レムリア・レユニオン 16 スサノオの謎 | イッピーの独り言

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ボクの名前はイッピー。わんこのビション・フリーゼです。ボクが見たことや聞いたことを書きたいと思います。少し不思議なお話もたくさん出てくるかもしれないけど、みんなが気に入ってくれるといいな。

みんな元気ですかドキドキ

 

スサノオと古代オリエントのつながり・・・グッド!

 

 

もう少しだけレムリアを離れます。

 

京都の八坂神社は明治初頭の廃仏毀釈以前は

 

祇園神社と呼ばれていました。

 

その祇園さんの主祭神牛頭天王はスサノオのことです。

 

いかにも日本の神とはかけはなれ

 

牛の角を生やし農耕の神とされています。

 

(スサノオ=牛頭天王)

 

これはバール神あるいはマルドゥク神と言う神と似ています。

 

バール神は古代オリエントのバビロニアで崇拝されていた

 

聖牛の姿をした神です。

 

マルドゥク神は牛ではありませんが神の中の神であり

 

古代バビロニアでは絶対的な神として崇拝されていました。

 

同時に農耕の神でありしかも龍に乗っていました。

 

そしてイカズチノ神つまり竜神として祀られています。

 

(古代バビロニアのマルドゥク神/ウイキペディア)

 

実はイカズチノ神(雷の神)とはスサノオの別名です。

 

スサノオが龍神そのものであることもこれら古代オリエントの

 

神々とイメージが重なります。

 

そのスサノオのお祭りである山鉾(やまぼこ)巡行の山鉾が

 

古代オリエントの文化を色濃く残している事が

 

さらにスサノオの出自が古代オリエントと何らかの形で

 

つながりがある事を思わせるのです。

 

スサノオの出自が古代オリエントである

 

という事についての確証はありません。

 

しかしその事を想像させる材料は実は沢山あります。

 

前の章でご説明した古代オリエントのエラム王国は

 

歴史学者による解明では紀元前3200から

 

紀元前539年まで続いた強大な王国でした。

 

その首都はスーサと言います。

 

バビロニアと熾烈な攻防を繰り広げた王国でした。

 

エラムから有名なバビロニアのハムラビ法典が

 

発見されたのもエラムがバビロニアから略奪したものが

 

スーサで発掘されたのです。

 

ちなみにハムラビ法典が現代でも重要視されているのは

 

多くの近代国家がこの法典を憲法の手本にしているからです。

 

アメリカでもこの法典をもとに憲法を作ろうという動きがあります。

 

しかし王国の最後にはバビロニアによって完全に滅ばされました。

 

その時のバビロニアの王がネブカド・ネザルでした。

 

つまりそのエラム王国の残党が逃れて子孫が

 

日本にたどり着いた可能性が考えられるのです。

 

その指導者格の人物が「スーサの王」を名乗った・・・

 

のかもしれません。

 

それがスサノオになった・・・

 

ちなみに・・・

 

エラム王国とバビロニアの闘争の最大の争点は「製鉄」の

 

技術支配にあったと言われています。

 

スサノオがおろち族と戦ったのも鉄をめぐる争いでした。

 

エラムにはいくつか王朝がありました。

 

そのもっとも勢いが強かった時代に

 

イゲ・ハルキ朝という王朝がありました。

 

その王朝の初代王の名前が同じくイゲ・ハルキと言いました。

 

これが転じて「二ギハヤヒ」となったという説はどうでしょうか。

 

ちなみにニギハヤヒ(饒速日)とは日本を平定した初代天皇で

 

今の大神神社に宮殿をつくり、奈良県桜井市を

 

最初の都を作りました。

 

ニギハヤヒはスサノオの息子です。

 

親子で日本の基盤を築きました。

 

スサノオ・二ギハヤヒとエラム王国とは考古学的には

 

年代が違います。

 

エラム王国の彼らが直接古代の日本に来たとは

 

考えにくいと思います。

 

しかし何か時空を超えたつながりを感じます。

 

と言うのは、古代では人間の寿命は1000才を

 

軽く超えていたという説があります。

 

古事記・日本書紀にも初期の頃の天皇は皆長寿でした。

 

1000才を超える天皇も何人かいます。

 

旧約聖書にも孫と結婚した話はいくつも出てきます。

 

さらには7代後の子孫が生まれるまで生きていた人の

 

話しも出てきます。

 

また偽書とされてはいますが、大王ニギハヤヒの

 

事に多くの説明を割いた先代旧事本記には

 

頭に二本角がある天皇がいたり、ユニコーンのように

 

一本の長い角がある天皇がいたりという記述があります。

 

顔がまるで龍のようだった天皇も何人もいたそうです。

 

もしかすると昨日の記事の写真のように羽のあるスフィンクス

 

の姿をした人間もいたのかもしれないと思うのです。

 

だとすると上の写真のマルドゥク神の長い帽子は

 

角を隠すためでしょうか。

 

あるいはエジプトのファラオも長い帽子をかぶっている人が

 

幾人もいました・・・

 

もしかすると此花昨夜姫のお姉さんと言われる

 

岩永姫とはこのような人種の一人だったかも

 

しれないと思うのです。

 

 

続きはまたね・・・グッド!

 

 

 

イッピーの独り言

 

(バビロニア王国・・・遠くにバベルの「バビロニアの」塔が見えます・・・)