糞の輸送--胡同トイレ物語⑧ | いーちんたん 

糞の輸送--胡同トイレ物語⑧

民国時代になってから、居住制限がなくなり(旗人しか住めないという)、北京城内は空前の繁栄を経験する。人口の急激な増加に伴い、糞業も急成長を遂げ、糞夫を街かどで見かけることが多くなると、次第にその言動が人々の話題に上ることが増えた。


最も市民らを閉口させたのは、「あの糞車はどうにかならないか」ということである。


前述のとおり、糞夫らの標準スタイルは背負い桶に長い糞勺だが、これは個々の狭い路地に入ったり、四合院の中に入る際、移動に便利なようにするためであり、大通りには糞車を置き、桶の中身を入れて移動させていた。こくたまに車さえなく、背中に置けを背負ったまま城外の糞場まで運ぶ糞夫もいたが、その数はごくわずか、糞夫の中でも最下層にある人々のみである。

糞車は清代から変わらない一輪車の両側にイバラの蔓(つる)で編んだカゴをつるしたスタイル。蔓編みだから当然密封性はよろしくなく、蔓の間から糞尿がぽたぽたと落ちることになる。さらに伝統的にフタをつける習慣もなく、下からはぼたぼたこぼしまくり、上からは臭気を撒き散らすという極めて愉しくない移動物であった。


さらに一輪車のため、安定性が悪く、雨の日、厳寒の道が凍りつく冬の日、雪が降った日、少しでも足元がすべれば、かごの中身は道路に真っ逆さま。大事な飯の種なので、拾い集めることはもちろんだとしても、そうそうきれいにこそぎ取れるものでもなく、その残骸は何日も通行人に悪臭を散じ続けた。



城内の人通りが増え、並行的に糞車の通行の頻度も上がってくると、当然「どうにかしろ」という声が高くなってくる。


写真: トイレの話ながら、四合院の美しさに浸らん。2003年。東綿花胡同の石彫刻の美しい四合院。

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