■ フェルディナン・ド・ソシュール
Ferdinand de Saussure (1857-1913)
中観や唯識の哲学について考えるとき、言語の問題を避けて通るわけにはいかない。 また、その際、『一般言語学講義』において、ラジカルな反実体論=関係論を展開したフェルディナン・ド・ソシュールは、とりわけ参照されなくてはならない。だが、ひとまず今回、ここで取り上げようとしているのは、『一般言語学講義』のソシュールではない。アナグラム研究のソシュールである。
アナグラムとは本来、単語(または文)の中の文字を入れ替え、まったく意味の違う単語(または文)をつくる言葉遊びである。古くからある例をあげると、Révolution française フランス革命 → Un vote corse la finira. コルシカの拒否権(ナポレオンのこと)がそれに終止符を打つだろう、というのがある。これなどは、実によくできている。もっと単純明快な例を示しておくならば……。
カトウアイ アトウカイ
しかし、ソシュールが夢中になったアナグラムとは、そのような言葉遊びではない。それは、古代ローマ詩から19世紀ラテン詩へと研究を続けるうちに発見された、実に驚くべき詩的技法なのである。 さあ、その驚くべき詩的技法とは何か? 読者よ、次回を待たれよ。
オイラントリイミユキ 花魁、鳥居みゆき。
オイキミユトリライン おい、君、ゆとりライン。
キミオイユトリライン 君追い、ゆとりライン。
ユミトリライオンイキ 弓取り、ライオン生き。
ユミトリイオンキライ 弓取り、イオン嫌い。
う~ん、なんだか意味が通らない。
イミトオリイランユキ 意味通り、イラン行き。
ダメだね、これは(笑)。