みんな元気ですか
はるか昔
古代ギリシャにフェニキアという
海洋貿易都市国家がありました。
言語は古代ヘブライ語。
エジプトで使われていた言葉とおなじです。
フェニキア人は中型の帆船を操り世界中の
富を求めて交易の船旅に出ていました。
彼らはインド洋経由で当時の日本にも
来ていました。
その痕跡は日本各地に残っています。
彼らは文字を石に彫って
土地の情報を後から来る仲間たちに
残しました。
船乗りにとって命の次に大切な飲み水の
場所、その土地々々の食料調達のための
情報、交易のための集落の様子や
交易のための手順、等々。
その石に彫った文字をペトログリフ
と言います。
いまでも日本海側の南から東北の海沿いの
各地、瀬戸内海などにその痕跡が
発見されています。
安芸の宮島の弥山(みせん)の頂上にある
大岩にもその文字がいくつも
残っているらしい。
フェニキア人は海の民。
顔に縞模様の入れ墨をして、長い航海の
ために褐色の肌をしていました。
入れ墨は、長い航海での過度の日焼けを
避けるためという目的もありました。
その海の民の事が中国の古い記録に
残っています。
その頃の中国ではそのフェニキア人を、
あるいは日本に住み着いたフェニキア人
との間に生まれた民を日本人と間違えた
形跡があります。
だから中国の古文書には古代の日本人は
顔に入れ墨をして海に深く潜り魚を
とるのが非常に得意な民である
という記述が残っています。
沖縄の人に入れ墨の習慣があるのも
この名残りかもしれません。
彼らは海の民。
だから海部(あまべ)と呼ばれていました。
海部(あまべ)あるいは海部(かいふ)
という名字は非常に古い可能性があります。
当時フェニキア人だけが外洋航海を
していたわけではありません。
日本人の祖先はそのはるか以前から
外洋航海をしていたと思われます。
その証拠があります。
続きはまたね
そうなんだぁ~・・・だからボク
海鮮料理大好き