1️⃣💟🌄【2026年3月08日 (日)】
🗾『教行信証』の輪読と講義🗾|本願寺派京都教区教務所(顕道会館)
🗾【公開講座】午後1時~3時
🗾内容:『教行信証』の輪読と講義
🗾講師:龍谷大学非常勤講師
小池 秀章 師
………………………✴️✴️…………………
⏩️小池秀章先生より、教行信証証巻の解説を分かりやすく教えて頂きました。
………………………✴️✴️…………………
🟨2026.3.8
🗾京都地区つどいの会 「教行信証の輪読と講義」 (102回目)
🟥🌄「証巻(証文類)」 その3
1️⃣🟨「証巻」の構成
⏩️「標挙(必至滅度の願 難思議往生)
⭕️題号(顯浄土真実証文類四)
⭕️撰号(愚禿釈親鸞集)
【本文】
🟥1️⃣往相の証果
🟨(1) 真実の証を顕す【御自釈】【一】
🟨(2)引文【経典5文・『論註』3文・『安楽集』1文・『観経硫』2文】
⏩️『論註』
🟥①-1🔷妙声功徳成就
🟥①-2🔷主功徳成就
🟥①-3🔷眷属功德成就
⏩️『論註』🟥②大義門功徳成就
⏩️『論註』🟥③清浄功德成就
🟨(3)四法結釈【御自釈】【一三】
🟥2️⃣還相の悲用
🟨(1) 還相回向を顕す 【御自釈】 【一四】
🟨(2)引文『浄土論』1文・『論註』2文
🟥3️⃣往還結釈【御自釈】【一八】
➡️尾題(顕浄土真実証文類 四)
🟨2️⃣本文(1.往相の証果)
🟥(1) 真実の証を顕す【御自釈】
⭕️真実の証(さとり)とは、他力によって与えられた功徳が円かに満ちている妙なる仏の位であり、この上ないさとりである究極の仏果である。
🟨そして、そのさとりは、阿弥陀仏の第11願 (必至滅度の願・証大涅槃の願)によって与えられ、完成されたものである。
🟨煩悩だらけの凡夫も、阿弥陀仏から回向された信と行を得れば、即時に正定聚(正しく仏に成ることが定まった仲間)に入り、浄土で必ず滅度(さとり)に至る。
🟨この滅度は、ありのままの在り方、絶対究極の真実、そのものであり、真如や一如とも言われる。
🟨阿弥陀仏は、この形なき一如から、人々を救うために、様々な姿を示し現わしてくださるのである。
🟥(2)引文(経典5文)
🟨引文1️⃣『大経』第11願文
⭕️わたしが仏になったとき、わたしの国の人々が正定聚の位にあり、必ずさとりに至ることができないようなら、わたしは決してさとりを開くまい。
🟨引文2️⃣『如来会』第11願文
⭕️わたしが仏になったとき、わたしの国の人々が間違いなく等正覚(正定聚)を成就し、大涅槃をさとらなかったなら、決してさとりを開くまい。
🟨引文3️⃣『大経』第11願成就文
⭕️浄土に生れる人々は、すべて正定聚の位にある。なぜなら、阿弥陀仏の浄土には、邪定聚や不定聚の者は、いないからである。
🟨引文4️⃣『大経』平等法身の文 (滅度の内容を証する文として引用)
⭕️阿弥陀仏の国(浄土)では、すべてのものが、自然虚無の身・無極の体(極まり無くすぐれたさとりの身)を得る。
【余方に因順するが故に(浄土以外の国に因り順(したがって)人天の名あり】
🟨引文5️⃣『如来会』第11願成就文
⭕️浄土に往生する人々は、皆すべて正定聚のものであり、浄土で必ずこの上ないさとりをきわめ、涅槃に至るであろう。
🔷なぜなら、邪定聚や不定聚のものは、仏が浄土に往生する因を設けられたことを知らないので、往生することができないからである。
🌃🟨「浄土の正定聚」について
⭕️親鸞聖人は基本的には、正定聚を現生で受け止めておられる【「信巻」現生十益の第十】
🟨「十には正定聚に入る益なり」 (251)
⭕️「証巻」真実証釈
🟨「往相回向の心行を獲れば、即の時に大乗正定聚の数に入る」 (307)。
🔷しかし「証巻」引文1・2・3は、明らかに浄土の正定聚である。
🔶これをどのように受け取ったらいいか。
🟨✡️①普賢晃寿『顕浄土真実証文類講讚』 (49)
⭕️正定聚を当益として見る場合は、広門示現の相で、浄土の果相としてである。
🔷正定即滅度であり、従果降因の相を示すものである。
🔶従因至果の現生の正定聚とおもむきを異にするというべきである。
🔷したがって正定聚に現益と当益の二面があるが、矛盾するものではないというべきである。【※広門示現の相: 仏のさとりを開いたものが、広く様々に示し現したすがた】
🟨✡️②金子大栄『教行信証講読 信証巻』(382~383)
⭕️如来が「国中の人天、定聚に住し」と願われしことは、衆生の領解よりすれば、定聚に住することに於て、国中人天たらしめらるといふべきであろう。
⭕️正定聚に住することは、此の世にありて浄土の人たらしめらる事である。
🟨✡️③星野元豊『講解 教行信証信(続)証の巻』 (1129)
⭕️正定聚の者は煩悩の現実に在りながら、裏面から逆説的に浄土にささえられて、浄土の中に在るのである。
🟨✡️④梯實圓『「証文類」講讚』(24)
⭕️親鸞聖人は、浄土において阿弥陀仏の法座に連なっている人達を大会衆とし、その大会衆の数に入ることが浄土の正定聚の位であると見ます。
🔷そうすると私達は、この世にありながら、凡夫の位でありながら、念仏を聞いている。
🔷念仏を聞いているということは、阿弥陀仏の説法を聞いているということだから、
🔷『無量寿経』の法義を聞き、念仏を申している者は、阿弥陀仏の説法の会座に連なっているのと同じ意味を持っているということになります。
🔷現生において、浄土の聖衆と同じくしている。だから大会衆の数に入ると言えるとおっしゃるのです。(中略)
🔷浄土において阿弥陀仏の説法を聴聞している浄土の菩薩と、 この世で念仏を申している者とは、基本的には同じ位置にある。
🟨引文6️⃣ (ここから今回の範囲)
⭕️『論註』①-1「妙声功徳成就」
✡️【原文】✡️
🟨【7】『浄土論』(論註・下)にいはく、
🟨〈荘厳妙声功徳成就とは、『偈』に《梵声悟深遠 微妙聞十方》といへるが故に) (浄土論)と。
🟨これいかんぞ不思議なるや。『経』にのたまはく、
🟨〈もし人、ただ彼の国土の清浄安楽なるを聞きて、剋念して生ぜんと願ぜんものと、また往生を得るものとは、即ち正定聚に入る〉と。
🟨これは、これ国土の名字、仏事をなす。いづくんぞ思議すべきやと。
🌃【訳】🌃
🟨【7】『往生論註』にいわれている。
🟨「〈妙声功徳成就とは、願生偈に《清らかなさとりの声は実に奥深くすぐれていて、すべての世界に響きわたる》といっていることである〉と『浄土論』に述べられている。
🟨これが、どうして不思議なのであろうか。経典に〈阿弥陀仏の浄土が浄く安らかであることを聞いて、他力の信を得て往生したいと願うものと、また往生したものとは、共に正定聚に入る〉と説かれている。
🟨これはその浄土の名が衆生を救うはたらきをするのである。どうして思いはかることができようか。
🟦【語句】🟦
🟨[荘厳妙声功徳成就〕 国土荘厳十七種の第十一荘厳。
(※荘厳: うるわしく身や国土をかざること)
⭕️浄土のすぐれた名(安楽浄土という名)が、十方に聞こえ、衆生救済(仏事)をするということ。
🌠※三厳二十九種荘厳: 天親菩薩の『浄土論』に説かれる浄土のうるわしい相で、
🟨国土荘厳十七種・
🟨仏荘厳八種・
🟨菩薩荘厳四種の二十九種の荘厳のこと。
🌃〔梵声悟深遠 微妙聞十方〕
⭕️「梵声の悟 深遠にして微妙なり。十方に聞ゆ」
🟨※梵声: 清浄な仏の声のこと(清らかなさとりの声は実に奥深くすぐれていて、すべての世界に響きわたる)
🟨※「梵声、悟らしむること深遠にして微妙なり。十方に聞こゆ」『浄土論』『七祖篇』30)
✡️[剋念]⏩️➡️心を専注して一心になること(元々の意は、念いを刻むこと)。
🔷ここでは信心の異名。
✡️[仏事]➡️⏩️
🟨①仏が衆生を救済する仕事、すなわち衆生教化のはたらきのこと。
🟨②法要などの仏教儀礼全般のこと。
※「国土の名字、仏事をなす」: 浄土の名が衆生教化のはたらきをするということ。
🟦🌃金子大栄『教行信証講読 信証巻』(387)
🟨如来は浄土の声(け)に於て、衆生をして願生せしめ、
🟨浄土の声に於て、称名念仏せしめ、
🟨浄土の声に於て、自力の心を離れしめ、
🟨浄土の声に於て、正定聚に入らしむるのである。
✡️【解説】✡️
⭕️現生正定聚を明かし、彼土における成仏を証するものである。(普賢54)
🟨浄土の名 (=弥陀の名号)が衆生を救うはたらきをすることを明かす
✡️「『浄土論』にいはく」について〉
⭕️ここは『論註』の文。→『論註』(釈)を『浄土論』(論)と同格に扱っている。
🟥経(仏):言(ノタマハ)く
🟥論(菩薩):曰(仏)く
🟥釈(高僧):云(仏)く
🌃[イ]〈「剋念願生、亦得往生、即入正定聚」の読み替えについて〉
⏩️『論註』当分
🟨剋念して生ぜんと願ずれば、また往生を得て、すなはち正定聚に入る
🔷※剋念願生する者が、浄土に往生して正定聚に入る
⭕️親鸞聖人
🟨剋念して生ぜんと願ぜんものと、また往生を得るものとは、すなはち正定聚に入る
✡️ ※剋念願生する者(此土)と浄土に往生した者(彼土)との二種の正定聚があることを示す
✡️ 『一念多念文意』(681)
🟨この文のこころは「もし人、ひとへにかの国の清浄安楽なるを聞きて、剋念して生れんと願ふ人と、またすでに往生を得たる人も、即ち正定聚に入るなり」。
🟨これはこれ、かの国の名字を聞くに、定めて仏事をなす。いづくんぞ思議すべきや」とのたまへるなり。
🟨安楽浄土の不可称・不可説・不可思議の徳を求めず、知らざるに、信ずる人に得しむと知るべしとなり。
🔷🟥この文の意味は、
🟨「ひとえに阿弥陀仏の浄土が清く安らかであることを聞いて、他力の信を得て往生しようと願うものも、
🟨また既に往生したものも、ただちに正定聚の位に入るのである。
🟨これは、阿弥陀仏の国土の名を聞くなら、その名が必ず人々を救う仏のはたらきをしている、ということである。
🟨そのようなすぐれた功徳を思いはからうことなど、どうしてできようか」といわれているのである。
🟨安楽浄土のたたえ尽くすことも、説き尽くすことも、心で思いはかることもできない功徳を、
🟨求めなくても、知らなくても、本願を信じる人に得させてくださると心得なさいということである。
⭕️『論註』①-2「主功徳成就」
✡️【原文】✡️
🟨〈荘厳主功徳成就とは、『偈』に《正覚阿弥陀 法王善住持》といへるが故に〉 (浄土論)と。
🟨これいかんが不思議なるや。正覚の阿弥陀、不可思議にまします。
🟨かの安楽浄土は正覚阿弥陀の善力のために住持せられたり。いかんが思議することを得べきや。
🟨〈住)は不異不滅に名づく、〈持〉は不散不失に名づく。
🟨不朽薬をもつて種子に塗りて、水に在くに瀾れず、火に在くに焦れず。因縁を得て即ち生ずるが如し。
🟨何をもつての故に。不朽薬の力なるが故なり。
🟨もし人、ひとたび安楽浄土に生ずれば、後の時に意に三界に生れて衆生を教化せんと願じて、
🟨浄土の命を捨てて、願に随ひて生を得て、三界雑生の火の中に生るといへども、無上菩提の種子、畢竟じて朽ちず。
🟨何をもつての故に、正覚阿弥陀のよく住持を経るをもつての故にと。
✡️【訳】✡️
🟨また〈主功徳成就とは、願生偈に《阿弥陀仏が法王として、すぐれた力で住持しておられる》 といっていることである〉と『浄土論』に述べられている。
🟨これが、どうして不思議なのであろうか。
🟨阿弥陀仏は衆生のはからいを超えておられる。
🟨浄土は、この阿弥陀仏のすぐれた力によって住持されているのである。
🟨どうして思いはかることができようか。
🟨〈住〉とは変わらず、滅しないことをいい、
🟨〈持〉とは散失しないことをいうのである。
🟨たとえば、不朽薬を種に塗ると、水の中でも腐らず、火の中でも焦げず、
🟨条件がそろえば芽を出すのと同じである。
🟨なぜなら、不朽薬のはたらきによるからである。
🟨ひとたび浄土に生れたなら、その人が後に迷いの世界に戻って衆生を導きたいと願い、浄土を離れて、
🟨その願いの通りに迷いの世界の火の中に生れても、この上ない、さとりの種は決して朽ちることはないのである。
🟨なぜなら、阿弥陀仏のすぐれた住持の力をすでに受けているからである。
✡️【語句】✡️
🌃[荘厳主功徳成就】
🟨国土荘厳十七種の第十二荘厳。
⭕️浄土は主仏である阿弥陀仏によって住持される世界であるということ。
🌃〔正覚阿弥陀法王善住持〕
⭕️「正覚の阿弥陀法王、よく住持したまへり」
🟨※住持: とどめたもち、ささえること。
🟨 (阿弥陀仏が法王として、すぐれた力で住持しておられる)
✡️[不朽薬] ⏩️➡️朽ちることをなくするはたらきをもつ薬。
✡️[三界]⏩️➡️欲界・色界・無色界の三つ。衆生が生死流転する迷いの世界を3種に分類したもの。
✡️[雑生] ⏩️➡️有漏の善悪の雑業により、胎・卵・湿・化の四生を受けること。迷いの境界に生れること。
✡️【解説】✡️
⭕️浄土の証果は阿弥陀仏の善く住持したもうことを不朽薬の喩で示すものである。(普賢56)
🟨 (また、証果に還相の悲用が具せられてあることが教示されている)
🟨 (往還の根源に弥陀住持の力)
⭕️『論註』①-3「眷属功徳成就」
✡️【原文】✡️
🟨荘厳眷属功徳成就とは、『偈』に、《如来浄華衆正覚華化生》といへるが故に)(浄土論) と。
🟨これいかんぞ不思議なるや。
🟨おほよそ、これ雑生の世界には、もしは胎、もしは卵、もしは湿、もしは化、眷属そこぱくなり。苦楽万品なり。
🟨雑業をもつての故に。
🟨かの安楽国土は、これ阿弥陀如来 正覚浄華の化生するところにあらざることなし。
🟨同一に念仏して別の道なきが故に。遠く通ずるに、それ四海のうち皆、兄弟とするなり。
🟨眷属無量なり。いづくんぞ思議すべきや」と。
✡️【訳】✡️
🟨また眷属功徳成就とは、願生偈に《浄土の清浄の人々は、みな阿弥陀仏のさとりの花から化生する》といっていることである〉と『浄土論』に述べられている。
🟨これがどうして不思議なのであろうか。この迷いの世界には、胎生や卵生や湿生や化生という生れ方をする多くのものがいて、そこで受ける苦も楽も千差万別である。
🟨それは様々な迷いの行いに応じて生れるからである。
🟨しかし、浄土への往生は、みな阿弥陀仏の清らかなさとりの花からの化生である。
🟨それは同じ念仏によって生れるのであり、その他の道によるのではないからである。
🟨そこで、遠くあらゆる世界に通じて、念仏するものはみな兄弟となるのであり、浄土の仲間は数限りない。
🟨どうして思いはかることができようか。
✡️【語句】✡️
🌃[荘厳眷属功德成就〕
🟨 国土荘厳十七種の第十三荘厳。
🟨※眷属:
🔷①親族。なかま。
🔷②仏・菩薩につき従う者。仏弟子。浄土の聖者。
⭕️浄土へ往生するものは、阿弥陀仏の正覚の華より生れるから優劣の差がないということ。
🌃〔如来浄華衆正覚華化生〕
⭕️「如来浄華の衆は、正覚の華より化生す」
🟨 (浄土の清浄の人々は、みな阿弥陀仏のさとりの花から化生する)
✡️[そこばく] ➡️相当の数量。
✡️[苦楽万品]➡️ 苦も楽も千差万別(センサマンベツ)であること。
🌃[正覚浄華の化生)
🟨阿弥陀仏と同体のさとりをひらくこと。
🟨浄華とは仏の座のことで、如来正覚の仏座に化生するという意。
✡️〔四海] ➡️須弥山をとりまく四方の海。全世界をいう。転じて世界の人々を指す。
🌃梯實圓『「証文類」講讚』(52)
🟨「違く通ずるに、それ四海のうち皆、兄弟なりとするなり。眷属無量なり。いづくんぞ思議すべきや」とある、
🟨その言葉によって、此土において念仏する者は浄土の眷属であると理解できる
✡️【解説】✡️
⭕️念仏者はすべて同一に念仏し、同じ仏果を得るのであり、別の道は存しない。
🟨よって、 遠くあらゆる世界に通じて、念仏するものはみな兄弟となるのであり、浄土の仲間は数限りない
🟦引文【7】『論註』②「大義門功徳成就」(一味)
✡️【原文】✡️
🟨【8】またいはく(論註・下)、「往生を願ふもの、本はすなはち三三の品なれども、今は一二の殊なし。
🟨また淄濯の一味なるが如し。いづくんぞ思議すべきや」と。
✡️【訳】✡️
🟨【8】 また次のようにいわれている(『往生論註』)。
🟨「浄土への往生を願うものは、この世では九品の違いはあっても、往生してからは何の違いもない。
🟨それは淄と滝の川の水も海に入れば、一つの味になるようなものである。
🟨どうして思いはかることができようか」
🟨【語句】
✡️[三三の品] ⏩️➡️九品のこと。
⭕️『観経』に説かれる九つの階位のこと。阿弥陀仏の浄土への往生を願う衆生を、修めるべき行の程度によって、
🔷上品上生・上品中生・上品下生・中品上生・中品中生・中品下生・下品上生・下品中生・下品下生に分類したもので、
🔷それぞれに異なる臨終の様子や、往生後の得益が説かれている。
🌃[淄縄の一味なるがごとし]
⭕️淄(シ)とは、斉(セイ)の国(現在の中国山東省)にあった淄水(シスイ)と、縄水(ジョウスイ)という二河の名。
🔷二河の水の味は異なるが、海に入れば、同じ塩からい水になるように、
🔷往生の機に九品の別があっても、同じ念仏の一道によって往生すれば、平等の果を得るという意。
✡️【解説】✡️
⭕️浄土願生の行者は、現生においては九品の差別相があるが、浄土に往生すれば、同一の証果を得るのであり、無差別平等の妙果を証する釈文である。(普賢57)
🟨🟥[7]《大義門功徳成就の文〉
🌃[荘厳大義門功徳成就】
🟨 国土荘厳十七種の第十六荘厳。
🔷※大義門:大乗界のこと。
⭕️浄土は大乗善根界であって、すべてのものに平等にさとりを開かせる土徳がそなわっている世界であるということ。
🟨〈同一念仏の浄土往生は、同一の平等の仏果を得る〉
⭕️直前の眷属功徳の文と、この大義門功徳の文を、直結して引用されていることより。
🌃『入出二門偈』(545)
🟨(眷属功徳の文と、大義門功徳の文のを趣意し、直結して一連の儀としている)
🟨如来浄華のもろもろの聖衆は、法蔵正覚の華より化生す。
🟨諸機は、もと則ち三三の品なれども、今は一二の殊異なし。
🟨同一に念仏して別の道なければなり、なお淄滝の一味なるが如きなり。
🟨(清らかな浄土に生れる人々は皆、法蔵菩薩が成就したさとりの花から化生する。
🟨もとは九品の違いがあっても、往生してからは何の違いもない。
🟨なぜなら、同じ念仏によって生れるのであり、その他の道によるのではないからである。
🟨それは、淄川の水も滝川の水も海に入れば、一つの味になるようなものである。
🟦引文【8】『論註』③「清浄功徳成就」
✡️【原文】✡️
🟨【9】また『論』(同・下)にいはく、
🟨〈荘厳清浄功徳成就とは、『偈』に《観彼世界相 勝過三界道》といへるが故に) (浄土論)と。
🟨これいかんぞ不思議なるや。凡夫人の煩悩成就せるありて、またかの浄土に生ずることを得れば、三界の繋業、畢竟じて牽かず。
🟨即ちこれ煩悩を断ぜずして涅槃分を得。いづくんぞ思議すべきや」と。(以上、抄要)
✡️【訳】✡️
🟨【9】 また次のようにいわれている『往生論註』。
🟨「清浄功徳成就とは、願生偈に《浄土のあり方を観ずると、迷いの世界を超えている》といっていることである〉と『浄土論』に述べられている。
🟨これがどうして不思議なのであろうか。
🟨あらゆる煩悩をそなえた凡夫が、阿弥陀仏の浄土に生れると、迷いの世界につなぎとめる、これまでの行いも、もはやその力を失う。
🟨これは、自ら煩悩を断ち切らずに、そのまま浄土で涅槃のさとりを得るということである。
🟨どうして思いはかることができようか」
✡️【語句】✡️
🌃〔荘厳清浄功徳成就〕
⏩️ 国土荘厳十七種の第一荘厳。(順番を入れ替え、締めくくりとしている)
⭕️清浄功徳は、三厳二十九種荘厳、すべてに通じる功徳である。
⏩️➡️清浄とは真実の意味。
🌃〔観彼世界相 勝過三界道〕
⭕️🟨「かの世界の相を観ずるに、三界の道に勝過せり」
🟨(浄土のあり方を観ずると、迷いの世界を超えている)
✡️[繋業]➡️⏩️ 衆生を迷いの世界に繋ぎ止める煩悩のまじった行為
✡️[涅槃分] ➡️⏩️涅槃の分斉(ブンザイ)。涅槃のさとり、そのもの。
🟨※涅槃分
➡️⏩️涅槃の分斉: ✡️完全な、さとりの境界
➡️⏩️涅槃の一分:✡️一部分をさとった状態・初地・正定聚
🔷「分位」(涅槃のさとりの一番最初の位)・「因分」ということもある)
✡️【解説】✡️
⭕️安楽浄土の自然の徳として、信心の行者は煩悩具足のままで浄土に往生し、
🔷煩悩を断ぜずして、自然に涅槃の証果を、浄土の土徳として得せしめられることを説示されたものといえよう。(普賢59)
✡️『入出二門偈』(549)
🟨この信心をもつて、一心と名づく。
🟨煩悩成就せる凡夫、煩悩を断ぜずして涅槃を得、即ちこれ安楽自然の徳なり。
🟨(この信心を一心という。あらゆる煩悩をそなえた凡夫が、自ら煩悩を断ち切らないまま、さとりを得る身となる。これは安楽浄土にそなわる自然の徳なのである。)
以上
【終了】















🗾『教行信証』の輪読と講義🗾|本願寺派京都教区教務所(顕道会館)
🗾【公開講座】午後1時~3時
🗾内容:『教行信証』の輪読と講義
🗾講師:龍谷大学非常勤講師
小池 秀章 師
………………………✴️✴️…………………
⏩️小池秀章先生より、教行信証証巻の解説を分かりやすく教えて頂きました。
………………………✴️✴️…………………
🟨2026.3.8
🗾京都地区つどいの会 「教行信証の輪読と講義」 (102回目)
🟥🌄「証巻(証文類)」 その3
1️⃣🟨「証巻」の構成
⏩️「標挙(必至滅度の願 難思議往生)
⭕️題号(顯浄土真実証文類四)
⭕️撰号(愚禿釈親鸞集)
【本文】
🟥1️⃣往相の証果
🟨(1) 真実の証を顕す【御自釈】【一】
🟨(2)引文【経典5文・『論註』3文・『安楽集』1文・『観経硫』2文】
⏩️『論註』
🟥①-1🔷妙声功徳成就
🟥①-2🔷主功徳成就
🟥①-3🔷眷属功德成就
⏩️『論註』🟥②大義門功徳成就
⏩️『論註』🟥③清浄功德成就
🟨(3)四法結釈【御自釈】【一三】
🟥2️⃣還相の悲用
🟨(1) 還相回向を顕す 【御自釈】 【一四】
🟨(2)引文『浄土論』1文・『論註』2文
🟥3️⃣往還結釈【御自釈】【一八】
➡️尾題(顕浄土真実証文類 四)
🟨2️⃣本文(1.往相の証果)
🟥(1) 真実の証を顕す【御自釈】
⭕️真実の証(さとり)とは、他力によって与えられた功徳が円かに満ちている妙なる仏の位であり、この上ないさとりである究極の仏果である。
🟨そして、そのさとりは、阿弥陀仏の第11願 (必至滅度の願・証大涅槃の願)によって与えられ、完成されたものである。
🟨煩悩だらけの凡夫も、阿弥陀仏から回向された信と行を得れば、即時に正定聚(正しく仏に成ることが定まった仲間)に入り、浄土で必ず滅度(さとり)に至る。
🟨この滅度は、ありのままの在り方、絶対究極の真実、そのものであり、真如や一如とも言われる。
🟨阿弥陀仏は、この形なき一如から、人々を救うために、様々な姿を示し現わしてくださるのである。
🟥(2)引文(経典5文)
🟨引文1️⃣『大経』第11願文
⭕️わたしが仏になったとき、わたしの国の人々が正定聚の位にあり、必ずさとりに至ることができないようなら、わたしは決してさとりを開くまい。
🟨引文2️⃣『如来会』第11願文
⭕️わたしが仏になったとき、わたしの国の人々が間違いなく等正覚(正定聚)を成就し、大涅槃をさとらなかったなら、決してさとりを開くまい。
🟨引文3️⃣『大経』第11願成就文
⭕️浄土に生れる人々は、すべて正定聚の位にある。なぜなら、阿弥陀仏の浄土には、邪定聚や不定聚の者は、いないからである。
🟨引文4️⃣『大経』平等法身の文 (滅度の内容を証する文として引用)
⭕️阿弥陀仏の国(浄土)では、すべてのものが、自然虚無の身・無極の体(極まり無くすぐれたさとりの身)を得る。
【余方に因順するが故に(浄土以外の国に因り順(したがって)人天の名あり】
🟨引文5️⃣『如来会』第11願成就文
⭕️浄土に往生する人々は、皆すべて正定聚のものであり、浄土で必ずこの上ないさとりをきわめ、涅槃に至るであろう。
🔷なぜなら、邪定聚や不定聚のものは、仏が浄土に往生する因を設けられたことを知らないので、往生することができないからである。
🌃🟨「浄土の正定聚」について
⭕️親鸞聖人は基本的には、正定聚を現生で受け止めておられる【「信巻」現生十益の第十】
🟨「十には正定聚に入る益なり」 (251)
⭕️「証巻」真実証釈
🟨「往相回向の心行を獲れば、即の時に大乗正定聚の数に入る」 (307)。
🔷しかし「証巻」引文1・2・3は、明らかに浄土の正定聚である。
🔶これをどのように受け取ったらいいか。
🟨✡️①普賢晃寿『顕浄土真実証文類講讚』 (49)
⭕️正定聚を当益として見る場合は、広門示現の相で、浄土の果相としてである。
🔷正定即滅度であり、従果降因の相を示すものである。
🔶従因至果の現生の正定聚とおもむきを異にするというべきである。
🔷したがって正定聚に現益と当益の二面があるが、矛盾するものではないというべきである。【※広門示現の相: 仏のさとりを開いたものが、広く様々に示し現したすがた】
🟨✡️②金子大栄『教行信証講読 信証巻』(382~383)
⭕️如来が「国中の人天、定聚に住し」と願われしことは、衆生の領解よりすれば、定聚に住することに於て、国中人天たらしめらるといふべきであろう。
⭕️正定聚に住することは、此の世にありて浄土の人たらしめらる事である。
🟨✡️③星野元豊『講解 教行信証信(続)証の巻』 (1129)
⭕️正定聚の者は煩悩の現実に在りながら、裏面から逆説的に浄土にささえられて、浄土の中に在るのである。
🟨✡️④梯實圓『「証文類」講讚』(24)
⭕️親鸞聖人は、浄土において阿弥陀仏の法座に連なっている人達を大会衆とし、その大会衆の数に入ることが浄土の正定聚の位であると見ます。
🔷そうすると私達は、この世にありながら、凡夫の位でありながら、念仏を聞いている。
🔷念仏を聞いているということは、阿弥陀仏の説法を聞いているということだから、
🔷『無量寿経』の法義を聞き、念仏を申している者は、阿弥陀仏の説法の会座に連なっているのと同じ意味を持っているということになります。
🔷現生において、浄土の聖衆と同じくしている。だから大会衆の数に入ると言えるとおっしゃるのです。(中略)
🔷浄土において阿弥陀仏の説法を聴聞している浄土の菩薩と、 この世で念仏を申している者とは、基本的には同じ位置にある。
🟨引文6️⃣ (ここから今回の範囲)
⭕️『論註』①-1「妙声功徳成就」
✡️【原文】✡️
🟨【7】『浄土論』(論註・下)にいはく、
🟨〈荘厳妙声功徳成就とは、『偈』に《梵声悟深遠 微妙聞十方》といへるが故に) (浄土論)と。
🟨これいかんぞ不思議なるや。『経』にのたまはく、
🟨〈もし人、ただ彼の国土の清浄安楽なるを聞きて、剋念して生ぜんと願ぜんものと、また往生を得るものとは、即ち正定聚に入る〉と。
🟨これは、これ国土の名字、仏事をなす。いづくんぞ思議すべきやと。
🌃【訳】🌃
🟨【7】『往生論註』にいわれている。
🟨「〈妙声功徳成就とは、願生偈に《清らかなさとりの声は実に奥深くすぐれていて、すべての世界に響きわたる》といっていることである〉と『浄土論』に述べられている。
🟨これが、どうして不思議なのであろうか。経典に〈阿弥陀仏の浄土が浄く安らかであることを聞いて、他力の信を得て往生したいと願うものと、また往生したものとは、共に正定聚に入る〉と説かれている。
🟨これはその浄土の名が衆生を救うはたらきをするのである。どうして思いはかることができようか。
🟦【語句】🟦
🟨[荘厳妙声功徳成就〕 国土荘厳十七種の第十一荘厳。
(※荘厳: うるわしく身や国土をかざること)
⭕️浄土のすぐれた名(安楽浄土という名)が、十方に聞こえ、衆生救済(仏事)をするということ。
🌠※三厳二十九種荘厳: 天親菩薩の『浄土論』に説かれる浄土のうるわしい相で、
🟨国土荘厳十七種・
🟨仏荘厳八種・
🟨菩薩荘厳四種の二十九種の荘厳のこと。
🌃〔梵声悟深遠 微妙聞十方〕
⭕️「梵声の悟 深遠にして微妙なり。十方に聞ゆ」
🟨※梵声: 清浄な仏の声のこと(清らかなさとりの声は実に奥深くすぐれていて、すべての世界に響きわたる)
🟨※「梵声、悟らしむること深遠にして微妙なり。十方に聞こゆ」『浄土論』『七祖篇』30)
✡️[剋念]⏩️➡️心を専注して一心になること(元々の意は、念いを刻むこと)。
🔷ここでは信心の異名。
✡️[仏事]➡️⏩️
🟨①仏が衆生を救済する仕事、すなわち衆生教化のはたらきのこと。
🟨②法要などの仏教儀礼全般のこと。
※「国土の名字、仏事をなす」: 浄土の名が衆生教化のはたらきをするということ。
🟦🌃金子大栄『教行信証講読 信証巻』(387)
🟨如来は浄土の声(け)に於て、衆生をして願生せしめ、
🟨浄土の声に於て、称名念仏せしめ、
🟨浄土の声に於て、自力の心を離れしめ、
🟨浄土の声に於て、正定聚に入らしむるのである。
✡️【解説】✡️
⭕️現生正定聚を明かし、彼土における成仏を証するものである。(普賢54)
🟨浄土の名 (=弥陀の名号)が衆生を救うはたらきをすることを明かす
✡️「『浄土論』にいはく」について〉
⭕️ここは『論註』の文。→『論註』(釈)を『浄土論』(論)と同格に扱っている。
🟥経(仏):言(ノタマハ)く
🟥論(菩薩):曰(仏)く
🟥釈(高僧):云(仏)く
🌃[イ]〈「剋念願生、亦得往生、即入正定聚」の読み替えについて〉
⏩️『論註』当分
🟨剋念して生ぜんと願ずれば、また往生を得て、すなはち正定聚に入る
🔷※剋念願生する者が、浄土に往生して正定聚に入る
⭕️親鸞聖人
🟨剋念して生ぜんと願ぜんものと、また往生を得るものとは、すなはち正定聚に入る
✡️ ※剋念願生する者(此土)と浄土に往生した者(彼土)との二種の正定聚があることを示す
✡️ 『一念多念文意』(681)
🟨この文のこころは「もし人、ひとへにかの国の清浄安楽なるを聞きて、剋念して生れんと願ふ人と、またすでに往生を得たる人も、即ち正定聚に入るなり」。
🟨これはこれ、かの国の名字を聞くに、定めて仏事をなす。いづくんぞ思議すべきや」とのたまへるなり。
🟨安楽浄土の不可称・不可説・不可思議の徳を求めず、知らざるに、信ずる人に得しむと知るべしとなり。
🔷🟥この文の意味は、
🟨「ひとえに阿弥陀仏の浄土が清く安らかであることを聞いて、他力の信を得て往生しようと願うものも、
🟨また既に往生したものも、ただちに正定聚の位に入るのである。
🟨これは、阿弥陀仏の国土の名を聞くなら、その名が必ず人々を救う仏のはたらきをしている、ということである。
🟨そのようなすぐれた功徳を思いはからうことなど、どうしてできようか」といわれているのである。
🟨安楽浄土のたたえ尽くすことも、説き尽くすことも、心で思いはかることもできない功徳を、
🟨求めなくても、知らなくても、本願を信じる人に得させてくださると心得なさいということである。
⭕️『論註』①-2「主功徳成就」
✡️【原文】✡️
🟨〈荘厳主功徳成就とは、『偈』に《正覚阿弥陀 法王善住持》といへるが故に〉 (浄土論)と。
🟨これいかんが不思議なるや。正覚の阿弥陀、不可思議にまします。
🟨かの安楽浄土は正覚阿弥陀の善力のために住持せられたり。いかんが思議することを得べきや。
🟨〈住)は不異不滅に名づく、〈持〉は不散不失に名づく。
🟨不朽薬をもつて種子に塗りて、水に在くに瀾れず、火に在くに焦れず。因縁を得て即ち生ずるが如し。
🟨何をもつての故に。不朽薬の力なるが故なり。
🟨もし人、ひとたび安楽浄土に生ずれば、後の時に意に三界に生れて衆生を教化せんと願じて、
🟨浄土の命を捨てて、願に随ひて生を得て、三界雑生の火の中に生るといへども、無上菩提の種子、畢竟じて朽ちず。
🟨何をもつての故に、正覚阿弥陀のよく住持を経るをもつての故にと。
✡️【訳】✡️
🟨また〈主功徳成就とは、願生偈に《阿弥陀仏が法王として、すぐれた力で住持しておられる》 といっていることである〉と『浄土論』に述べられている。
🟨これが、どうして不思議なのであろうか。
🟨阿弥陀仏は衆生のはからいを超えておられる。
🟨浄土は、この阿弥陀仏のすぐれた力によって住持されているのである。
🟨どうして思いはかることができようか。
🟨〈住〉とは変わらず、滅しないことをいい、
🟨〈持〉とは散失しないことをいうのである。
🟨たとえば、不朽薬を種に塗ると、水の中でも腐らず、火の中でも焦げず、
🟨条件がそろえば芽を出すのと同じである。
🟨なぜなら、不朽薬のはたらきによるからである。
🟨ひとたび浄土に生れたなら、その人が後に迷いの世界に戻って衆生を導きたいと願い、浄土を離れて、
🟨その願いの通りに迷いの世界の火の中に生れても、この上ない、さとりの種は決して朽ちることはないのである。
🟨なぜなら、阿弥陀仏のすぐれた住持の力をすでに受けているからである。
✡️【語句】✡️
🌃[荘厳主功徳成就】
🟨国土荘厳十七種の第十二荘厳。
⭕️浄土は主仏である阿弥陀仏によって住持される世界であるということ。
🌃〔正覚阿弥陀法王善住持〕
⭕️「正覚の阿弥陀法王、よく住持したまへり」
🟨※住持: とどめたもち、ささえること。
🟨 (阿弥陀仏が法王として、すぐれた力で住持しておられる)
✡️[不朽薬] ⏩️➡️朽ちることをなくするはたらきをもつ薬。
✡️[三界]⏩️➡️欲界・色界・無色界の三つ。衆生が生死流転する迷いの世界を3種に分類したもの。
✡️[雑生] ⏩️➡️有漏の善悪の雑業により、胎・卵・湿・化の四生を受けること。迷いの境界に生れること。
✡️【解説】✡️
⭕️浄土の証果は阿弥陀仏の善く住持したもうことを不朽薬の喩で示すものである。(普賢56)
🟨 (また、証果に還相の悲用が具せられてあることが教示されている)
🟨 (往還の根源に弥陀住持の力)
⭕️『論註』①-3「眷属功徳成就」
✡️【原文】✡️
🟨荘厳眷属功徳成就とは、『偈』に、《如来浄華衆正覚華化生》といへるが故に)(浄土論) と。
🟨これいかんぞ不思議なるや。
🟨おほよそ、これ雑生の世界には、もしは胎、もしは卵、もしは湿、もしは化、眷属そこぱくなり。苦楽万品なり。
🟨雑業をもつての故に。
🟨かの安楽国土は、これ阿弥陀如来 正覚浄華の化生するところにあらざることなし。
🟨同一に念仏して別の道なきが故に。遠く通ずるに、それ四海のうち皆、兄弟とするなり。
🟨眷属無量なり。いづくんぞ思議すべきや」と。
✡️【訳】✡️
🟨また眷属功徳成就とは、願生偈に《浄土の清浄の人々は、みな阿弥陀仏のさとりの花から化生する》といっていることである〉と『浄土論』に述べられている。
🟨これがどうして不思議なのであろうか。この迷いの世界には、胎生や卵生や湿生や化生という生れ方をする多くのものがいて、そこで受ける苦も楽も千差万別である。
🟨それは様々な迷いの行いに応じて生れるからである。
🟨しかし、浄土への往生は、みな阿弥陀仏の清らかなさとりの花からの化生である。
🟨それは同じ念仏によって生れるのであり、その他の道によるのではないからである。
🟨そこで、遠くあらゆる世界に通じて、念仏するものはみな兄弟となるのであり、浄土の仲間は数限りない。
🟨どうして思いはかることができようか。
✡️【語句】✡️
🌃[荘厳眷属功德成就〕
🟨 国土荘厳十七種の第十三荘厳。
🟨※眷属:
🔷①親族。なかま。
🔷②仏・菩薩につき従う者。仏弟子。浄土の聖者。
⭕️浄土へ往生するものは、阿弥陀仏の正覚の華より生れるから優劣の差がないということ。
🌃〔如来浄華衆正覚華化生〕
⭕️「如来浄華の衆は、正覚の華より化生す」
🟨 (浄土の清浄の人々は、みな阿弥陀仏のさとりの花から化生する)
✡️[そこばく] ➡️相当の数量。
✡️[苦楽万品]➡️ 苦も楽も千差万別(センサマンベツ)であること。
🌃[正覚浄華の化生)
🟨阿弥陀仏と同体のさとりをひらくこと。
🟨浄華とは仏の座のことで、如来正覚の仏座に化生するという意。
✡️〔四海] ➡️須弥山をとりまく四方の海。全世界をいう。転じて世界の人々を指す。
🌃梯實圓『「証文類」講讚』(52)
🟨「違く通ずるに、それ四海のうち皆、兄弟なりとするなり。眷属無量なり。いづくんぞ思議すべきや」とある、
🟨その言葉によって、此土において念仏する者は浄土の眷属であると理解できる
✡️【解説】✡️
⭕️念仏者はすべて同一に念仏し、同じ仏果を得るのであり、別の道は存しない。
🟨よって、 遠くあらゆる世界に通じて、念仏するものはみな兄弟となるのであり、浄土の仲間は数限りない
🟦引文【7】『論註』②「大義門功徳成就」(一味)
✡️【原文】✡️
🟨【8】またいはく(論註・下)、「往生を願ふもの、本はすなはち三三の品なれども、今は一二の殊なし。
🟨また淄濯の一味なるが如し。いづくんぞ思議すべきや」と。
✡️【訳】✡️
🟨【8】 また次のようにいわれている(『往生論註』)。
🟨「浄土への往生を願うものは、この世では九品の違いはあっても、往生してからは何の違いもない。
🟨それは淄と滝の川の水も海に入れば、一つの味になるようなものである。
🟨どうして思いはかることができようか」
🟨【語句】
✡️[三三の品] ⏩️➡️九品のこと。
⭕️『観経』に説かれる九つの階位のこと。阿弥陀仏の浄土への往生を願う衆生を、修めるべき行の程度によって、
🔷上品上生・上品中生・上品下生・中品上生・中品中生・中品下生・下品上生・下品中生・下品下生に分類したもので、
🔷それぞれに異なる臨終の様子や、往生後の得益が説かれている。
🌃[淄縄の一味なるがごとし]
⭕️淄(シ)とは、斉(セイ)の国(現在の中国山東省)にあった淄水(シスイ)と、縄水(ジョウスイ)という二河の名。
🔷二河の水の味は異なるが、海に入れば、同じ塩からい水になるように、
🔷往生の機に九品の別があっても、同じ念仏の一道によって往生すれば、平等の果を得るという意。
✡️【解説】✡️
⭕️浄土願生の行者は、現生においては九品の差別相があるが、浄土に往生すれば、同一の証果を得るのであり、無差別平等の妙果を証する釈文である。(普賢57)
🟨🟥[7]《大義門功徳成就の文〉
🌃[荘厳大義門功徳成就】
🟨 国土荘厳十七種の第十六荘厳。
🔷※大義門:大乗界のこと。
⭕️浄土は大乗善根界であって、すべてのものに平等にさとりを開かせる土徳がそなわっている世界であるということ。
🟨〈同一念仏の浄土往生は、同一の平等の仏果を得る〉
⭕️直前の眷属功徳の文と、この大義門功徳の文を、直結して引用されていることより。
🌃『入出二門偈』(545)
🟨(眷属功徳の文と、大義門功徳の文のを趣意し、直結して一連の儀としている)
🟨如来浄華のもろもろの聖衆は、法蔵正覚の華より化生す。
🟨諸機は、もと則ち三三の品なれども、今は一二の殊異なし。
🟨同一に念仏して別の道なければなり、なお淄滝の一味なるが如きなり。
🟨(清らかな浄土に生れる人々は皆、法蔵菩薩が成就したさとりの花から化生する。
🟨もとは九品の違いがあっても、往生してからは何の違いもない。
🟨なぜなら、同じ念仏によって生れるのであり、その他の道によるのではないからである。
🟨それは、淄川の水も滝川の水も海に入れば、一つの味になるようなものである。
🟦引文【8】『論註』③「清浄功徳成就」
✡️【原文】✡️
🟨【9】また『論』(同・下)にいはく、
🟨〈荘厳清浄功徳成就とは、『偈』に《観彼世界相 勝過三界道》といへるが故に) (浄土論)と。
🟨これいかんぞ不思議なるや。凡夫人の煩悩成就せるありて、またかの浄土に生ずることを得れば、三界の繋業、畢竟じて牽かず。
🟨即ちこれ煩悩を断ぜずして涅槃分を得。いづくんぞ思議すべきや」と。(以上、抄要)
✡️【訳】✡️
🟨【9】 また次のようにいわれている『往生論註』。
🟨「清浄功徳成就とは、願生偈に《浄土のあり方を観ずると、迷いの世界を超えている》といっていることである〉と『浄土論』に述べられている。
🟨これがどうして不思議なのであろうか。
🟨あらゆる煩悩をそなえた凡夫が、阿弥陀仏の浄土に生れると、迷いの世界につなぎとめる、これまでの行いも、もはやその力を失う。
🟨これは、自ら煩悩を断ち切らずに、そのまま浄土で涅槃のさとりを得るということである。
🟨どうして思いはかることができようか」
✡️【語句】✡️
🌃〔荘厳清浄功徳成就〕
⏩️ 国土荘厳十七種の第一荘厳。(順番を入れ替え、締めくくりとしている)
⭕️清浄功徳は、三厳二十九種荘厳、すべてに通じる功徳である。
⏩️➡️清浄とは真実の意味。
🌃〔観彼世界相 勝過三界道〕
⭕️🟨「かの世界の相を観ずるに、三界の道に勝過せり」
🟨(浄土のあり方を観ずると、迷いの世界を超えている)
✡️[繋業]➡️⏩️ 衆生を迷いの世界に繋ぎ止める煩悩のまじった行為
✡️[涅槃分] ➡️⏩️涅槃の分斉(ブンザイ)。涅槃のさとり、そのもの。
🟨※涅槃分
➡️⏩️涅槃の分斉: ✡️完全な、さとりの境界
➡️⏩️涅槃の一分:✡️一部分をさとった状態・初地・正定聚
🔷「分位」(涅槃のさとりの一番最初の位)・「因分」ということもある)
✡️【解説】✡️
⭕️安楽浄土の自然の徳として、信心の行者は煩悩具足のままで浄土に往生し、
🔷煩悩を断ぜずして、自然に涅槃の証果を、浄土の土徳として得せしめられることを説示されたものといえよう。(普賢59)
✡️『入出二門偈』(549)
🟨この信心をもつて、一心と名づく。
🟨煩悩成就せる凡夫、煩悩を断ぜずして涅槃を得、即ちこれ安楽自然の徳なり。
🟨(この信心を一心という。あらゆる煩悩をそなえた凡夫が、自ら煩悩を断ち切らないまま、さとりを得る身となる。これは安楽浄土にそなわる自然の徳なのである。)
以上
【終了】














