†漆黒の腐敗臭~ブラックアロマブラック~in the dark† -7ページ目

†漆黒の腐敗臭~ブラックアロマブラック~in the dark†

神様って思わず僕は、叫んでいた・・・

「無題」 その7

兄さんが大学に入学した時に初めて、灯里がいることを私は知った。
兄さんが眠っている時間、灯里の人格は表に出てくる。灯里は私の前でだけ饒舌で、まるで数年来共に過ごした姉妹と話すような錯覚を覚えた。   私が灯里と友達になるまでに、そんなに時間はかからなかった。
学校の話、そして、禁断の恋の話……。
全てを打ち明けられるのは灯里にだけだった。

だけど、1ヶ月も経たないうちに兄さんの様子がおかしくなった。
 兄さんの記憶が曖昧になったのだ。人間は、起きている間の出来事を、夢を見ることで整理している。
だから、私が灯里とお喋りに興じている間、兄さんの脳はデフラグメンテーションを怠ったのだ。   私が途方に暮れる間に、事態は想像もしない最悪の方向にながれる。


兄さんが通う医学部に、そのことが露見したのだ。

保護するという名目で、兄さんは医学部で生活することになった。私もそこで、灯里と対話する役目として共に寝泊まりことになったのだ。

その生活は、まるでモルモットの様だった…。兄さんに知られないよう、部屋に隠しカメラが設置され、私には、会話の全てを提出することが義務づけられた。

 

<君の兄さんを助けるため>

医学部の小名教授は私との面談の際、いつも最後にこの台詞を口にした。
小名教授をはじめとする医学部が兄さんをただの稀有な研
究材料としてしか見ていないのは明らかだったが、その台詞は私を従順なモルモットにするのに十分すぎる効力を持っていた。

兄さんを監視する私。私達兄妹を監視する小名教授。

時おり現れる灯里はそんな状況の私達を見て「貴女も大変ね」なんて他人事のように微笑んでいた。

一方兄さんはというと素人の私から見ても明らかな記憶障害を起こすようになっていた。

 

兄さんをどうにか助けたかった私は大学外で灯里と相談した。兄さんは大学の外にいる間のみ監視から免れることができる。いや、正確には外にいる間の監視は私の役目だ。しかし私はもう、小名教授を信じていない。監視の報告はいくらでも改竄できる。

 

私は兄さんの右手を引き、夕暮れの時計塔まで来ていた。

山の稜線に沈みゆく太陽を眺めながら私は、語りかける。

「兄さん、あなたはどんな夢をみるの? その夢の中で、あなたは誰といるの?」
<なんでこんなことを言ったのだろう。>やはり、夕暮れ刻には、魔物が住んでいる。

 

「ああ、僕は夢を見ないからわからない。ただ…。」

兄さんは言いよどむと、不意に優しい目付きになってこう言った。

「ただ、いつまでも"2"を好きでいられるならそれでいいんだ。

」私は、溢れ落ちる涙をこらえることができなかった。


<そっか…。兄さんは全部解ってたんだ>


続く・・・

―いつもの事だが、寝る前に「幽体離脱」を妄想する。意識レベルを低下させると同時に、雲の上から街並みを見下ろす感覚を意識するのだ。すると途端に、芽生えた幸福感が自分のうす汚れた一日を昇華させてくれる。

こんなことしか、今の僕にできることは無いのだ。




冬の低い空に張られた雲を通り抜けて、繁華街に降下する。今日は金曜なので、飲み屋を出てくるサラリーマンが、上司に媚びへつらってる姿を見かける。駅前通りの片隅にある寂れた中華屋の店頭では、店主が寂しそうに暖簾をおろす。そんな金曜が僕のお気に入りなのだ。

フライデーナイトの遊泳をひとしきり楽しんだ僕は、駐車場の入り口に設置された自動販売機の上に鎮座し、通りを歩く人間を観察することにした。

そのまま朝まで路上を通り過ぎる通行人を眺めることにする。空が白みだす時間帯、意識が本体へと引き戻されると同時に、再び眠りに就いた……。こうしてまた、一日が終わってゆく―。

 


今日は久しぶりに、昼間の街へと繰り出した。繁華街とは反対側へと向かうと、大学前に行き着く。普段絶対に来ない場所なのだが、気分が良いのでフラリと喫茶店に入る。もちろん、店員は僕に声をかけたりはしない……。

若干の後悔をおぼえながら道路に面したカウンター席に座ると、よく知る娘が目の前を横切った。

もう会うことは、正確には見かけることは無いと思っていた。だから僕は、正視することができずに、飛び去った。初雪を街に降らせようと、氷の結晶を湛える雲の中を通り抜け、電離層まで登ると地平線が丸く見えた。そのまま楽になりたいのに、いつも引力に縛り付けられ、もとの暗い場所へと戻ってしまう。

 

初雪が降った。降るだけで積もることはない。地表に着く前に、状態変化してしまうのだろうか。それとも、一瞬だけでも結晶のままで降り立つのだろうか。あれから僕は、外出していない。初雪が降ってサクラの季節が来ても、このままなのだろう。また、深い眠りに就く。


 

長い夢を見ていた気がする―。僕は、灰色に色あせた空を仰ぎながら、揺れるシーツの間で座り込んでいた。後ろから背中を叩かれた気がして振り向くと、そこには何も無かった。何年か寝たきりだったせいか、10分も立っていることができない。だけど、気がつくと繁華街のど真ん中に立っていた。

 

平日の昼間だというのに人通りはなく、景気はモノクロームに染まっている。代わりにあちらこちらに針葉樹林が屹立している。よく見ると、一人一人、幹の太さ、いや表情が違う。不意に地面が透けて見え、地中で木の根が無数に絡み合っている。その様子はまるで、ネットワークを形成する神経細胞のようだった。

僕は不意に一本の木が気になって、試しに、根っこにかじりついた。瞬間、景色が変わった。

 


僕は、ひたすら泣いている。白いシーツにくるまれた躰には、おびただしい数の無機質な管がつながれていて、聞こえるのは人工呼吸器から発せられる偽物の命の息吹だけなのだ。それから""は毎日其処に通う。

 

それから私は、毎日病院に通った。彼はあの日から全く目を覚まさないが、身体は回復したみたい。だけど、あと半年で大学を卒業するのに、一向に眠ったまま なのがとてつも無く寂しい……。そして、冬の低い空から、雪が舞い降りる季節になった。積もることは無いと思ってたけど、今年は違った。

 

けれど、積もった雪は翌日には綺麗に溶けていた。通行人の残した足跡は何処へと繋がったのだろう。大学通りに在るありふれた喫茶店の前を通り過ぎ、今日もまたあの部屋に向かう。眠る彼の観る世界は私と交差することはない。


 

今は決して交わることはない。だけど、一度交わった直線は、ねじれの位置にはならない。だから私は、彼とはユークリッド幾何学の関係を望む。 もう春のあしおとが聞こえる季節になった。焦りを通り越して、諦観の念を覚える……。

 

気がつくと”僕”は、病室のベッドに腰掛けていた。枕元にはホコリをかぶった筒が横たわっており、おもむろに開けてみる。中には、黄ばんでボロボロになった卒業証書が入っていた。何度も読み返すと、黒い文字にシミが増えた。僕は泣いていた。

 

全てが過ぎ去りし事象。人の想いも簡単に風化する。

だけど、記憶に残っている限り、関係性は失われないのだろう。それが現在どうなっていようと。

 

繁華街のビルの隙間から見上げると、突き抜ける様な蒼い空が広がっていた。

路上には満開の桜が咲き誇っていた。

「無題」

言うべきことを言い切ったのか香澄は目線を僕から窓のほうに向けた。つられて僕も外の景色に目を注ぐ。雲の流れが異常に早い。僕は何故か不安になって時計を探し、秒針が一秒毎に動いているのを確認して息をついた。

 そして、妹が話している間完全に聞くことだけに専念していた僕の脳はようやく話の内容を理解しようと働き始めた。

灯里と僕、脊髄の共有、そして選択、・・・選択? 香澄が僕の方へ振り返り再び口を開こうとしている。しかし既に僕の言葉は空に放たれていた。

「お前が言う選択したっていうのは・・・まさか、灯里は・・・」

 

兄さんの想像通りよ。但し、兄さんに罪は無いわ。いえ、誰にも罪なんてものはないはずよ。兄さんか灯里、どちらかしか救うことができなかったのだか ……

独り言のように呟くと、香澄は目を伏せた。未だに僕は混乱の最中にあったが、ふと心に浮かんだ疑問をそのまま口にした。

 

「それじゃあ、僕の見た”灯里”は、何処にいるんだい?」

 

―思い出して欲しい、でも、思い出さないで

本当に何も覚えていないのだろうか……、ここ三年のできごとを―


続く…