「ただひたすら坐る」
鎌倉時代の禅僧、曹洞宗を開いた道元の言葉。
坐り続けてもなんの意味もない、
明日病気になるかもしれない、
それでも坐り続けなさい、
そうするうちに見えてくるものがある
「只管人生」
ただひたすら「生きる」
人生の目的や生きる意味などあってもなくてもいい
ただ生きていくこと、
それだけでいい
今日一日、明日一日をただ生きていく
生きることにただ専念してとにかく生きる
みっともなくても生きる
苦しくても生きる
自分で命を投げ出したりしないで
枯れたりせずに生きる
失敗した人生も、平凡な人生も、
成功した人生でも、どんな人生であっても、
それぞれが与えられた宿命と運命にの中で必死に闘って生きている。
人生は修行であり、
生きることに結論も結果もない
只管人生、
ただひたすら人生を生きる
その先に、きっと何かが見えてくる。
そして気づくことがある。
……
そんな深い意味がこの4文字に含まれてるんだよねー。
深すぎる( ˙-˙ ; )
私も最近は薄〜い幸せの中で生きてるから
この只管打坐の言葉がスッと入ってきた。
ただ生きてるだけで十分幸せなんだって気づくの。
自分の体が動いてブログ書いてるのも
心臓や内臓が緻密に動いてくれてるおかげだし、
呼吸するのでも肺が酸素吸って二酸化炭素吐き出してるおかげ。
体が動くって、当たり前なんかじゃないんだよね。
「奇跡」
私はそう思うよ^ ^
自然に感謝が生まれてくる。
そして「生きること」こそ素晴らしくて
十分に幸せであることに気づく。
今がどんな悪環境であっても
思う通りの結果じゃなかったとしても
自分の中にある「幸せ」を探して見つけて
「私って結構幸せじゃん」って選択をすることもできる。
只管打坐って、
「気づく」ことなのかなーって思う。
今あるもの、
今持ってるものを数えてごらんって言われてるみたい^ ^
もちろん生きてれば嫌なこともあるし
腹がたつこと、
機嫌が悪い日だってある。
心もブレる。
普通です。
ない方がおかしい。
でもそのたびに「気づく」ことも大切なんだなー。
目の前に現れた問題や悩みは、
私に何を示してるのか。
どんなメッセージを伝えたいのか。
なんとなーく感じていく。
問題や悩みを
正誤でジャッジするのではなくて
ただ
「感じてみる」
「じーっと見つめる」
自分が感じてる感情を否定しないで全部ゆるしていく。
そしたら
いつのまにか
軽くなってたりする。
そんな時って
何かに気づいたとき。
「大丈夫だったんだ…」
ここに気づくと問題だと思ってたことも
シュワーっと消えていく。
面白いね^ ^
