みんな元気ですか
スサノオの原点
少しだけ「古代ペルシャ王の道」に
話を戻します。
この王の道「Persian Royal Road」は
考古学上の調査ではペルシャ帝国の
大王ダレイオス1世によって
紀元前5世紀に作られたと
ウィキペディアにはあります。
実際にはおそらくそれ以前から利用された
古道がありそこに新たに道幅を広くして
歩きやすいように、あるいは馬車などが
通り安いように整備したものと思われます。
現在でもトルコの観光名所ティヤルバクルの
橋はいにしえの昔に使われた
そのままに残っているそうです。
この道があった為に古代ペルシャの
文明はエジプトに通じており、
(スーサのスフィンクス・・・エジプトに影響を与えた?)
さらには先の章で述べたように
古代エジプトがやまとレムリア文明と
共通点があることもより具体的に
イメージがわいてくるのです。
スサノオの出自に話を戻します
八坂神社の門前町を祇園といいます。
この祇園の「祇」はあの愛媛の大三島にある
大山祇神社の「つみ」と同じ文字です。
祇園はスサノオの手のひらの内
と言った所でしょうか。
そのスサノオは祇園では
牛頭天王として知られています。
と言うよりも牛頭天王は
スサノオの代名詞です。
牛頭天王とはインドがその起源
と言う説もあります。
ヒンドゥーの聖牛と重なります。
その聖牛ははるか遠くエジプト
までさかのぼります。
牛はエジプトではアルクトゥルス
のシンボルでした。
さらには古代シルクロードを逆に
たどるとやまとレムリア文明が
もともとの起源だったと考えます。
この「インドが最初の起源」と誤解されて
いたことが理由で明治維新の廃仏毀釈時に
牛頭天王は排斥されていました。
牛頭天王は仏教の神だと思われて
いたのです。
祇園祭りの山鉾巡行では古代のペルシャの
絵柄の山鉾がいまでも多く見られます。
(古代ペルシャの絵柄の山鉾)
旧約聖書に出てきますが、モーゼが
ユダヤの民を引き連れてエジプトを
脱出する際にエホバの神から
きつく叱られる場面があります。
連れてきたユダヤの民が牛の偶像を
崇拝していたからです。
この場面はチャールトン・ヘストン主演の
映画「十戒」にも出てきました。
その牛こそが実はバール神でした。
バール信仰は新旧キリスト教に取っては
受け入れられないものだったのです。
人と離れたところで神々
(という異星人同士)
の争いがあったのかもしれません。
バールは「バール・ゼブル」(崇高なる
バール神)として崇められていました。
旧約聖書の著者たちによって
「バール・ゼブブ」=(ハエ)と
名前を変えられ、転じて「ベルゼブブ」
となりソロモンの72柱の魔神の一柱と
なった事はあまり知られてはいません。
(ソロモンの72柱の魔神)
話はそれますがここでも以前ご紹介した
地球の歳差運動の周期及び太陽系が
銀河を一周する公転周期と関係する
「72」という神秘数が出てきます。
太陽系は72年かけて銀河の中心核
に対して角度で1度だけ移動します。
この72と言う数字は偶然ではありません。
太陽系を超えて銀河の構造の知識を
持っていた何者かが作ったストーリーの
可能性があるのです。
人と離れた異星人同士の争い
と解釈する根拠の一つです。
(バール神に関してはウィキペディア→
バアル を参照してください)
キリスト教では今でもベルゼブブが
最強の悪魔としてその名前を
言う事さえ忌み嫌われています。
少し昔の話ですが、リンダ・ブレアが
子役当時の映画「エクゾシスト」にも
この悪魔の名前は出てきました。
しかし
古代ペルシャ地方ではその名前は
尊崇の対象でした。
(シリアのパルミラにあるバアルの神殿)
同じウィキペディアから引用します。
「バアル」はカナン地方で崇められていた
嵐と慈雨の神。
その名はセム語で「主」を意味する。
--中略–
アッカドの雷神アダドの前身でもある」
とあります。
これはそのままスサノオの形容詞です。
おまけにかの地でも「雷神」とまで
言われています。
スサノオは別名を日本では「雷神」
(いかずちのかみ)と言います。
息子二ギハヤヒは「別雷神」
(わけいかずちのかみ)の別名を持ちます。
これは偶然とは思えません。
明らかなつながりがあります。
続きはまたね
(牛頭天王・スサノオ)