せっかくですので

この四半世紀を振り返ってみましょう。

 

1991年の優勝もですね。

前評判は低かったんです。

前年、2位とは言え、わずか貯金2。巨人に22ゲーム

の大差をつけられました。

新旧交代の必要性を誰もが感じており

それが進んだ感じもなかった。

「4番バークレオ」って大マジメに言ってるような

状態でしたから。

 

しかし佐々岡、足立、江藤、前田、野村といった

若手と、川口、金石のような中堅、山崎、大野らの

ベテランがうまく融合して優勝。

 

ただ、それも長くは続かず

翌1992年は、混戦から最初に脱落して4位。

1993年は終盤の12連敗が響いて最下位。

FAが導入されたのはこの年のオフです。

 

しかし、1994年から1996年まで、優勝争いに

加わります。紀藤や近藤といった若手投手の台頭、

野手では野村、前田、江藤、緒方に加え、金本が

よくなってきた。

1995年にはチェコ、山内が加入して投手陣も

厚くなる。

 

惜しかったのが1996年ですね。

7月初旬まで快走しますが、リーダー野村の故障、

江藤や浅井のケガ、そして投手陣も崩れてきた。

 

この年は「メークドラマ」とか言われますが、

構造的な立て直しの必要性が明確化した年でも

あったんです。

 

しかし「絶対有利な状況から逆転された」という印象が

強かったからでしょうか。1997~1998年の三村監督

時代は、無理して勝とうとした感がありました。

沢崎や黒田(1997年)、小林幹英(1998年)といった

新人にかなり依存してしまいましたね。

1998年は、新外国人ミンチーが15勝しましたが、

他の先発投手では加藤伸一の8勝が最高という体たらく。

 

1999年は佐々岡が15勝を挙げるも、他の先発投手が

ほとんどダメ。横山の7勝(4敗)ぐらいですかね。

そしてこの年のオフ、江藤が巨人に移籍。

 

しかし2000年は、そこそこ形ができてきたときでもありました。

2桁勝利が久しぶりに2人(佐々岡ミンチー)出ましたし、

黒田が9勝。

5位だったので目立ちませんでしたが、優勝した巨人を含む

すべてのチームから12勝以上(全27試合)挙げました。

 

2001年は、ついに黒田がブレーク。

6年目の長谷川が9勝。

打つほうでも、新井がよくなり、ディアス・ロペスの両外国人

も好成績。4番の金本もよかった。

久しぶりに勝率5割を超え、実質3位で終わりました

(この年限りのおバカな順位決定方式により4位)。

 

そして2002年。この年は、優勝の期待もあったんです。

しかし64勝72敗4分の5位。

投手では長谷川、捕手の木村一喜など、好成績を挙げた

選手もいましたが、やはり先発投手陣が薄かったですね。

この年のオフ、金本が阪神に移籍します。

 

2003年、その金本の穴を埋めるべく獲得したのが

ジミー・ハースト。「打つ気のないピッチャー」みたいに

バッターボックスの後ろに立ってましたね。

これは大ハズレでしたが、もう一人の新外国人、

アンディ・シーツがよくやってくれました。長年の懸案

だったショートが埋まったのは大きかったですね。

ところが・・・

新井が打てなくなりました。

ピッチャーでも長谷川が全然。ブロック、デイビーの

補強はあったものの、投手陣の薄さは解消されず。

先発が早々に降りて、「え?また天野?」って思った

試合がいくつもありました。

 

もっとも・・・

2001年~2003年は、それなりに面白かったんですよ。

CSがあれば、もっと面白く見られたと思います。

「優勝」を基準に考えてしまうと、やはり程遠いので、

暗澹とした気持ちにもなりましたけどね。

 

そして2004年。真の暗黒時代に入ります。