書かないつもりだったが、
やはり書くことにした。


イスラム国の日本人人質殺害
事件のことである。


ここしばらくは、毎日このニュースが
ニュースの時間を席巻している。


自分が書きたいのは、
殺害された二名やイスラム国の
ことではなく、


この事件に対するメディアの報道姿勢、
ジャーナリストの人々の反応
についてである。


今回の事件の過程では、
後藤氏が人質として
画面に殺害予告とともに登場してから
メディアの取り上げ方が大きく変化
したように思えてならない。


誤解を招きやすく、
大変言いにくいことではあるが、


後藤氏の行為を、
「危険を冒して現地の人々の真実を
伝えようとした英雄的行為」という位置づけで
報道するようになったと見えるのだ。


それは思うにジャーナリスト、
報道メディアの立場からすれば、
後藤氏の行動を批判することは
自己否定につながると考えているからだろう。


それはそれでいい。


だが問題だと思うことは、
「そうでない考え方もある」ことを
正直に報道すべきなのではないか
ということだ。


後藤氏は外務省の再三の制止を振り切って
現地人も尻込みをする危険地帯に
自らの意思で踏み込んだ。


それはジャーナリストとしての使命感
からだったとは思うけれども、


その結果で引き起こされることについて、
ありていに言えば交渉にあたる人の危険や
在外邦人だけでなく日本人全体に与える影響について
十分考慮した結果の行動だったのか疑問が残る。


たとえば猛吹雪の冬山に
自然の猛威を人々に伝えたいとして、


取材記者が現地の制止を振り切って入山し、
あげく遭難して捜査隊を二次災害の危険に
晒したとしたら、それは賞賛される行為だろうか。


自然現象とイスラム国は違うと言うかもしれないが、
真実を伝えたいというジャーナリスト魂は同じである。


後藤氏の業績や今回の行為について
ここで論じるつもりはない。


だが、メディアが自分たちのジャーナリスト
という立場を擁護したいがために
彼を英雄として賞賛だけをするのは疑問だ
と言っているのだ。


我々としてはやむを得ず
メディアを通してしか情報を得ていない。


だからこそ今回の事件については、
このような報道姿勢でよいのか
よく考えてみる必要があると思うのだ。


政府の一部には、今回の事件を受け、
在外邦人に対する退避勧告に
法的強制力を持たせるべきだ
との議論も出始めたという。


今のところ、それは憲法が保障している
移動、居住の自由に抵触するとの意見もあり、
すぐにそうはなりそうもないが、


制止を振り切って登山した取材記者のために
登山そのものが禁止という事態にならないことを
願うばかりである。