の種蒔き、そういう善はやるけど、思い通りにしたいから、善をやる。
⏩️幸せになるために善をやる。
🔷私達は、普通の人が因果の道理と思っていることは、現実世界を思い通りにするための因果の道理です。
🔶仏教の幸せとは、心の世界です。心の世界を問題にしないと善をやっていこうとは思わない。
🔷仏教で善をしようとは、心の世界を幸せにしたいから、善をしようということ。
🔶そこで心の世界を幸せにするためには、何をしなければならないのか?
🔷普通の人が、心の世界が見えたら、どうなるか?
🔶心を見ないようにしたい。➡️心の世界とは、イコール悪人の自分なのです。
⏩️私達にとって、悪人の自分が見えている世界です。
🔷だから、幸せになるには、先ず悪人の自分が見えても、
🟨不安になったり、
🟨苦しんだり、
🟨否定されている、という感じないようにならなくてはならない。
🔶だから私はあなたに悪人の自分が見える御縁を一生懸命に勧めている。
➡️具体的にご主人と向き合って下さい。
🔷それを聞いて、
✡️よし、やろう!とは思わない。
✡️やろうと思っても、すぐに挫折する。
🔶それは悪人の自分が見えている心の世界は苦しいからです。
✡️よし、前向きにやっていこう、とは思える訳はない。
🔷だけど、この悪人の自分が見える心の世界を幸せにしなければ、私達は本当の幸せにはなれない。
🔶悪人の自分を見る縁から、離れてはいけない。
🔷どんなに頭で分かっていても、仏教を聴いて悪人の自分と向き合わなければいけないと分かっていても、
⏩️それを向き合いたくないなあ、と思うのが人間なのです。
✡️だから善をやっていこう、なんて思わない。
🔷善をやっていこう、は仕方ないから、やるか。
⏩️聴いてやっていこう!
⏩️自分の中で、やっていくしかないなあ、という感じです。
🔷この幸せになるために、悪人の自分と向き合っていくことは、火の中を掻き分けて進むことですから。
🔶仏教で善をやっていく、ということは、
➡️火の中を掻き分けて進むことでもあるし、
➡️二河白道を進むことでもある。
🔷二河白道に於いて、善をやっていこうという心、これを白道という。
🌠白道とは信心のことです。
🌠白道とは細い道なので、すぐに、もう嫌だ、やりたくない!と思うのが人間です。
🟨自分の悪を受け入れることが自分に出来るのか?
🔷白道は聞いた後から、水の河、火の河が迫る。
➡️その白道に水の河が潤したり、火の河がやって来たりする。
🔶いつも白道が見える訳ではない。
⏩️逃げたいというふうに思うのが、二河白道の教えです。教えの通りなのです。
🔷私達は悪人になりたくはない。
⏩️仏教を聴いて幸せになるためには、先ず悪人の自分を受け入れないといけない。
🔷だって心の世界を幸せにしする。その心の世界が不安に満ちている。
🔶悪人を責めているから、悪人の自分を受け入れられない。
🔷皆、悪人になりたくない。
🌄でも心の世界とは、私達にとって、悪人の自分の世界なのです。
🔶皆、百%です。
➡️仏の悟りを開いて始めて悪人、善人とかのカテゴリーがなくなる。
🔷だけど私達はまだ心の世界といったら、悪人の自分の世界のことなのです。
🔶だから、死んで心の世界が見えた時に、皆、苦しみとなる。
🔷良いことをしていても、善人の自分のところへ行っている。悪人の自分には善をしていない。
🟨善をしようと思っても出来ないのは?
🔶それは自分が善人に立ちたいからです。悪人の自分が見えたら、見たくない!となる。
🔷それを少しずつ、少しずつ、火の中を掻き分けて進むことによって、進んだ分だけ、悪人の自分を受け入れられる。
🔶悪人の自分を受け入れた分だけ、否定をしなくなる。
否定しなくなっていくことによって、悪人の自分が崩れてしまう信心が崩れなくなる。
🔷これを信心決定という。
⏩️仏教、浄土真宗に於いて、仏教を求めているのは、信心決定するためなのです。
🔷信心決定とは何か?
⏩️悪人の自分が見えた時に、それを逃げずに受け入れられることなのです。
🔶悪人の自分が見えてきても、善をやっていこうという気持ちが崩れないこと。
🔷それが信心決定なのです。
➡️この信心決定した世界を浄土という。
🔶私達は浄土往生するために仏教を聞いている。信心決定することだ!
🔷だから、そんなに善をやっていこう!という気持ちには中々なれません。
🔶善をやっていこう、という気持ちになれたら、信心決定している。
➡️報土往生していることになる。
🔶それまでは、聴聞した時にやろう!で崩れる。又、聴聞して、やろう!と思って、また崩れる。
🔷それを何度も、何度も繰り返していく。
🟨私は今まで17年も聴かせて頂いて、心は変わっていくのか?自分は信心決定ができるのかと思ってしまう。
🔷出来ますよ!大丈夫ですよ!
➡️火の中を掻き分けて進んでいくのです。
⏩️やっていくしかない。
➡️火の中を掻き分けて進んでいくしかない!
🟨自分の心が上がったり、下がったりする。
🔷だから、若存若亡する故に、と御和讃でも親鸞聖人は教えられています。
➡️🟨進んでいると思う時は信心があって、前に進んでいこうと思う【若存】。
➡️🟨でも悪人の自分が見えた時は、認められないと【若亡】となる。信心がなくなって、もうだめだ!と思ったりする。
🔷それが自力の信心というのです。
🟨どうしたら、良いのですか?
🔶聴聞に励むことしか、ありません。
【終了】

