経済と安全保障をどのように結びつけて考えるのか。

 

これは現役時代にずっと考えていたことでもあります。経済安全保障というタイトルの本なども呼んでみましたが、どうしてもピンと来ませんでした。

 

高市内閣になって、それがすっと頭に入るような気がしてきました。首相官邸のHPで経済安全保障会議についての様子が読めます。それによると、経済安全保障推進法の制定から3年が経ち、高市内閣では「大胆な危機管理投資」を目指すというのです。そもそも国家安全保障戦略(安倍内閣で初めて作成されたことを忘れてはいけない)において、平和・安全のみならず経済的繁栄を含めた国益の確保を指すのだそうです。具体的にそれはどのような形で実現されるのでしょう?

 

大胆な危機管理投資には、造船能力の復活、重要鉱物の確保などサプライチェーンの強靭化(各省での検討を継続してほしいとの総理の要請も明確にされています)が含まれ、さらに医療インフラのセキュリティ向上を含む基幹インフラ役務の安定供給も挙げられています。

 

なんだかとっても具体化されているような印象を受けました。もちろんこれまでの政府の取り組みの上に改めて打ち出された方針ですが、なんと言ってもスピード感とやる気が色濃く出ていると思います。

 

高市内閣では政策が具体性を持って語られるので、国民からすればとても透明性があってわかりやすいのです。

 

高市さんは国会答弁の準備のため、午前3時に公邸入りしたとニュースが言っていました。役所からのレクチャーで済ませるのではなく、自分でチェックするわけです。寝る暇も惜しんで仕事をしている姿に頼もしさを感じる反面で、健康面で大丈夫なのかという心配の声もあがっています。マーガレット・サッチャーを思い出させますが、サッチャーの場合は夫のデニスが「もう寝ろ」と注意したのに対し、高市さんの場合はそういうことを言ってくれる人はいないんじゃないか・・高市さんの夫は介護状態で、その介護を高市さんが全部やっているらしい。介護サービスは絶対に受けたくないなどとその夫は言っているらしいです。とんでもない話です。

 

高市さんが介護政策を真剣に考えてくれるのは良いことですが、総理大臣が介護で更なる疲労を重ねるなんて、無理無理無理。

 

補足:正確にいうと高市さんはレクチャーを受けることはなく、常に自分で入念に読み込むのだそうです。立憲などは、レクを受けに首相が午前3時に公邸に出向けば、役所の人間や関係者もその時間には出ていなくてはならず多くの人に迷惑がかかるみたいなニュアンスで述べていました。自分たちが質問を時間通りに提出しないからこういうことになるのに。

高市さんが総理になって以来、ものすごいスピードで政策を実施していく姿に、誰もが圧倒され、じゃあ今までの総理は一体なんだったのかと思う気持ちを強くしています。ほんと、感動的です。

 

そして今や中国も韓国も言いたい放題を日本に言うと、かならずしっぺ返しを喰らうことがわかったはずです。特に中国から舐められない姿勢を明確にしてくれたことに拍手を送りたい国民は多いはずです。

 

また、国内メディアもいい加減なことを言うと必ず言い返され、己の愚かさを晒し出されることを思い知ったのです。愚かなメディアだけでなく、愚かな政治家たちがいい加減なことを言うと反撃を喰らうことも国民の目に明らかになっています。

 

石破の残り任期ということが念頭にあるので、高市さんもかなり考え抜いて政策スケジュールを組んでいるように見えます。こういう政治家が総理になる日がようやく来たのだ、今まで国民が心の中で感じていたことをストレートに表現し実行してくれるのだ、国民の中にそういう思いがあるから支持率も高いのだと思います。

 

他方、アメリカなどもうどうでもいいし関心も持てないと思っていたところに、各種選挙で民主党が盛り返していることに驚きと喜びを感じます。ニューヨーク市長選でZoran Mamdaniが勝利を収め、初のムスリム市長になりました。NYは馬鹿じゃないと感じた瞬間です。また、知事選ではVirginia州のAbigail Spanberger、そしてNew JerseyのMikie Sherrillの当選が報じられました。NYC以外の市長選でも民主党が勝利を収める例がいくつかありました。

 

政治には浮き沈みがあって民主主義にとって良い時もあれば悪い時もある、悪い時もあれば必ず良い時が戻ってくるという言葉を信じていましたが、なかなかその兆候が見られない中で今回の選挙結果だったので、少し希望が持てるようになりました。TrumpとMAGAを叩き潰してほしい。

 

高市さんと介護について書きましたが、今朝は高市首相が「攻めの予防医療」について語っているのをInstagramで見ました。認知症がこれだけ大きな関心をよんでいる中で、タイムリーな発信だと思います。政治が高齢化社会の大問題に正面から取り組んでくれることに大きな期待を寄せる人は多いのではないか。

 

最近、認知症を扱った本として永井みみさんの『ミシンと金魚』を読みました。主人公のかけいさんというおばあちゃんの話なのですが、彼女の壮絶な人生の部分に関心を惹かれたというよりも、認知症の高齢者がどんなふうに考えて何を感じているのかという点に共感を覚えました。

 

まず、病院の待合室でのシーンです。ヘルパーのみっちゃんに付き添われて診察を待っているのですが、その間じゅう、かけいさんが話し続けるので、みっちゃんが「少し静かにしましょうか」という場面に、共感しか覚えませんでした。途切れることなくベラベラとしゃべる義母、それを聞いているこっちの頭がおかしくなりそうになる・・・そんな経験を何度したことでしょう。「反応しない練習」と言ったって、聞こえてくるものを遮断できないのだから、本当に気が狂いそうになるのです。

 

そして最後の方で死を迎える場面が強烈でした。

 

「夜が、くる。1日の最後に、夜が、かならず、めぐってくる。夜はありがたい。夜は手放しでありがたい。・・・・眠ってしまえば、もうあれこれかんがえずに、すむ。あああ。このまんま、あしたの朝、目が覚めなきゃいいのに。」

 

最後の場面、ハンコを取りに玄関まで行くのですが、もう少しでハンコに手が届く時に転んでしまうのです。身体の衰え、特に足腰が弱くなって、ふと立ち上がろうとする時にも、自分が思っているように立ち上がれない。自分の体の衰えをはっきりと認識できていないがゆえに転んだり倒れたりする。かけいさんは、転んでしまった後に自分の手を眺めて綺麗な花を見るのですが、この最後のシーンは素晴らしいです。

 

「死ぬことは決まてっから、できるだけながいこと目をあけておいた方が、得かもしんない」と思う場面も印象に残ります。

 

小説は読まない私ですが、この本は一気に読んでしまいました。

 

主人公のかけいさんは、我の強さとか執着心とか、他人に対して押し付けがましいとか、そういうところが全くありません。多くの場合、最後まで執着心の塊みたいな高齢者に家族は困らされるのですが、かけいさんはそれが全くないのです。壮絶な人生が彼女をそうさせたのでしょう。認知症であってもとても良いおばあちゃんなのです。