飯塚事件の再審請求が棄却されましたね。

 

 

この事件については、10年前の

「1回目の再審請求棄却」 のときにも

ブログで書いています。

 

 

今日の記事についていたヤフコメでも感じるんですが

 

いろんな方がこの事件をYoutubeやブログ、SNSで

とりあげるようになったことで、一般の人でも、

 

10年前には「知らなかったこと、わからなかったこと」

が、今は 「知りうること、わかっていること」 に

変わっているんですよね。

 

このYoutube動画、すごくよく調べてあります。

 

 

10年前の私のブログでも言及しましたが、

弁護側の姿勢には、ずっと違和感をおぼえています。

 

 

ものものしい雰囲気ですね。

こんなに 「支援者」 がいたのですか。

20年前に支援していれば、結果は違ったかも

しれませんね。

 

私は、たまたまなのですが、冤罪可能性を指摘する

サイトを、死刑執行前に見たことがあります。ただ、

そのサイトは支援者が作ったものではなく、いろいろな

事件を紹介するもので、紹介の最後に 「冤罪の声も」

みたいな感じで一言書き加えられているだけのもの

でした。だから2008年の執行のニュースを見た際、

驚いた記憶があります。

 

それはともかく、「可能性」は指摘されていたわけです。

それにしては、弁護側の動きがおかしい。

弁護士自身が、無罪を確信している感じを

受けないんですよ。

 

今の動きは、正直、

執行後に世論が盛り上がったことで、それに

乗っかっているように思えてしまいます。

あとは、逮捕から最高裁判決が出るまでの12年

についての 罪滅ぼし のつもりですかね。

本当に被告の無罪を信じていたのならば、12年の

間に、世論を味方につけることはできたはずです。

「可能性の指摘」なら、すでにあったのですからね。

 

今更遅いんですよ。

執行されてしまったから、ではありません。

10年の間に、冤罪可能性を主張する議論は

高まりましたが、一方で、警察の捜査の精緻さや、

裁判の妥当性、足利事件との違いについても

知られるようになっています。

もはや、世論の後押しも期待できません。

 

 

私自身は、冤罪と信じているわけではありません。

「絶対にこいつで間違いない」とも言えませんが、

少なくとも、この事件に関しては、警察の捜査は

ちゃんとしていたと思ってはいます。

 

ただ、2008年の執行が正しかったとも思っていません。

足利事件を意識したと言われても仕方ありません。

検察のメンツを重視するのであれば、2008年に

再審請求をあえて出させて、その過程で

「警察はこんなに細かく調べ、DNA以外の証拠も

これだけある」

ということをアピールすればよかったんです。

 

検察庁や法務省側も

弁護士のほうも

 

なんと言いますか、「死刑執行を利用している」

みたいな印象を受けてしまい

 

それが一番、モヤっとするところですね。