では、リア充であることが強者の条件だろうか?

旨いもんを食い、いい女を抱けというのが、ニーチェの哲学であったか? まあ、そんな単純なものだったら、死後100年も経って論じられることもないだろうし、丁寧に超訳されることもないだろう。

ここで強者とはリア充であるとした上で、リア充の条件を考えてみよう。旨いもんを食い、いい女を抱くことだけが条件だろうか。たとえば、学歴は? 地位、名誉、権力なども簡単に思い浮かぶ。

東大出の社長は、ハーバード大出の貧乏学者に嫉妬するかもしれない。 イケメンと付き合っているA子さんもハリウッド・セレブには負け、ハリウッド・セレブもロックフェラーほどの贅沢はできない。ロックフェラーにしたって、若く貧しい恋人たちに嫉妬したりもするだろう。

リア充を自認する者が次のようにつぶやいたとしたら、どうだろう?
「彼らは若く幸福そうだ。しかし、私は彼らより旨いものを食っている」
「彼は東大出だ。しかし、私は彼よりもいい女を抱いている」

数ある諸条件の中から、あえて「旨いもん」を選ぶとするなら、それはそれで、また一つの「ゆがんだ道徳」にしかならないだろう。リア充が強者の条件にならないことは、明らかである。

では、どうすればよいのか?
この問いを「どうすれば強者になれるのか?」と解してはならない。強者になろうと望む時点で、弱者であることは決定的である。

要は、強者になろうという意志を捨てることである。強者になるために意志を捨てるのではない。かつて自分が強者を目指していたことを、すっかり忘れ去った者こそ、真の強者なのである。

さあ、ようやく結論めいたものが見えてきた。「強者」を「伝説のトレーダー」みたいな言葉に替えれば、立派な相場訓にもなりそうだ。

だが、しかし……と続いてしまうのである。

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