昭和28年5月に発行された、研究社小英文叢書「The return of a private and Other American stories」は作者を異にする4編から成っていて、第一篇は過日紹介した「A Struggle for life」第2編は「By the morning boat; by Sarah Orne Jewett」、そして今日、第3編の「Desiree’s baby; by Kate Chopin」を読み終えた。

 

 第2編の「By the morning boat朝の出航船にて」は、海で父を亡くし、メイン州の寂しい海辺の家で祖父と母親に育てられた男の子イライシャが20歳になった夏の日に、独り故郷を離れ大都市ボストンへ出航する蒸気船に乗り込む物語である。世間知らずの若者を手放す祖父と母親の心配、五つ違いの妹が兄の大人への急変に戸惑う様子、昔からの一家を知る近隣の人々の期待、様々な関係を熟知した上でのイライシャの決心が固まっていく。万難を排してイライシャは終に船上の人となる。デッキの上で彼はボストンの方角をじっと睨んでいた。

 

 実直な青春物語である。読者の中にはわが身の青春時代と重ね合わせて胸を熱くされるご同輩もおられるだろう、吾輩もその一人である。

 

 さて、第三話「デジレーの赤児」、物語の冒頭は次の文章から始まっている。

As the day was pleasant, Madame Valmonde drove over to L’abri to see Desiree and the baby. It made her laugh to think of Desiree with a baby. Why, it seemed but yesterday that Desiree was little more than a baby herself:

バルモンデ夫人はその日デジレーとその赤児に逢いにラブリへ出かけることで、わくわくしていた。デシレーに赤ちゃんが、と思うだけで彼女は笑ってしまうのだった、何故ってデジレー自身が赤ちゃんより少し大きかったのがほんの昨日のことのようにしか思えてならなかったからだった。

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 バルモンデ夫妻はフランスからルイジアナ州へ入植し、プランテーションを開拓してきた農業経営者だった。ある日、自宅の玄関先の太い石柱の日陰で寝そべっている幼い女の子を見つけたバルモンデ氏が抱き起すと”父ちゃん”と叫んで泣き出した。よちよち歩きの幼児が道に迷って寝てしまったのかとも思ったが、出生の分からぬ捨て子であった。バルモンデ夫人は身を分けた子ではないが、神のお恵みと思い、情愛の深い誠実な子供に育て上げた。

 

 近くのプランテーションにはフランスからアンビニュイ一家の農業経営者がいた。夫婦の中に男の子がいたが夫人が亡くなり、亡夫人の希望で生地パリに埋葬された。バルモンデ家とアンビニュイ家は時折行き来をする関係であった。夫人を亡くしたアンビニュイ一家の家庭内は次第に情緒の乏しい荒廃感の漂う雰囲気になっていた。

 

 二人の若者デジレー・バルモンデとアーマンド・アンビニュイは少年・少女時代から幾度も顔を合わせていたが、ある日、バルモンデの玄関先でデジレーを見たアーマンドはまるで銃で撃たれたかのように呆然として、デジレーとの恋に陥ってしまった。

 

 二人の関係を知ったバルモンデ氏は娘のはっきりとしない出生を懸念したが、アーマンドはデジレーの目の中を覗き込みバルモンデ氏の懸念を問題としなかった。アーマンドは豪華な結納品をパリから取り寄せ着々と結婚の準備を進めた。

 

 二人の結婚とその後に生まれた長男の誕生はアーマンドの性格にも良い方向に作用した。父の農業経営を引き継いだアーマンドは父に比べて使用人には厳しかった。これまでは些かの怠惰も偽り事も許さなかったが、子供が生まれてからは全く人が変わり温和な人柄に変わった。それを一番に喜び、幸せを感じ取っていたのは妻のデジレーであった。

 

 

 4週間ぶりに娘とその赤ちゃんに逢ったバルモンデ夫人は娘の幸せそうな様子に満足した。生後1か月の孫を抱いた彼女は孫の顔をじっと見つめ、明るい窓際に移って細々と何かを探るような様子であった。彼女は娘に赤児を返しながら、「それで、アーマンドは何て言ってるの?」  デジレーは幸せそうに眼を輝かせ顔を紅潮させるばかりであった。

 

 赤児が生まれて3か月ほど経った頃、デジレーは家庭内に何とも言えない不安な幸せを脅かす雰囲気が漂っていることを感じ始めていた。アーマンドが自分と赤児を避けているように思えてきた。ある暑い日の午後、赤児が半裸のままマホガ二の寝台のうえで眠っていた。そこに使用人のブランチェ家の混血の子供たちの内の一人が―半裸で―立って孔雀の羽根の扇でゆっくりと風を赤児に送っていた。デジレーの目はぼんやりと悲し気に赤児の上に注がれていた。

 

 彼女は自分の赤児と孔雀の羽根の扇で風を送っている子供を相互に見比べていたが、「あっ!」という叫びが思わず口から出てしまった。彼女の血が血管の中で凍えついたように感じた。彼女は身動きもせず、自分の赤児の上に目を釘付けにした、そして彼女の顔は驚愕の塊となった。

 

 その時、夫のアーマンドが部屋の中に入ってきて、彼女には振り向きもせず、机で調べ物をするべく書類を探し始めた。

 

 「アーマンド」と彼女は呼んだ、その声は人間なら心を刺される声だった。しかし、彼の反応はなかった。「アーマンド」彼女は再び彼を呼んだ、その後彼女は身を起こし、ふらつきながら彼の傍へ行き「アーマンド」と彼女はもう一度激しく喘ぐように言った、彼の腕を掴み「私たちの子供をよく見て頂戴、どういうことなの?私に言って。」

 

 彼は冷たく穏便に彼女の指を自分の腕から外し遠のけた。「話して頂戴!」と彼女は絶望的に叫んだ。「どういうことかって?」彼は軽やかに答えた。子供は白人ではないってことだよ、それはつまり君は白人ではないってことだよ。」

 

 彼女はバルモンデ夫人あてに絶望的な手紙を送った。母からはすぐに簡単な返事が返ってきた。「私のデジリーや;バルモンデに帰っていらっしゃい。貴女を愛している母の元へ子供を連れて帰っていらっしゃい。」

彼女は母からの返事を彼に見せた。彼は何も言わなかった。「わたし、帰っていいの、アーマンド?」「ああ、帰っていいよ。」「帰らせたいの?」「ああ、帰って欲しいんだ。」

 

 彼はこのことは全知全能の神が冷酷に決めたのだと思った、それは彼に不公平だとすら思った。彼女は無意識であったとは言え、自分の家と自分の名に害をもたらしたのであるから。彼はもう彼女を愛してはいなかった。

 

 彼女は薄い部屋着のまま、足にはスリッパを履いたまま子供を抱いて家を出た。牧草地を横切る人馬の踏み固めた道を行けば容易にバルモンデのプランテーションへ通じたが、彼女はその道を外し葦や柳の茂る入り江の深い崖の方へと歩いて行って姿を消した。その後再び親子が姿を現すことはなかった。

 

 その数週間後ラブリの屋敷の掃きならされた裏庭で不思議な炎が燃えあがっていた。屋敷の主アーマンドが裏庭に面した広い部屋から数人の使用人を指揮し、かつて、妻と子供が使っていた家具や衣類の全てを運び出させて積み上げ、火をかけていた。もう後に残っているものといえばデジリーが婚約時代に寄こした数通の手紙だけであった。引き出しの奥にもう一束の古い手紙があった。それは彼の母が父にあてた手紙であった。彼は何気なしに開いて読んだ。母が父の愛と神の恵みに感謝する誠実な手紙であった。

 

“But, above all, “ she wrote, “night and day, I thank the good God having so arranged our live that our dear Armand will never know that his mother, who adores him, belongs to the race that is cursed with the brand of slavery.

 「しかし何といっても、」と、母は書いていた、「昼も夜も、私は、私たちの生活をこんなに万事こと無く差配下さって 私たちの愛するアーマンドが、自分の母が、自分を愛おしむ母が、奴隷の烙印を押された忌むべき種族に属していることを知ろうとせずに育っていることの神の善意に感謝しています。

 

 この小説はこの一文を最後として終わっている。

読者にとって読後に残る余韻は余りに大きく、かつ深い。アーマンドが受ける驚愕と自分の犯した罪の意識は想像に余りある。自分がその立場ならどうするのか。数日考えこんでしまったが、未だに答えは出てこない。