みんな元気ですか
さらにおかげ犬の言い伝えを・・・
広重の東海道五十三次の浮世絵には
お伊勢参りをする犬が登場します。
お伊勢参りをしたくてもできないご主人の身代わりに
お伊勢参りをする犬がいました。
それも一つや二つの特別な例ではありませんでした。
江戸時代確かにそういう犬が各地にたくさんいました。
飼い主が首輪にお賽銭や餌代を入れて、お伊勢参りに行く
旨を書いておくと旅人が犬と一緒に行ける途中まで
行ってくれました。
旅人はそういう犬を見つけると声を掛け合います。
「おーい、だれかお伊勢参りをする人はいないか・・・」
すると答えた人が途中まででも一緒に連れて
行ってくれるのです。
もちろん犬一匹だけの旅ではなく、旅ができない人が
参拝に行く人に頼んで、犬を一緒に連れて行って
もらう場合もありますし、各地の街道筋の人たちに
頼む場合もあります。
犬は旅人や街道筋の人たちや、参拝客や伊勢の人から
食事をもらったりしながら、伊勢神宮を参拝しお札をもらい
無事家に帰るのです。
(江戸時代の参宮記「神宮参宮記大成」にもこのことが
書いてあります。)
下は現在伊勢神宮のそばのおかげ横丁にある
おかげ座にある人形の写真です。
この犬は首にしめ縄をしてお札(ふだ)を担いでいます。
文政13年(1830年)おかげ参りをした「おさん」という紀州犬です。
おさんはおかげ参りをした有名な犬の事です。
御蔭参宮(おかげまいり)文政神異記をいう1830年の
記録にこの阿波国阿波の紀州犬の事が出てきます。
代参とわかる書付とともに賽銭や旅の路銀(道中の費用)
を首に巻いた風呂敷にいれていました。
出会った人々が、感心な犬だことと言って小銭を首の
風呂敷にいれたり餌をくれたりしました。
中には首の銅銭が増えて犬には重くなりすぎた様子を
みて2朱銀などに両替をしてくれた人もあったそうです。
なぜこんなことが日常的に起きたのでしょうか。
それは当時のお伊勢参りの規模にありました。
日本人は当時からとても信心深い生活を送っていました。
お伊勢参りをする人数は江戸時代後期年間300万人とも
500万人とも言われていました。
すくなくとも10人に一人がお伊勢参りをしたのです。
このため伊勢から遠い東海道でもお伊勢参りの
人々でごった返したと言われています。
それほどお伊勢参りは人々の憧れでした。
子どもたちだけで行く「抜け参り」と言うのも
あったそうです。
「おかげ参り」も「抜け参り」も街道筋の人々の
暖かい善意に支えられていました。
なんと内宮外宮の両方の宮司さんから
お札をもらって帰るのです。
今と違って犬が社殿の敷地に入ってはダメとか
野暮なルールはありませんでしたから。
以前ご紹介したことがありますが
ポルトガルのサンチャゴ・デラ・コンポステーラの大聖堂の
聖ヤコブの遺骸にお参りするために、ヨーロッパ中から
巡礼がスペイン北部の街道を通り旅をしました。
パウロ・コレーリョの「星の巡礼」の小説に出てきます。
ホタテガイの貝殻を首に下げていると巡礼の証となり
旅の途中で無料の宿泊所に泊まることが出来たそうです。
さらにはサウジアラビアのメッカに巡礼するために
今は毎年数百万人のイスラム教徒が世界中から旅をします。
そのどれよりも日本では当時時代的にははるかに
大規模な巡礼が行われていました。
犬がご主人の代わりに巡礼をする民族は
おそらく日本だけだと思うのです。
首に巻いたお金がとられることなく
しかも街道筋の人々に尊敬の念を持って
迎えられ助けられて無事に数千キロの道を
往復しているのです。
想像を超える過酷な旅です。
おそらく1,2か月で帰って来ることはできません。
その間ずっと人々の温かさに包まれて
旅を続けることが出来たのです。
犬が一人で・・・
ここに日本人の原点があると思うのです・・・
続きます・・・
(帰ってきたらボクおじいさんに・・・てことはないけど・・・)