あっという間にもう2月。

早いですね。


昨年の後半あたりから

気が滅入りがちだったりで

(個人的な問題よりも

避けられない時代のうねり等に)

歌でも聴こうかとして

一番元気づけられたのが


エレファントカシマシのボーカル

宮本浩次さんの

この「P.S. I love you」という曲でした。


以前にも聞いた事はあったはずなのに

受け取り手の心情の変化で

印象はずいぶん変わるのだなぁ。


何度か繰り返し聞いて

味わいながら

つらつらと思ったこと。


結果的に

すごい長文駄文になってしまい


書いておいて何ですが

時間の無駄を避けるなら

わざわざ読まないことを

お勧めいたします。🫡

(何のこっちゃ?)



一つ目は

結局、この世界はしょせん

人間には理解の及ばぬもの


正しい、間違いとか

善悪とかは

人が勝手に見る幻想であって

実際には、ただ現象があるだけ

なのかも知れない。


なんか中2病みたいに

なっていますけれども。😅


それでも人は

私自身もそうですが


正義とか

生きる意味とか理由とか

そこに何らかの理解を

見つけたくなる。



『歴史的事実』と呼んで

歴史という人の主観や思惑が

入り乱れる曖昧なものに

事実というこれまた

立場や意図で操作できる

ていのいい辻褄をくっつけて

何とか理解した気になったり。



ただ人間とは

そうやって現象に

勝手な意味を持たせながら

生きて行く動物だと思えば


こうして歌でも聴いて

自分を鼓舞して

勝手に納得して

今日を生きて

「別にそれでいいんだよ

ワタシさん。」と思ったり。


つきつめて考えると

人間界のほとんどのことは

しょせんは迷信やおまじないと

同じようなものなのかも。




二つめに思ったことは


人が他の動物と違って持つ

特別な能力として


2本足歩行で空いた手を使い

絵や文字を書き残すことを

習得したのは大きくて


それにより

自分の得た知識を

次世代に残すことが

できるようになった。


コンピュータに

外付けの記憶媒体が

増えたようなものでしょうか?



個の人間が

一世代で得られる以上の体験を

絵や文字を通して得られるのが


人間という動物の

大きな特性の一つで


他の動物も

同世代の個体間では

コミュニケーションを取り

情報伝達をしているでしょうが


DNAレベル以外での

世代間伝達の点では

人間は抜きん出た存在でしょう。



情報量の差もありますし

DNAだと子ができた時点までの

情報しか書き込めず


親子関係がない相手には

伝達できませんからね。



だけどやっぱり

絵や文字や話し言葉で

伝え切れることというのは

思った以上に本当に少なくて


個体差も大きいですが

たとえどんなに悲惨なこと

命に関わるようなことでも

自分で体験しないと

聞いても読んでも

伝わらない人間が

とてもとても多い。


だから、悲惨な戦争なども

起こってしまって

体験して後悔して

しばらくするとまた繰り返す。



つまりは、それは

人間の能力である

世代間伝達の限界なのかなと。


喉元過ぎれば熱さ忘れて

愚行を繰り返すことが

人間の限界であり、特性


結局、人間というのは

そういう動物なのでしょうか。




三つ目に思ったのが


それでも人間は

あるいは私自身は


この不条理な世界で

その日その日を生きるのに

やっぱり小さな幸せとか

生きる意味とか

正しい行いとか

愛だとか

ちょっとした思いやりだとか


あるいはただの

幻想やおまじないかも

知れないものを大事に感じる。



そんな時にふと

中学生くらいの時に

気に入って読んだ

フランスの作家

アルベール・カミュの説を

ぼんやりと思い出しまして


なんか本当にいい年して

中2病?ですけれども😓


当時、とても心惹かれて

読んだけれども

わかるようなわからぬような

いや、結局よく分からなくて


手元にもなく

読み返してはいませんので

各自ご確認下さい。



私のうっすらした記憶と

悪い頭によると

たしか、カミュは


人間とはこの世界を

理解したいという願うものだが


この世界は人間には

とうてい理解し得ないもの


その矛盾した衝突が

「不条理」であると言っています。



人間が

世界を理解したいという欲求は

統一性であり


それが全体主義へ向かう

革命の危険となるうる


みたいな記述があった記憶で


私の中ではそれが

今のアメリカや世界の様子に

ぴたりとはまって感じたのでした。



不条理、芸術、反抗、多様性などの

関係なども書いていて


今度は英語で読んだら

もう少しわかるのだろうか

再チャレンジしてみたいような

気分になっています。



で、長々と

理解もしていない

私のカミュ評は

ただのおまけでして


ここからが3つ目に

思ったことなのですが


今はアメリカも日本も

理数系を中心に

受験科目が非常に重視され

文系不要論などもあったりで


高等教育において

文学や芸術などは

下に見られがちですよね。



だけど、よく考えると

文系科目や芸術において

ああでもないこうでもないと

実生活に直接は

結びつかないようなものを

こねくり回すことが


世界を理解したい

こうという1つの解を見つけたい

という人間の欲求が


全体主義的な危険な方向へ

暴走する足止めになるという

効果があるのではないかとも

思えて来ます。



例えば、冒頭の

宮本さんの歌も


彼なりの

この不条理な世界への答え

あるいは反抗を

込めたものだという気がして

私は心惹かれたのですが


こうして芸術家は

世界を理解したいといいながら

多様性を提示するわけですが


だったらいろんなのが出てきて

世界がどうか

一つには決まらなく

なっちゃうじゃないのよ!😂



だけどその多様性の提示が

効果としては


だから世界は人間の理解を

超えちゃってるんだってばと

度々、引き戻してくれていて


革命という名の人間の暴走を

防ぐ役割を果たしたり。



だからやっぱり

理系も大事で役に立つけれども


文系も芸術系も

とても大事なんじゃなかろうかと


それが3つ目の

最近感じたことでした。