「全ての人間は、生まれつき、知ることを欲する」
といったのは、アリストテレス。『形而上学』の有名な一片だが、欲した結果、知ってしまったことが、運命を望まぬ方へ、予期せぬ方へ、と変えてしまうことだってある。

 イギリスで、恋愛結婚したある夫婦が結婚を無効にされる判決を下された。理由は、なんと、双子だったから。出生後別々の家に養子に出され、そのことを知らぬまま、出逢い、恋をし、結婚した。そして、その後に双子であったことを知ってしまった。

 日本では秋葉原界隈で「妹萌え」だとか、そういうフェティシズムは聞こえて来るけれど、あまりリアリティはない。というか、二次元だからこその中途半端な感情移入に危ういトランスを感じているわけで、実際、実の妹に恋愛感情を抱くというのはかなりのマイノリティーだろう。三次元にしたって、所詮、アカの他人との妹ごっこなのである。

 知っているから、歯止めがかかる訳で、知っているから、楽しめる訳だ。この辺りに、オタク文化の表層の浅さの理由があるような気がする。つまりは、軽いのだ。裏を返せば、知り得る範囲でなければ楽しめないのだ。

 リアルな恋愛論をかざせば、知らない部分が魅力になる。全てがデータ化出来るのなら、そんなつまらないことはない。もちろん、謎すぎれば不安や恐怖にすら転じるだろうし、そのさじ加減が重要なわけだが、それにしても、最近の恋愛相談などを聞いていると、オタク文化が、そのままリアル文化に浸食を始めているように感じる。
 
 全部を知って支配できないと嫌だ、という意見が多いのだ。付き合っている相手のケータイの着歴を見るなど、当たり前だ、と考えている若者は驚くほど多い。

 日本もついに離婚率が30%を超えたと言うが、知ることを欲することと、知ることの出来る技術の進歩が原因といえなくもない。(まぁ、ケータイの発達で浅はかな出逢いと浅はかな結婚が増えたことも原因だろうが。)皮肉といえばそれまでだが、知ることを欲するだけじゃなく、知ることの重みを、もっと感じるべきじゃないだろうか。何でも首を突っ込みたがる人は居るし、僕自身も、知ってしまって後悔したことが幾つもある。知らないことと幸せもまた表裏一体なのだ。