2017/12/9(土) 鹿児島滞在2日目

 

 

 

束の間のひとり自由行動ということで、続きましても市内中心地を散策好ハート星

歴史と文化の道(かごしま文化ゾーン)から天文館、そして老舗百貨店である山形屋さんと巡りました星きらきら!!きらきら

 

 

 

◆西郷隆盛銅像

江戸城無血開城や明治新政府樹立など明治維新に最大の功績を残した「西郷どん」ですが、突然職を辞めて鹿児島に帰郷。 その後、西南戦争で新政府軍と戦い敗北し、城山の地で自刃しました。
没後50年祭記念として鹿児島市出身の彫刻家で渋谷の「忠犬ハチ公」の制作者・安藤照が8年をかけ製作し、昭和12年(1937年)5月23日に銅像が完成しました。わが国初の陸軍大将の制服姿で、城山を背景に仁王立ちする高さ8メートルの堂々たるモニュメントです。

本体5.76メートル、土台1.21メートル、築山7.27メートル。

 

 
 
 
上野公園の西郷像に対して、鹿児島市の西郷像は鹿児島市立美術館隣に立ちます。
郷土の彫刻家・安藤照が1937年(昭和12年)に作成した西郷の銅像は、軍装(陸軍大将)であります。
明治より時代が下って鹿児島市に建てられた銅像が陸軍大将の正装で直立不動の姿勢であるのは、西郷の名誉回復という観点からすれば、未亡人が本来期待した姿に近いと考えられるでしょう。

 

 
 
 

道は天地自然の物にして、人はこれを
行うものなれば、天を敬するを目的とす。
天を敬い人を愛し、天を知り、己を尽くし、
人を咎めず、我が誠の足らざるを尋ねるべし。

 

即ち天とは、宇宙を含め、天地自然の道であり、人の道である。
故に天地自然を敬うは天意である。

 

 

 

天は人も我も、同一に愛し給うゆえ
我を愛する心を以って、人を愛するなり。

 

この道は、総てに通じ幾多の辛酸を歴て、近代日本の礎に身を挺した西郷隆盛の教えである。

 

 
 
 
 

敬・・・うやまう つつしむ いましむ

敬天・・天を敬う

敬神・・神を敬う

   「易経に敬以って内を直する」「義以って外に方(むかう)う」とあり。

敬愛・・敬い、いつくしむ事

敬虔・・慎む事

    茶道の方では「和敬静寂」

敬慎・・天の怒りを慎み敢えて戯豫せず  戯豫は遊び戯れる事

天(神、見えざる偉大な存在)と仏(親や先祖)と人(先輩、後輩、妻、子供)を心から深く敬う事。それは、人の持つ魂を深く啓することである。敬を深めることにより人格が深まる。

敬天・・大いなるものを敬う事である。

    本来は儒教の言葉である。

天とは・宇宙であり神であり仏でありサムシンググレイトである。

    大いなるものの前では人間は謙虚でなければならない。

 

 

天・・あめ そら 造化の神 天神 上帝

天命・めぐり合わせ 運命

天帝・天の主宰 万物造化の神

天恩・天使のご恩

天倫・自然の常 人倫

天佑・天の助け

天理・天地の万物に通づる道

天誅・天誅組

日本人は天をあめといった。宇宙を表現するためにあめつち(天地)と言う。

日本人の深層意識の中にも当然、神聖にして大いなる存在であるという観念が
あって、古代中国の祭典の祭儀に通る際祀があるという。

天命は民意を媒介して表現され、敬天とは民を敬うことを強く意識したものである。

 

 

愛・・いつくしむ したしむ めぐむ 憐れむ

博愛・広く平等に愛すること 「博愛これを仁と言う」

公愛・公衆を愛すること。

愛人・公愛である。

   他者を愛することは、普遍の愛を実践することである。

   

 

人・・天地の性最も貴きものなり。

人格・人柄 人の品格

人望・信頼できる人物として、人々から慕われ仰がれること。

人情・人の思い。

   天が与えてくれた人としての命は尊く、生かさなければ天意に背くことなり。

 
 
 
 
人は天から天命というものを与えられ、それに従い生きているのです。
西郷の生涯を俯瞰すると、その行動すべてはこの 【敬天愛人】 の言葉の中にある、天命への自覚というものに準拠されていることに気付きました。
 
 
 
 
◆鹿児島まち歩き 観光ステーション

鹿児島市の観光案内所。西郷銅像の隣。

 

 
 
 
◆歴史と文化の道

西郷銅像、鹿児島市立美術館、鹿児島県立博物館、鹿児島県立図書館、鹿児島県歴史資料センター黎明館、かごしま近代文学館・かごしまメルヘン館などが立ち並ぶ鶴丸城跡のお堀沿いに続く散策コース。

一帯は “かごしま文化ゾーン” を形成されていました。
昼間は季節の花々に癒され、夜はガス灯の灯るロマンチックな雰囲気が楽しめるそうです。

 

 
 
 
 
 
◆薩摩辞書之碑

鶴丸城跡にある、鹿児島県立図書館の磯街道側の石碑。

かなり大きな御影石で造られていて、最初見たときは図書館だからなのかと思いましたが、よく見ると【薩摩辞書】と刻まれていて、石碑の中央には辞書が開かれたスタイルのレリーフのようなブロンズが組み込まれていました。

こちらを訪れるまでは薩摩辞書について全く知識がありませんでしたが、薩摩藩の藩士3名が英和辞典を翻刻し、貴重な英和辞書として日本の明治の英語教育などに多大な功績があったもので、その記念にこの碑がつくられたようです。

薩摩藩や鹿児島県の明治初期における日本の発展への貢献は多大であることを強く感じさせる石碑でした。

 

 
 
 
◆鶴丸城跡

鹿児島城(かごしまじょう)は、薩摩国鹿児島城山麓(現在の鹿児島県鹿児島市城山町)に築かれた江戸時代の日本の城である。別名「鶴丸城(つるまるじょう)」。鹿児島では一般的に古くから別名の鶴丸城で呼ばれている。別名の由来は、屋形の形状が鶴が羽を広げたようであったことによる。

1601年(慶長6年)に島津忠恒(家久)により築城され、以後廃藩置県まで島津氏の居城であった。城跡は鹿児島県史跡に指定されている。

 

 
 
 

1901年以降、城址は第七高等学校造士館の校地として使用され、戦後、鹿児島県立大学医学部、国立鹿児島大学医学部基礎教室、現在は本丸跡に鹿児島県歴史資料センター黎明館、二の丸跡には鹿児島県立図書館、鹿児島市立美術館、鹿児島県立博物館などが建っている。

2006年(平成18年)4月6日、日本100名城(97番)に選定された。

 
 
 
 
◆鹿児島県立博物館

鹿児島県立博物館は鹿児島市にある博物館である。本館、別館、旧考古資料館から成る。

1914年4月に鹿児島県立図書館内に設置された博物部常任委員会が始まりで、現在の本館は1981年1月から使用されている。

 

 
 
 
展示内容は理学、工学、自然、考古学系だが、鹿児島県立の歴史考古学研究施設・博物館としては別に鹿児島県立埋蔵文化財センター ・鹿児島県歴史資料センター黎明館が存在することもあり、学芸員による研究・普及教育体制は自然史系中心で、菌類、昆虫、脊椎動物、植物、地質学、古生物学、天文学への対応能力を有する。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
入場無料です。
特に、桜島火山の歴史について興味深かったです。
 

 

 
 
続きまして、歩いて天文館へ。

 

 
 
◆天文館
天文館は、鹿児島市にある中心繁華街・歓楽街の総称。
一帯は繁華街と歓楽街が隣接し、一大商業、娯楽エリアとなっています。
地元では特に若年層を中心に、天街(てんまち)という愛称で呼ばれています。

 

 
 
 
 
◆天文館本通りアーケード(天文館交差点から城山方面)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
◆天文館G3アーケード(天文館交差点から鴨池方面)
 
 
 
 
市内は 『西郷どん』 一色!
 
 
 
 
◆黒田清輝誕生の地
日本の洋画家の第一人者である黒田清輝の誕生地。

薩摩国鹿児島城下(現鹿児島県鹿児島市)出身。薩摩藩士黒田清兼の子として生まれ、のちに伯父の子爵黒田清綱(江戸時代の通称は嘉右衛門)の養子となる。

 

 
 
 
黒田清輝(くろだせいき、1866年8月9日(慶応2年6月29日) - 1924年(大正13年)7月15日)は、日本の洋画家、政治家。位階は従三位。勲等は勲二等。爵位は子爵。通称は新太郎(しんたろう)。名の清輝は本名は「きよてる」だが、画名は「せいき」と読む。 教え子からは「メートル(先生)」とフランス語(maître)で呼ばれた。
東京美術学校教授、帝国美術院院長(第2代)、貴族院議員などを歴任した。
 
 
 
 
 
散策を続けます。
鹿児島は良いお天気でしたが、風が冷たくとても寒かったです。
 

 
 
 
 
 
◆山形屋

山形屋(やまかたや)は鹿児島市の老舗百貨店であり、南九州地域(鹿児島・宮崎両県)で5店舗を展開する山形屋グループ百貨店の旗艦店である。

 

 
 
 

山形屋の創業は1751年(宝暦元年)、百貨店化は明治時代中頃、近代的なデパート建築となったのは大正時代初期と古く、地方百貨店の先駆け的存在であり、神戸以西における百貨店第1号である。

商業面積は約33,000m2、年間売上高は約500億円にも上り、地方百貨店としてはトップクラスの収益力を誇っている。

 
 
 
 
 
鹿児島のお土産を購入しました。
空港やホテルのギフトショップとはまた違ったものが並んでいて、なかなか興味深かったです。
 
 
 
 
 
 
街散策&お買物後は、一旦ホテルに戻りました´艸`*ハートおんぷ♪ホテル
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
美しい桜島をお部屋で眺めながら、しばしひと休みいたしましたティータイムheart富士山