こんにちは!

 

あーちゃんmamaの

yumikoと申します💡

 

 

 

娘の病気発覚〜退院までを

遡って書いていますので、

最初から読まれる方はこちらから。

 

 

 

 

お読みくださりありがとうございます🙏




前回記事同様、

この時期は日記をつけていなかったので、

今日は当時振り返って思うこと、です。






日記をつけていなかったぐらいなので


ある程度の波はもちろんありましたが、

大きく心が揺さぶられるような

病状の変化はなく、


どちらかと言うと

娘との心との向き合いを

続けていた数週間だったな、と思います。

両刀使い😆

このペンだとベッドが汚れなくて便利でした✨





その時のことを

振り返ったときに思ったことがあって、

それは何かというと、



私は【未来】を見据えて考えていた

娘は【今】を生きていた



ということから、

心の行き違いがあったんじゃないかな

と思います。






なぜかというと

私はこの頃あたりから、

退院した後の生活を考え始めていて、



体力作りとか、

生活面で気になることとか、

保育園で出してもらえる

ワークへの向き合いとか、



頭の片隅で

保育園にもどったときのことを意識しながら

娘に声かけてたような気がしています。





成長著しい子供の半年は大きい、、、

と感じていて、


娘がいつか保育園に戻った時に

《遅れた感》を感じて欲しくないから

少しずつ戻るために必要なことも

意識して一緒にやっていきたい、


と思っていたんですよね。






でもですね、、、





期待させてそれ通りに行かなかったら

余計に辛いと思って

娘は一体いつ退院できるかは

全く把握はしていなかったんですよね。



しかもまだ3歳児。(もうすぐ4歳)




今が大事だし、今が全てです。







なのでこの頃は、

娘の思う

「今こうしたい!」

私の思う

「戻ったときのことを考えてこうして欲しい」

が噛み合ってなくて、



つまり、

私が当時の娘の【今】に寄り添えてなくて、




それに伴って私の娘との関係は

微妙にチグハグしていたと感じていて、

本当に申し訳なかったと思います。






なぜそう思うようになったのかというと

気づかさせてくれたきっかけは映画でした🎬

https://eiga.com/amp/movie/54166/



◆STORY◆(映画.comさんから転用)

白血病の姉・ケイトを救うために、ドナーとして作られて産まれた11歳の妹アナは、ある日突然、「自分の体のことは自分で決める」と臓器提供を強いる両親を相手に訴訟を起こすが、その裏にはある思いが隠されていた……。ジョディ・ピコーのベストセラーを、「きみに読む物語」のニック・カサベテス監督が映画化。




病状だったりの状況は全く異なるのですが、


未来を信じ続けるお母さんの想いと

子供の本音が食い違う場面があって、


それが当時の私にすごくリンクをして。。





これは病気とかは関係なく、


自分を振り返るとそうなのですが

若ければ若いほど、

今が全で今の世界が全てで、



一方大人になってくるも

今よりも先を見据えて行動しがちだよな、、

私は感じています。

(私自身が特にそういうタイプ😂)




自分の思いを押し付けず、

どう娘の今に寄り添いながら、

選択肢を提示したりして対話をしていくか、


が大事だったんじゃないかなと思います。




ということで、

いかに今に寄り添えるか、、、を

退院した今でも意識して接しています。





入院生活とは少し外れるので、

書くかどうかまよったのですが、


私自身が入院生活後半で、

地味に心を悩ませていた問題だったので、

残しておくことにしました。


最近の我が子たち。

子育ては親も育ててもらっているなーと日々感じます。