今日はロストテクノロジーについて

過去のものとなってしまった素晴らしい技術をお楽しみくださいニコニコ

 

~おしながき~

ダマスカス鋼

ギリシャ火薬

聖徳太子の地球儀

バグダッド電池

大包平

戦艦ヤマト

 

 

ロストテクノロジーとは

ロストテクノロジーとは、何らかの理由により現代では失われてしまった科学技術である。似た言葉にオーバーテクノロジーが挙げられるが、こちらは時代錯誤の工芸品(オーパーツ)を指し、主に創作の世界において使われる。

本項では主に、過去に開発されながら後世に伝えられず絶えた技術体系について述べる。

 

発生の要因
ロストテクノロジーが発生する要因は様々であるが、主に以下のことが原因であると考えられている。

後継者が途絶え、技術が失われる(例:ギリシアの火)
職人による普遍的な工程が秘儀的な扱いになるなどした結果、後継者となる世代に広く十分に技術が伝承されなくなる。


環境の変化により、技術が育まれる基盤が消失する(例:ローマ水道)
技術を伝えていた集団の属する文明が衰退したり、社会基盤を喪失したり、あるいは特定の原料が産出される地域から原料が得られなくなるなど。またかつて権力者がその権力と財力で保護していた産業が、後ろ盾となっていた権力を失って衰退するケースも挙げられる。これについては、大規模な天変地異や気候の変化による文化の変質、異文化による侵略と略奪なども要因となる。


別のテクノロジーの発展により、衰退する(例:和算)
新しい技術が単純により優れていたり、または「品質面ではやや劣るが、コストや時間的に効率よく大量に製造できる」という場合には、旧来技術は失われやすい。これは旧来技術では製造にコストや時間が掛かりすぎる場合、それに見合わない質の高い製品を作るより、新技術でやや質の低い製品を短時間で大量に提供できた方が、社会全体にとって有益であるためである。

 

ダマスカス鋼

強靭でさびにくい、木目のような模様の入った美しい鉄。
10世紀からインドで生産されていたようだが、19世紀に突然生産されなくなり、ロストテクノロジーとなった。
現在さまざまな分析を経て再現がなされているが、分子構造が当時のものと現在のものでは違うため、完全な再現には至っていない。

この分子構造というのがカーボンナノチューブと同じなのだが、この失われた技術がよみがえったとしても、当時の人間がどうやってその構造の作り方を知ったのか、など疑問が疑問を呼ぶ。

現在売ってる高級包丁なんかに、ダマスカス鋼で作られたと歌われているものもあるかもしれないがそういうことだ。

 

ギリシャ火薬

7世紀後半、ギリシャで開発された燃料。
空気に触れると燃え上がる魔法のような液体である。
火炎放射器として10世紀ごろ東ローマ軍に利用された。

しかし軍事機密であったため、ローマ帝国の滅亡とともにその製法を知るものがいなくなってしまい、現在その萌える液体がどんなものだったのかはわからない。
開発されたギリシャでは石油などの燃料が少なかったために独自の燃料が開発されていた。

現在さまざまな薬品が燃料の正体として挙げられているが、疑問も多い。

 

 

 

聖徳太子の地球儀

表面には南北アメリカ大陸や、ユーラシア大陸などがレリーフのように描かれている。また、1800年代に発見された南極大陸に相当する大陸や、ムー大陸に相当する部分にも大陸が描かれている。西暦606年に聖徳太子によって建立されたと伝わる斑鳩寺には、聖徳太子ゆかりとされる宝物が所蔵されており、江戸時代に目録『常什物帳』が作成された。その中の「地中石」と記載されているのがこの地球儀であるといわれ、少なくともその頃から存在していたと考えられている。

 

 

バグダッド電池

現在のイラク、バグダッドで製造されたとされる土器の壺である。
電池であるという意見と、そうではないとする意見が存在するが、もしこれが電池として使われたのであれば、電池が発明されたのは18世紀後半であるから、これはオーパーツ(時代錯誤遺物)と言うことができる。

 

 

 

大包平

国宝中の国宝、西の横綱、日本刀の最高傑作

日本刀には「横綱」と称される名刀が2振りあり、「天下五剣」の中でも特に「東の横綱」と呼ばれる「童子切安綱(どうじきり・やすつな)」に対して、「西の横綱」と呼ばれているのがこの「大包平」となっています。

 大包平は国宝指定を受けている太刀で、指定名称「太刀 銘 備前国包平作(名物 大包平)」と登録されています。現在日本で国宝指定されている日本刀は100本以上ありますが、その中でも大包平は「国宝中の国宝」とも呼ばれており、これら数々の称号を持ってすれば「大包平は日本一の名刀」と言っても過言ではありません

 

現代では再現不可能な作刀技術

現代では再現不可能なロストテクノロジー…日本刀の最高傑作「大包平」が素晴らしい理由とは?の画像3太刀 銘 安綱(名物 童子切安綱)

 刀匠包平は平安時代末期、備前国(現在の岡山県東部)で活動していた刀匠です。備前国には包平の他にも高平(たかひら)、助平(すけひら)という別の名刀匠が同時期に存在しており、3人併せて「備前三平」などと呼ばれていたようです。この中でも現代に残されている刀が多く、知名度も高いのが包平でした。

 さて、刀剣評論家や愛好家から「国宝中の国宝」とまで呼ばれる、この大包平の何がすごいのか。日本刀の評価のひとつである、美術品として見た外見の美しさもさることながら、刀身が長いだけでなく幅広(刀身の横幅が広いこと)に作られた太刀であるにも関わらず、重量がとても軽いことが挙げられます。

 

現代では再現不可能なロストテクノロジー…日本刀の最高傑作「大包平」が素晴らしい理由とは?の画像4

 大包平の刀身のみの重さは約1.35kgと、太刀としては非常に軽いもので、江戸時代の一般的な長さの打刀(刃長約60~70cm。大包平は刃長約90cm)の刀身に、時代劇で見られる日本刀と同じような柄や鞘、鍔などの拵えを付けたものとほぼ同じ重量です。

 これは他の同じ大きさの太刀に比べて、大包平の刀身が薄く作られているためで、その分だけ重量が減っている、という寸法です。

 このように刀身が薄く軽く丈夫に作られているだけではなく、刀身全体の重心バランスが良いため、重さを感じず振るいやすくなっているという神がかり的な作刀技術でもって、大包平は高い評価を得ているのです。

 また『日本名刀大図鑑』(新人物往来社)によると、現代の刀匠が同じ幅と長さの太刀を作るとなれば、強度を保つために刀身を厚くせざるを得ず、どうしても2kg以上の重さになってしまうとのことです。

 刀匠包平がどう思っていたかは想像するしかありませんが、大包平が「会心の出来」とされる理由は、ある意味では「包平自身であっても、もう1度同じものが作れるとは思えない奇跡の刀」ということなのかもしれません。

 

戦艦ヤマト

日本の戦艦

戦艦大和は、第二次世界大戦時に日本海軍によって造られた史上最大の戦艦である。

全長は263メートル、排水量は64000トン、艦体の大きさや搭載された主砲も史上最大であった。この主砲が現在では再現不可能なものとなっている。

 

45口径46センチ砲を3門まとめた3連装砲は大和の象徴であり、それまでにあった主砲と比べるとより強く遠くまで飛ばすことが出来た。

このような主砲を造るには専用の旋盤機、素材の鉄鋼、そして職人が必要不可欠である。専用の旋盤機は戦後も奇跡的に兵庫県で保管されていた。素材の鉄鋼だが大和ではヴィッカース鋼板(VH鋼板)という表面硬化装甲を採用していて、砲塔前盾にもこれが使用された。

そして何より1番の問題が、鉄鋼を削り出す職人がいないということだ。

大和の主砲のような口径の大きい高威力の大砲となると、それだけ撃ち出す際の圧力も大きくなる。そのため素材にはその時代で1番硬い鋼材を使用する。しかし硬い鋼材を削ると摩擦熱により鋼材は劣化してしまう。頑丈さをキープしながら加工するには、適切なタイミングでの冷却と削り出しが必要となる。

この技は熟練した職人の手と目、そして経験だけが頼りとなる部分である。造るための機械や素材がなんとか集められても、肝心の職人がいないという状態なのである。

しかし大戦末期となると大砲の需要は無くなり、ミサイルやロケット弾が使用されるようになった。その上威力も大和の半分の口径で大和の主砲と同じ力が可能となった。最終的には大砲を造る意味が無くなり、それと共に自然と職人もいなくなっていった。

 

 

 

 

今日も最後まで読んでいただきありがとうございました。

次回もお楽しみにグー

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