こんにちは。ただのあきこです。
今日も暑い中、ご訪問くださり、ありがとうございますほんの少しだけでも、あなたの心がホッと一息、安心を感じてもらえる場になれええええーとの思いを込めて書いています。どうぞ、ごゆっくりなさってください
前回の記事の続きです。
感受性が強めのアタシが、率直に怖さを感じた後に、意識のちょっと奥にある倉庫から取り出すモノがあるってことに気づいた……どうするどうなる??ってところから。
意識の倉庫から取り出すモノとは、
少しだけ自分をホッと緩ませてあげる(安心させてあげる)考え方
でした。それを取り出してみる。
たとえば。
ヤバい。この話に全然ついていけない。話自体に興味がない上に、その方向性に賛同できない気持ちが募ってきた。でも、真顔で聞くだけだと、さすがにあかんよね?どうしよう……あーなんか感想求められたら辛すぎる……
ってな時。
自分の身の振り方によって、今までフツーに接していた人がもしかして、いなくなっちゃうかも……っていう怖さを感じたら。
そういう時って、テンパってるから、深呼吸したり、五感に意識を向けたりっていうの、やりにくい。そもそも他の事を考えられる余裕がない。ダイジョーブ、ダイジョーブ、ダイジョーブと、お経のように唱えるのもいいのだけど。下手に怖さに対して蓋しちゃうと、今存在する怖さが成仏できずに残って、こじらせちゃうんで。
こういう時は
今、アタシめっちゃ怖いよね、苦しいよね?
どうしたら、ちょっとでも楽になるかな?
と自分に、声かけしてみる。
もちろん、答えがでたらサイコー。
嘘も方便方式に、話を振られそうになったらトイレに立つとか。うーん、なんか言葉になりそうでならんわーとお茶を濁したり。アタシにはわからんわーと正直に言ったり。その場に応じた答えってあるよね。
だけど、別に答えがでなくてもいい。
ここ、何気にポイントだと思うんだけど。「早急に答えを出さねばならん」って考えるのは、自分を緩ませて(安心させて)あげる考え方にはそぐわないから。だから、「答えが出ても、出なくても、どっちでもいいんだよー」としてあげるといいみたい。
そしたら、不思議なんだけど、大抵は答えがピンっとひらめく。(別に、閃かなくても、なんとかなったりするし。)
今回は、こういう声掛けだったんだけど。場面場面で言葉は変わってくる。ただ、その言葉が、
少しだけ自分をホッと緩ませてあげる(安心させてあげる)考え方
に基づくものだったら、大丈夫。
そもそも、感受性が強い人って、自分の頭の中の計算の世界が「怖い」認定しているコトが殆どで、我に返って現実を見てみると、別になんともないコトが多いしね
まだまだ、怖さを感じることに抵抗しちゃうアタシなんだけど。これで「怖いー怖いー」と叫びながらも、「でも何とかなるかもしんない」と、自分にだけ聞こえるちっちゃな声で言えるようになりました
これから、この声がもう少しだけ大きくなって、自信をもっていきたいなーあ、と。まだまだ発展途上のプロセスを楽しむつもりです。
この夏、こーんなことやってます。よろしければご覧になってくださいね
最後までお付き合いくださり、ありがとうございました