今日は情報化社会の学校について

学校では教えてくれない学校のこと~産業化社会~

でも学校について書いてきましたが、今回は今後の学校について書いていきたいと思います。
 

学校に行く理由と意味ってなに?それは自分のため、自分の将来のため

先日不登校Youtuber ゆたぼんさんの発言が大きく話題になりました。
「学校へ行かなくてもいい。」という発言でした。

大人でも子どもの頃には「学校で勉強したことは大人になって役立つのか」、「そもそもどうして学校に行かなければいけないのか?」ということを考えたことがある人も多いのではないでしょうか?

学校に行かなくても立派な事をした人はいるし、今はパソコンやスマートフォンでわからないことがあればなんでも調べたり計算ができますから、わざわざ学校で勉強する意味なんてないのでは?という意見もあります。

そういう疑問に対して、子供は黙って学校に行くもの、大人になればわかると言ってもなかなか納得はできないでしょう。
そこで今回は学校へ行く理由や意味を考えたいと思います。

学校に行けないことが問題の後進国

学校に行けないことが問題の後進国

日本では前述したゆたぼんさんのように学校に行かないという選択肢もできますが、学校に行けないことが、問題とされているのは開発途上国の後進国です。

なぜ学校に行けないのが問題というと、学校に行かずに教育を受けられないとできる仕事が限られておりその状態だと低い給料のままで貧困状態から抜け出せないからです。

貧困というのは想像がしにくいかもしれませんが、食べたいものが食べられず、栄養が足りなくてしんどい、住む場所は選べない、行きたいところには行けない、あらゆる人間の欲求を満たせずやりたいことができない状態です。

しかし後進国で「教育を受けることによってどう変わるか」といえば「仕事を選べる」ようになります。

仕事が変われば給料が上がり、食べたいものを十分に食べられ、買いたいものを買えるようになるのです。

そして子供には教育をあたえることができるようになり、その子供も仕事を選べるようになり富を生むようになります。
「後進国では教育によってまるで違う生活を送る」ことができるようになるのです。

 

 

日本は先進国、学校に行かなければならない理由は何か

 

「学校に行かなければならない理由は何か」との質問に、大人は小学校や中学校であれば義務教育だからと答えることがあります。
それはよくある誤解で、義務教育は子どもが学校に行く義務があるという意味ではありません。

保護者が子供を学校に通わせて教育を受けさせる義務があるという意味です。
親であっても、子どもが学ぶ機会を奪うことは絶対にあってはなりません。

義務教育において子どもは、教育を受ける権利を持つとされています。
ですから、子供は学校に行かなかったとしても、罰則を受けることはありません。

ならば学校に行かなければならない理由は何かというと、自分の将来のためです。

前述した「後進国では教育を受けることができないため貧しいまま」と説明をしましたが、「先進国では教育を受けていることが前提で」社会が作られています。

例えば仕事を探す際の求人情報を見ると、高校卒業以上、大卒以上など条件が書かれています。
会社によっての条件を満たさなければ、当然働くことは難しいでしょう。

学歴によって選べる仕事に差が出るのです。
求人サイトやハローワークを見ると、中学卒業よりも高校卒業、高校卒業よりも大学卒業の方が選べる仕事の種類は多いのが現状です。

学歴の他にも資格というものがあり、学校の先生になる場合には、大学や短期大学に行って単位を修得し卒業して教員免許をとる必要があります。

やりたい仕事が明確であればその仕事のことを調べその条件を満たすように勉強と進学をすればよいのですが、将来自分がやりたい仕事を考えた際やはり多くの仕事の中から選べた方がいいと思いませんか?
まだ子供のうちではたくさんのものごとを知らず、どれだけたくさんの仕事があるのかもわかりません。

将来どんな仕事につきたくなるかもわかりませんし、どんな仕事が自分に合っているかもわかりません。
だから将来自分で仕事を選べるように、まず学校だけは行っておきなさいという一言にまとめられるのです。

 

 

学校に行くことで得られる知識とは

また学校で勉強をして知識をつけることは、社会に出るために必要不可欠です。
文字を読み本から学ぶためや人とコミュニケーションをとるためには国語の基礎が必要ですし、生きていくためのお金の計算をするための算数も必要です。

他にもある程度の基礎的な知識がベースになければ、発展した学習を行うことができません
AIシステムを作りたいと思った場合は、プログラミング能力(英語も多少必要)、数学(微分積分学、確率論、統計学)を理解していなければなりません。

また学校の勉強は基礎的な学力をつけるために大切なものです。
学校に行けば一日4時間~6時間勉強をするのですが、学校に行かなければこの時間を自分で勉強するなり誰かに教えてもらわなければなりません。

小学校から中学校の期間で9年間あり、行くのと行かないのでは学力にはものすごく差が生まれることになります。
まだ小さい子供のうちから、自分で勉強をしていくには大変です。

また費用面で考えてもそうですが公立の小学校中学校は義務教育のため費用が安く抑えられますが、学校に行かないとなれば学校に代わる時間誰かに教えてもらうとなると費用がたくさんかかります。

 

社会性・社交性を身につけるため

社会で生きていく社会性・社交性を身につけるため

学校は勉強だけをするところではありません。
人と接するための社交性や社会性を身につける場所でもあります。
学校では同級生や担任の先生、そして上級生や下級生など、大勢の人と交流を持ちます。

色んな人と接して、協力しあうことを学びます。
そしてルールも学びます。
決められた時間に行動をし、約束を守り、迷惑をかけることはお互いにやめましょうというように。

学校に行かなければ、絶対にこれらの社交性や社会性が身につかないというわけではありませんが、何か学校に変わって身につく場所を見つけなければなりません。

なぜ社交性や社会性が必要かといいますと、会社などの組織では学校の教育と同様にこれらの社交性や社会性も求められるからです。

お願いをした仕事をキチンとしてくれるか、約束をちゃんと守ってくれるか、周りの人のことを考えて行動ができるか、周りの人と協力をして円滑に業務をおこなえるかなどです。
学校はそういった社交性・社会性を身につける場所でもあります。
社会というのは多くの人が協力をしあって成り立っているので、これらの社交性・社会性は必要不可欠なのです。

子どもにとって小学校や中学校で勉強することは義務ではなく権利です。
ならば学校に行く理由は何かというと、学校に行かないと得られないものを得ることです。
それは基本的な学力、社会性・社交性になります。

学校に行かない場合でも、学校の代わりに勉強を教えてもらえる場所や社会性・社交性を育てられる場所に行かなければなりません。
様々な学校に行く理由を説明してきましたが、もちろん学校に行けない理由がある方もいるでしょう。

そのためにフリースクールなどもありますので、学校の代わりに行くかたもいます。

そして何故学校に行って学力や社会性、社交性をつけるのかと言えば、子供が大人になった際に自分で働き自分の生活を支えなければならないためです。
ただどの仕事をするにあたっても、できれば自分のしたい仕事をして、自分の買いたいものを買って、行きたいところに行くほうが自分にとって嬉しいことでしょう。
学校に行くのも、勉強をするのもすべては自分のためということなのです。

https://chubukyoiku-labo.jp/reason/

 

 

勉強するという面でみるとネットとかフリースクールでもいいけど、コミュニケーション能力など人と人との関係を作るには

学校のほうがいいということ。

 

いじめられているということで、学校に行きたくないなら行かなくていいと思います。

 

いまはネットを使って嫌がらせをされたりしているのを聞くとメンタルがやられます。本当に陰湿になっていると思います。

そんな状況になってしまったら、逃げてしまえばいい。逃げることは全く悪くないですよ。

 

例えば目の前に解決できない問題(おなかを空かしたライオン)がいたらどうする?

多いな~汗

映画のワンシーンのようだ!ライオンの群れが一斉にこっちに向かって ...

逃げますよね。

①ここで勇気をだして立ち向かう→ゲームオーバー

②逃げて別の道を探す→生きてるので、多くの選択肢がある

②を選択するほうが正解ですね。

「我慢は美徳」なんて考えなくていい。

 

ほかの人とは違う環境に飛び込むことになるけど、他の人よりも社会での経験が積める!!!!!!!

同世代より一歩リードキラキラ面白いこと見つけたら、起業も考えればいいさ。

これから経営者マインドは必須

新しいものを創造、提供するためにチャレンジすることは最低ラインのスキルです。

 

学生(高校生くらいまでは)環境が、家庭と学校(部活も含めて)位しかないんですよね。

とにかく、この2つで状況が悪くなって、誰も自分の話をまともに聞いてくれない、向き合ってくれない状況ができたらどうしようもない。

絶望的笑い泣き

と考えがちですが、家庭と学校以外の外に出てみると多くのものがあるんですよ。自由があるんです。

世界を見ると自分の見てきたものがいかに小さかったことに気が付きます。

 
 
話が脇道へ逸れたので元に戻します

不都合な真実(学校)

神戸新聞NEXTに「子どものいじめ自殺 第三者委の再調査相次ぐ 調査に限界、裁判利用に懸念も」という記事があった。
要するに第三者委員会は教育関係者による身内調査のことが多く、当たらず触らずの結果になっているとのことだ。法的にも何の根拠もなく教育関係者の言い訳に使われているということだろう。

大体第三者委員会といっても当事者である、教育委員会や当該自治体の首長がメンバーを選んでいる以上自分の都合の悪い人選をするはずもない。期待するほうが無理だと思う。

さらに二学期の始まる前後に子どもの自殺が多いことに対し調査するといじめは見受けられなかったという事例も結構ある。いじめが陰湿化しているとしてもそれ以上にいじめが原因ではない自殺が多いということも考えられる。そもそも子どもが自殺するということは私たちの時代には想像もできなかった。子どもは自殺しないと思っていたしそういう発想もなかった。何故これほど増えたのか。
この原因は学校制度が劣化したという面もあるだろうが、社会の変化に学校が取り残されているというほうが大きいと思う。それが教育関係者にとって耐えがたい事実なので目をそらしているうちに社会も家庭も子どもも変わっていく。そのギャップが自殺を生んでいると私は考える。

私の考えでは学校は行く必要がないと考えている。極論に聞こえるだろうが、その理由
1.学校制度が社会からずれ始めている。
2.ところが親は学校思想に染まりきっている。
3.学校は社会の変化に対応できず、親からの希望で受験対策校化。
4.個人的な能力や個性は無視し、一斉教育の強化。
5.その結果子どもたちの記憶力を強化し、想像力は失われる。
6.いじめと指導死、過労死につながっている。

現在学校で優秀であれば日本の大企業は優先的に採用しているが、世界の実態はAI化が進みITを制御できる独創性と数学的論理性の高い人を高給で奪い合いをしてる。それ以外の仕事は給料を払わなくても24時間働くコンピュータでできるようになるため給料を払いたくない。
それが日本に波及してきて、シャープや東芝などの(日本にかぎらないが)大企業や銀行のリストラが進んでいる。しかしながらAIでできない仕事はなくなるわけではないけど、余剰人員が多いため給料は増えない。(これが現在)10~20年後にはごくごく少数の高給取りと大多数の貧困の誕生である。
すべてではないがその原因の多くは学校制度にあると考えている。素晴らしい教師がいることを否定しているわけではない。ただ先生を子どもも親も選択できない。

何故学校が時代遅れかというと(何度も言っていることだが)
1.一斉同調教育では、理解の早い子は待ちぼうけ、遅い子は置いてけぼりになる。
2.多様な子どもがいるにもかかわらずそろえることを強要される教師のストレス。
3.子どもにとって、進む授業とストレスのかかった先生からのストレス。
4.ストレスの発散としての生徒と先生から必然的いじめの発生。
5.子どもは学校主義の親からのプレッシャーで相談もできない。

東京新聞に自殺された子どもの親が寄稿していたが、子どもの気持ちにほとんど気づかなかった。しいて言えば「夏休み終わらなければいいのに」と言われたとき気づけばよかったと悔やんでいるが、それは無理だろう。どんな子どもでも誰でも言うと思うし、それに気づく親なら最初から学校には行かせていない。
親に心配をかけたくなくて黙って自死を選ぶ子は普通にいる。
そんな理不尽なことと思うが子どもの心理はそんなものだ。

私はそれが嫌で学校に行きたくないという息子をそのまま認めた。だから学校には一度も通ったことがない。小学校の時期は朝から晩まで遊んですごした。週に1回10分程度算数を見てあげたがその時も九九は覚える必要はないといった。鶴亀算など全くの無駄でしかないといって一切教えなかった。

今中学二年生の年齢になり、掛け算は自分で考案した方法で特に苦も無く計算している。イギリスのフリースクールに行っているから英語は達者だが、漢字はほとんどかけない。でも読むのは小さい時から絵本や漫画の読み聞かせをしていたせいか特に不自由はしていない。
とにかく私は子どもは小学校の間は遊び呆けていたほうがいいと考えているが、14歳の夏休みに日本に帰ってきて少し心配になり、数学を中心に教え始めた。小学校の時何度教えてもわからなかった問題を一度聞いただけでいとも簡単にすらすらと理解して、今は中三の問題を解いている。だんだんと私が理解しているレベルを追い越しそうで少しひやひやしているが、いいホームページを見つけた。
 

 無料で使える中学学習プリント
全体によくできていて、学習の進捗に合わせて問題が組まれている。これを順にプリントして解いてもらい、終わったら解答紙を渡して自分で確認させればいい。わからないところを親が説明してあげれば自然にレベルアップする。質問のページもある。
理解できたなと思えば一つ置きにどんどん先に進み、無理かと思うと何回も同じところをやらせる。場合によっては本人が理解しているところまで戻る。学校には到底無理だろうけれどホームスクールにとって優れものだろう。

数学以外は新聞や雑誌ニュートンを読んでいるのであまり心配していない。
そして本当に困ったときにはホームスクーラーは自力で調べるようになる。

学校に行かずに10年近くたち、学校は不要だというより、子どもにとって邪魔ものでしかないと思っている。息子は早く夏休みが終わってほしいという。
学校の存在は子どもたちの将来のためというより、教育関係者の生活の糧になっているだけだろう。

http://homeshoolclub.blogspot.com/2018/08/blog-post_31.html

 

学校制度そのものが社会の変化に対応できずずれ始めている。制度を根本的に変える大事業を、その制度に守られ生きてきた教育関係者ができるのか?と問えば否でしょう。

彼らにとって、学校が社会とずれてきているという真実はきわめて不都合です。いじめの問題を見てみぬふりをするのと同様に、お題目を唱えるだけで相変わらず旧態然とした学校制度が続くことが十分予測できます。

教育を生業にしている教育関係者のためでなく、子供たちの将来のために何をなすべきか。制度の外の私たちが考えていかなければならないのだと思います。

 

これまでのやり方で行くと

家庭教育だけだと、親の所有の対象になり、

学校教育だけだと、大量生産大量消費の対象になる。

 

所有=幸せ

・いい大学を卒業して、一流の企業に就職するのが幸せへの近道。

・正社員で働かなければ、ずっと「ちゃんとしろ」と言われる。

・同じ会社で定年まで働けば、給料は自然と上がっていく。

・お金は必ず貯金する。銀行に預けるのが一番安心。

・家を買ってこそ一人前。自宅にいれば家賃は要らない。不要になれば売ればいい。

・結婚をして子どもを育てるのが普通の幸せ。

https://manetatsu.com/2018/05/126154/

↑のような価値観を満たすために学校に行き、「いい子」になることが学校へ行く理由!!!!

昭和の考え・・・

今は令和です。この価値観(所有=幸福)は捨てましょう。

 

お金について③ ~お金の正体~」でもいいましたが、生活するうえでも必要なお金を得るようになるためには

信頼が必要。人と人との関係は重要なんです。
家に籠ってパソコンやスマホの前にいるだけでは、物事は進みません。
人と人を結びつける、はじめの一歩を作るためにも、まだまだ学校は必要なんだと思います。
 
 

令和時代の学校

  『同世代の仲間を作り、知識や経験をインプットする場所』

 

 



もうすぐ、日本が中心になる精神文明が〜
 

 

そして学校で教えるべき、これからの生き方↓

Haveの時代はおわって、
BEの時代になった!

ってこと。

Haveは、持っているもので、幸せを測る感じ。

たとえば、
・お金
・恋人
・学歴
・資格
・他人からの評価
・人脈
・ブランド
・車
とかとか

これらがあると、安心で、存在価値があると思える。
だから、幸せなんだ!と思える。

それで、

色々Haveしなくちゃいけないし、
Haveしたら、失わないように守らなくちゃいけないし、

守るために、
疑って、
敵を見定めて
支配する側に回らなくてはいけない。

努力して、
根性で、
勝ち組にならなくちゃいけなかったんだね。

大事な価値観としては、

忍耐力、根性、努力、頑張る
謙虚、協調性、空気が読める、石橋をたたく
失敗しないようにする

とか。

書き出していてわかるけど、

肩に力が入る感じ。
並べると、ストレスを感じる言葉ばかり(;^_^A

BEはね、

自分のままで在ればよい

そのままの自分で、ただいて、自分を楽しめばいい感じ。

存在だけで、
幸せになれるように導かれている。

 

BEの世界では、

・好き(心)
・楽しい(脳)
・楽(ラク)(身体)

 

をやっていれば、うまくいくんだね。

これで、心と脳と身体が喜んで、
豊かにもなっていけるし、

支配したりされたり
勝ったり負けたりがなく、

個々を尊重し合いながら、
生きていける世界なんだと。

信じれれば、
嬉しい世界だね。

https://hohona.com/archives/1442

 

 

今日も最後まで読んでいただきありがとうございました。

次回もお楽しみにパー

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