(2020年10月19日更新)

 

 

 

「井上さん、このブログで結局何が言いたいんですか?」

 

ブログのタイトルからお分かりのように、

わたしは「起業を考えている」あなたへ向けて

書いています。

しかし、いわゆる起業ノウハウ専門ではありません。

 

わたしには、

あなたが起業を考えている、このタイミングにこそ

ぜひお伝えしたいことがあります。

 

それについて説明するために、長くなりますが

わたしの起業のお話をさせていただきます。

 

大阪で大学卒業後、健康食品メーカーに勤務。

約5年間お世話になったのち

1997年、わたしはカナダへ渡りました。26歳でした。

 

 

海外留学と言えば聞こえはいいですが、

「すごいねー」 と言われれば言われるほど

気まずい思いで一杯になります。

 

すごくなんか、ちっともありません。

留学の本当の理由は

語学の習得などではなかったのです。

 

知っているひとが誰もいないところで

気ままな時間を過ごしてみたかっただけ。

逃避、と言ってもいいと思います。

 

日本がまだ経済大国と言われたころ。

わたしは表向き

会社でも重宝される 「できる女」 でした。

 

しかしプライベートでは

以前付き合っていた人との関係がこじれ、

自分に自信など、まったくありませんでした。

 

自分自身がなんなのか

迷いに迷っていました。

 

当時は自覚がありませんでしたが、

後で知人に話したところ

ウツだったんじゃないか、と言われました。

 

いずれにせよ、精神的に

かなり不健康だったのは間違いありません。

 

そんな中、日本を遠く離れることで

現実をガラッと変え、

自分を変えたかったのだと思います。

 

そうやってやってきたカナダ。

お決まりの語学学校を2期こなし

お互い共感できる留学生の友達はできました。

 

しかし言葉が不自由なだけに

なかなか現地のひとと深く付き合うのが難しい。

 

しかし、わたしにはそんな現実が

かえって気楽 でもあったのです。

 

英語という非母国語を使っているために、

「うまく話せなくても当たり前」 という前提で

周囲が見てくれます。

 

見るからに外国人の方がカタコトの日本語で

「コニチハ、お元気ですコ?」 と言ったら

あなたもきっと

「すごいね!日本語話せるんだ!」 となるでしょう。

 

しかし、同じことを会社の同僚が言ったら

「何言ってんの?」と眉をひそめるか

冗談だと思って笑うはず。

 

つまり、第二言語でのコミュニケーションなら

外国人ということで大目に見てもらえる。

洗練された 「大人の会話」 ができなくても

言い訳ができる のです。

 

「大きな子供」 でいられ、

周囲と常識がずれていても許される、

外国人という立場。

 

今で言う「コミュ障」が、

外国なら「普通の人」になれるというわけ。

 

振り返れば、20代も半ばを過ぎ

まだまだとんでもなく子供でした。

 

そんなわたしでしたが、

日本での恋愛に疲れていた反動で

クラスメートが強力に勧めたひと(日本人)と

お見合い状態で付き合うことに。

 

以前なら在りえないことでした。

しかし、自分自身にとことん自信をなくした後

 

「自分にはピンとこないことを敢えてやってみる」 

 

ということに

積極的に気持ちが動いたのです。

 

彼は大変いいひとで、

そのまま彼の人生計画に乗るかたちで

カナダへ留まりました。

 

そうこうするうちご縁あって

畑違いの造園業界へ。

 

反対する理由もないまま彼と結婚

2児をもうけます。

タイミングよく家も買え、無事移民となり

順風漫歩と思いきや、離婚。

 

原因は、月並みですが、性格の不一致です。

 

この離婚を決断した最終的な理由は

わたしの健康状態です。

 

わたしの母はからだが弱く、

40代から入退院を繰り返し

家でも寝ていることがよくありました。

それは ストレスが大きな原因 でした。

 

自営で一時は羽振りもよかった父は

父なりに母のことを大切にしていましたが、

昭和の日本男児らしく

「家」のことは母に任せきりでした。

 

「家」というのは家事育児に限らず

家族間の人間関係や信頼の問題について

積極的に踏み込みはしなかったということ。

 

専業主婦で外出もほとんどしなかった母は

自分の不満や悩みのぶつけ所が無かったのでしょう。

わたしにもよく愚痴をこぼしましたが、

勝ち気だったわたしは

 

「そんなの、子供のわたしじゃなくて

問題のある本人たちと話し合うべきでしょ。

わたしに言ったってしょうがないじゃん。

っつーか、迷惑」

 

と冷たく切り捨てました。

 

確かに正論なんですが、母には

それを受け留め自ら行動を変えていく術が

無かったのだと思います。

 

「それができれば苦労しないわよ!」

 

というところだったのではないでしょうか。

そして、ついつい甘えが出る実の娘に

ぴしゃり、と撥ね付けられ

ますます「行き場」を失ったのではないか。

 

それが結局「病気」という形で現れた、

少なくとも大きく貢献したと思っています。

 

ふと気づくと、自分もまた父と母のように

表面的には平安であっても

夫との溝はどんどんと広がっていました。

 

「問題」を話し合おうとしても

夫は「何が問題なのか分からない」様子で

のれんに腕押し。

 

自分ひとりが空回りしているようで、

出口が見えないまま年月が経つうちに

体調は、無視できないまでに悪化。

多くの時間をベッドで過ごすようになっていました。

 

自分が母と同じような状態になって、

わたしは恐怖に襲われました。

このまま寝たきりの道を転げ落ちて行けば

自分はもうおしまいだ、と。

 

元旦那はほんとうに「いい人」でした。

わたしが家事放棄して寝ていると

文句など一切なく、自らご飯を作ったり

掃除や洗濯をしてくれるようになりました。

 

しかし、わたしはとても孤独でした。

母も、とても孤独だったと思います。

 

 

母の姿を見ながら育ったわたしは、

自分が彼女と同じようになれば

自分の子供たちがどんなふうに感じるか、

ありありと想像できました。

 

それを考えたとき、

たとえ子供たちを一時的に傷つけても

今、自分が動かなければいけない。

そう決心がつきました。

 

夫は優しい人でしたが

何か問題が起こった時に、自分から動けなかった。

大きな決断はいつも、わたしがしてきました。

 

皮肉なものですが、結婚も離婚も

わたしが決めました。

 

そんなわたしには、

実はすでに  「次の人」  がいたのです。

 

離婚の原因は性格の不一致と言いましたが、

それが根本にあったとは言え

元旦那とのすれ違いが大きくなればなるほど

カナダ人である現旦那との距離が近づいていました。

 

元旦那は、すべて黙って受け入れてくれました。

とにもかくにも「いい人」でした。

 

まもなく、現旦那と子供たちと一緒に

飛行機で5時間以上離れた、今のうちへ引っ越しました。

大きな移動でした。

 

 

現旦那とは長年の付き合いがありましたが、

一緒に住み出してみると、衝撃の発見が。

 

詳しいことはまた

どこかで触れることもあると思いますが

簡単に言えば

言葉での暴力を受けることになったのです。

 

離婚以来、だんだんと回復してきていた健康が

今度は神経科のカウンセリングを真剣に考えたくらい

メンタル面で激しく叩かれました。

 

「なんでこんなことに?」

 

自問自答が続きました。

妙な占い師に頼ったこともあります。

 

そして、やっと腑に落ちたこと。

それは、わたしが

「自分の人生の責任を負いきっていなかった」

ということです。

 

わたしが孤独だったのは、

自分自身の人生を

誰かの責任にしようとしてきたから。

 

「流れに乗る」 というと格好がいいですが

結局、他人を軸にした決断を繰り返してきた のです。

 

「相手のことを考えて」 という耳障りのよい理屈をつけて

自分自身を軸にすることを避け、

決断の責任を負うことから逃げ続けてきたのです。

 

ことが上手く回らなくなるたびに

誰かに助けてもらうことでその場はしのいできましたが、

結局は、自分で自分の人生に責任を持ちきる覚悟が

できていなかったのです。

 

そして、またことがこじれると

それは自分「だけ」のせいじゃない、

相手が一緒に問題解決してくれなければどうにもできない

と堂々巡りに陥っていました。

 

付き合ったひとを責めたり

旦那を責めたり

英語社会を責めたり。

 

彼らや社会がああだから、わたしが苦労する。

 

今書いていても恥ずかしいですが、

「自分は悪くない」 ととっさにいい訳してしまうクセ

それがあることを、やっと自分で認めました。

 

そして、

自分の人生を自分の手で切り開くため

できることはすべてやる こと。

 

そう腹を決めてから、

「あなた任せ」の態度が変わりました。

現旦那への接し方も変わりました。

 

糖尿病のピークにあった彼の健康状態が

回復してきたせいもあると思いますが、

いつしか彼の状態もおだやかになり、

わたしの健康も、どんどんと回復しました。

 

同時に

彼に頼ってばかりではこの先どうなるか分からない、と

現実を見るようになり、

自分が経済力をつける必要性を痛感しました。

 

そんなとき、友人が

ワークショップをやらないかと言ってきた。

日本食の作り方を教えられないか、と。

 

結局その話は流れたのですが、

それがきっかけとなり、起業を真剣に考え始めたのです。

 

本来、責任のある立場をとるのには慎重な反面、

やると決めたら徹底的にやりたい性格。

 

ですので、ビジネスをやるときも

なぜやるのか、その理由を明確にしなければ

自分にはできない、と思いました。

 

「なぜリスクを負ってまで、ビジネスをやるのか」

これを、とことん考えたのです。

 

考えた結果、答えが見つかりました。

ひとの下で働くのではなく、自分が経営者となれば

どんなことがあっても、

自分の価値感を最優先した決断を下せるから。

 

きれいごとに聞こえるかもしれませんが、

ひとが幸せになるのを見ることが、わたしの喜びです。

それによって

わたしはエネルギーを得るのです。

 

言い換えれば、ビジネスをやる以上

「相手のしあわせを最優先する」 と決めました。

これは、わたしにとって

人生ふたつめの「自分自身に対する約束」です。

 

 

ひとつめの約束は、カナダへ渡る前、25歳のころ

「自分を絶対殺さない」 としています。

 

相手が望むからといって、

自分は本当はしたくないことを、

自分を飲み込んでやる、ということをしない。

 

「自分を殺さない」 と 「相手のしあわせを最優先する」。

 

一見矛盾するように見えるかもしれません。

しかし、これらは

ふたつ合わさってこそ、なのです。

 

わたしの離婚は、

自分を殺さないという

自分自身への約束を貫いた結果でした。

 

そして、自分が不幸なのに周囲は本当に幸せかどうか、

それを考えていくと、

自らの幸せを貫くことが

結局は相手の幸せでもありました。

 

自分が自分の責任を取り、しっかりと自立することが

相手の幸せに貢献する根本 だということです。

 

自分の責任を相手に負ってもらい

相手の責任を自分が負う、という依存の関係は

わたしが思うところの 「幸せ」 ではない

ということでもあります。

 

責任は、負わなくて済むなら楽ですよね。

わたしも、ずっと避けてきました。

そして、そんな自分をあの手この手で

言い訳してきました。

 

しかし、そのツケは

「自分が幸せにならない」 というかたち

エネルギーがどんどん枯渇して行くというかたちで

しっかりと回ってきたと思っています。

 

それを嫌というほど体験してきたからこそ、

同じような堂々巡りをしているひとたちが

自立することによってそのサイクルを断ち切る

お手伝いをしたい。

 

わたしがビジネスをする姿勢、

根本的な理念、ベクトルはそこにあります。

 

自分が自立を目指すとともに

お客さんにも自立してもらうことを目指しています。

 

そして、自立した大人として

これから育っていく子供たちのモデルになって欲しい。

 

わたしはオーガニック食材の販売をしていますが

仕入先候補はいくつもあります。

 

ぶっちゃけ、某外国などから物を仕入れれば

コストは低く抑えられ、利益も上がりやすい。

 

しかし、自分が本当にしたいことは

利益を上げることだけではありません。

 

というより、ビジネスを通して

社会に現象を起こしていくこと

コミュニティーにエネルギーを与えていくこと

そちらの方にこそ、情熱がある。

 

情熱がある、つまり

自分の エネルギーが出る のです。

 

コストの低さだけに注目して

安い物を仕入れては売るだけでは

わたしのエネルギーはすぐ枯渇するでしょう。

 

そして、値段の安さを売り物にすれば

集まってくるお客さんはバーゲン漁りばかり。

エネルギーを吸い取られるばかりでしょう。

 

わたしは、それとは真逆のビジネスをやりたい。

 

つまり、わたしがやりたいのは

「より高いエネルギーを生み出すビジネス」

 

そのためには最初から

マーケットをそれ用に設定し

仕組みもそれ用に設定しなければいけません。

 

だから地元産にこだわったり

コミュニティーづくりに力を入れています。

 

これはビジネスコンセプトであり

選択です。

 

どんなビジネスがしたいか。

上に社長がいれば、上の決定で決まることです。

しかし自分が社長なら、自分の意志で決めます。

 

 

絶対的な正解は、ありません。

起業家は、自分にとっての正解を

自分で選んでいきます。

 

自分が正しいと思うことを

選択 「できる」 自由 であるとともに、

 

自分が正しいと思うことを

選択 「しなければならない」 義務、責任

でもあります。

 

こういったことをいろいろと

考えたり経験した上で、わたしは起業しました。

そして今も、日々考えています。

 

わたしが人生に責任を負う覚悟と

起業の覚悟を同時に決めたのは、

偶然ではなかったと思います。

 

ビジネスも、人生も、

自分が正しいと思うように、

責任を持って決断していく。

 

誰かが代わりに決めてくれたりはしません。

 

これが自立ということです。

自分が全て責任を持つ、ということ。

 

起業以来、大変なこともたくさんありますが

後悔は一切していません。

 

そして、どん底だったころなら考えられないくらい

エネルギーがどこからともなく、わいてきます。

睡眠時間は前より短く

やることは相変わらず山積みなのに。

 

わたしは

やり手のビジネスウーマンではないかもしれません。

 

だけど、自分のベクトルが正しいことを

100%確信しています。

それが、このブログを書いている理由です。

 

結局のところ、メッセージはただひとつ。

わたしにつながってください。

あなたが自立したいと願うなら、

わたしには、お渡しできるものがあると思います。

 

「このブログで、結局何がしたいんですか?」

 

あなたに自立してもらいたい。

自分の子供に願うのと同じです。

 

そして、あなた自身のベクトルを持ってほしい。

 

ベクトルが定まれば、本当にパワーが出る。

それをあなたに感じ、信じてもらいたい。

実際に見たり聞いたりすることで、

影響を受け、あなたが変わる。

 

楽しいよ!そうなったら。

 

そして、あなたが変わることで

世界は変わっていきます。

 

それをやりたくて、発信をしています。

 

幸いなことに、素晴らしい同志

島田カオル女史との出会いもありました。

彼女に励まされ、助けられ

こうしてネット上で声を上げることができました。

 

そして、近況です(2020年10月現在)。

でこぼこいっぱいな島田x井上ですが

人生後半、留まるところを知らず

ますますパワーアップしている秘密とは⁉

 

奇才・島田カオルとの対談

よろしかったらご覧ください。