兄さんが大学に入学した時に初めて、灯里がいることを私は知った。
兄さんが眠っている時間、灯里の人格は表に出てくる。灯里は私の前でだけ饒舌で、まるで数年来共に過ごした姉妹と話すような錯覚を覚えた。 私が灯里と友達になるまでに、そんなに時間はかからなかった。
学校の話、そして、禁断の恋の話……。
全てを打ち明けられるのは灯里にだけだった。
だけど、1ヶ月も経たないうちに兄さんの様子がおかしくなった。
兄さんの記憶が曖昧になったのだ。人間は、起きている間の出来事を、夢を見ることで整理している。
だから、私が灯里とお喋りに興じている間、兄さんの脳はデフラグメンテーションを怠ったのだ。 私が途方に暮れる間に、事態は想像もしない最悪の方向にながれる。
兄さんが通う医学部に、そのことが露見したのだ。
保護するという名目で、兄さんは医学部で生活することになった。私もそこで、灯里と対話する役目として共に寝泊まりことになったのだ。
その生活は、まるでモルモットの様だった…。兄さんに知られないよう、部屋に隠しカメラが設置され、私には、会話の全てを提出することが義務づけられた。
<君の兄さんを助けるため>
医学部の小名教授は私との面談の際、いつも最後にこの台詞を口にした。
小名教授をはじめとする医学部が兄さんをただの稀有な研
究材料としてしか見ていないのは明らかだったが、その台詞は私を従順なモルモットにするのに十分すぎる効力を持っていた。
兄さんを監視する私。私達兄妹を監視する小名教授。
時おり現れる灯里はそんな状況の私達を見て「貴女も大変ね」なんて他人事のように微笑んでいた。
一方兄さんはというと素人の私から見ても明らかな記憶障害を起こすようになっていた。
兄さんをどうにか助けたかった私は大学外で灯里と相談した。兄さんは大学の外にいる間のみ監視から免れることができる。いや、正確には外にいる間の監視は私の役目だ。しかし私はもう、小名教授を信じていない。監視の報告はいくらでも改竄できる。
私は兄さんの右手を引き、夕暮れの時計塔まで来ていた。
山の稜線に沈みゆく太陽を眺めながら私は、語りかける。
「兄さん、あなたはどんな夢をみるの?
その夢の中で、あなたは誰といるの?」
<なんでこんなことを言ったのだろう。>やはり、夕暮れ刻には、魔物が住んでいる。
「ああ、僕は夢を見ないからわからない。ただ…。」
兄さんは言いよどむと、不意に優しい目付きになってこう言った。
「ただ、いつまでも"2人"を好きでいられるならそれでいいんだ。
」私は、溢れ落ちる涙をこらえることができなかった。
<そっか…。兄さんは全部解ってたんだ>
続く・・・