「んま猿面(さるめん)茶席」


織田信長の清州城から名古屋城二之丸御殿へ古材を利用して移築された茶室を復元した展示がありました。


織田有楽斎の設計とか、利休の高弟、古田織部の意匠であるとか伝わる茶室です。


枝を払った節目が二つある柱を見て、信長が秀吉に向かい、「汝の顔の如し」と、冗談を言ったとか。それが床柱に使われていることから、猿面茶席といわれるようになったそうですが、写真がピンぼけしていてよくわかりません。


四畳半台目の点前座には中柱と袖壁が立つ台目構えというものだそうです。


名古屋城本丸に造られたこの茶室は、織部死後、二之丸に移築されました。


昭和の始めには市内の鶴舞公園に移築され、その後旧国宝に指定されたとのこと。私でも聞いたことのある(見たことはありません)待庵、如庵と並び日本三席と呼ばれたそうです。


ですが、第二次世界大戦で焼失。図面をもとに戦後の1949年の昭和24年(戦後たった4年後!)に名古屋城内に再建されたのが現在の猿面茶席ということです。そこの猿面茶席の床柱は本当に猿の顔のような床柱が再現されているそうなので、一度目にしてみたいものです。


まずは、やはり名古屋城に行かないと話になりませんね。


瀬戸肩付き茶入 銘 手習(てならい)

(江戸時代 17世紀)


責紐釜(せめひもがま)名越三昌 作


貴人にお茶を献ずる時には、あらかじめ紐で封印した釜を用いていたと初めて知りました。そのため、口の近くに環付が付けられているのですと。よーく見ると確かに小さなコブのような環付が写っています。

(江戸時代 17世紀)


井戸茶碗 銘 磯清水

朝鮮王朝時代(16世紀)


伊賀瓢形水指(いがひさごがたみずさし)

(桃山-江戸時代 16-17世紀)



常叟宗室竹茶杓(じょうそうそうしつたけちゃしゃく)

江戸時代 17世紀

裏千家五代不休斎作


煤竹の茶杓で、節下は縄目とみられる跡が付いています。


不休斎20代後半の作と考えられているそうです。


春屋宗園法語(广に龍)居士問馬祖 云々

(しゅんおくそうえんほうご ほうこじばそにといて)

桃山-江戸時代 16-17世紀


青磁柑子口花生(せいじこうじぐちはないけ) 元-明時代 14-15世紀


記録を見て、付け焼き刃でまとめて書いたものです。
間違っていたら教えてくださると嬉しいです。

続きます。