私は腕時計はもちろんアクセサリーも直接肌に接するものは好きではありません。ネックレスも嫌いです。イアリングはピアスならOKです。
腕時計はとっくの昔にやめました。特に夏は汗をかいて気持ち悪くなるし、時間はスマホで見れば十分だと思ったからです。
ところが義母の介護でバスを利用することが増え、バスの時間に間に合うように買い物をしたりするので、時間を確かめることが重要になってきました。
でも時計にお金をかけるのはいやだ。世の中の人は高級な腕時計をするみたいですが、私にとっては無縁の話です。時間がわかるシンプルなもので良いのです。他の機能は必要ありません。
それで、先日ビックカメラに1000円ちょっとで買える腕時計の広告を見つけて、ピンときました。これでいいんじゃないかな。昨日、ビックカメラに行って買ってきました。なかなか気に入っています。売り場で選んでいたら、お父さんと一緒に来た子供も一生懸命見ていたので、子供にも人気なのかと思ってちょっとおかしくなってしまいました。とにかく時間がわかればいい。
腕につけていない時はテーブルに置いておくと、時間が一発でわかるのも魅力です。スマホだとワンクリックで画面を立ち上げないといけないので、やっぱりシンプルなものはいいなと思います。
時計はもちろん時間を確かめたり測ったりするのですが、時間にはかなり深い意味があることを最近よく考えています。
高齢になると、私に残された時間はあとどのくらいなのだろうかということが気になるのです。自分の意思でやりたいことをやり、行きたい場所に行くというのは、当たり前ではないのです。94歳の認知症義母を見ていると余計にそのことを感じます。健康寿命をなるべく伸ばしたい。ただの長生きほど嫌なものはないと思います。
最近、義母のリハビリの時に調子が悪い場面に遭遇し、急遽医師の往診を受けて心電図や採血をすることを目の当たりにしました。結局、投薬などの必要はなく、日常生活で注意深く様子を見て、リハビリの強度なども考えてくださいということでした。94歳にもなると徐々に体が弱っていくのは当たり前です。老衰というのはこういうことなのかと思いました。今後もいろんな症状が出てくる可能性があるので注意していてくださいと言われました。
義母の介護は決して楽しいものではありませんが、加齢で人間がどのように変わっていくのか、それを学べる良い機会と捉えることもできます。認知症も含め、体そのものが衰えていく現状を見て、それを自分のことに置き換えて今からどうしたら良いかを考えたいと思うようになりました。
8月18日号の雑誌New Yorkerに、WHEN I'M NINETY-FIVEという記事があります。SHOUTS & MURMURSというコーナーの記事です。ビートルズの歌詞をもじった高齢者の日々が描かれています。次のような箇所は特に印象深いものです。私もこの内容をもっと実感を持って感じる時がくるのだろうなと思いました。
Turn off your mind, relax, and float downstream
It is not dying
It is not dying
Lay down all thoughts, surrender to the void
I really hope it's not dying
It feels like it might be dying
That you may see the meaning of within
I think I'll get up now
Thank God I can get up now.