先週の月曜日にぎっくり腰と診断された。

断っておくが、初めてではない。

若いころにもなった。

つまり老化のせいではないぞ言いたいのである。

だが、若いころとは症状が画期的に異なる。

 

若いころのぎっくり腰は、立つことすらできなかった激痛だった。

ピアノの椅子で予期せぬほど大きなくしゃみをして「ガキッ」と音がした。

トイレに行くにも這っていった。二足歩行は出来ないのだ。

もはや人間とは呼べない状況だった。

だが、痛みに耐えること一週間。安静にしているとある朝突然痛みがなくなっていた。

その日から普通の生活に戻れた。ぎっくり腰恐れるに足らずと正直思った、

こんなことなら、いい休養になると、忙しくなるとピアノ椅子に座ってくしゃみをしてみた。

腰はこちらの不届きな願いを知っていたに違いない。

「ガキッッ」という音は二度と出なかった。

 

定年退職して家でゴロゴロしていた頃、寝がえりを打った拍子にぎっくり腰になった。

痛みはやはり強烈であったが、なんせ寝床だから、そのまま寝ていればよかった。

トイレはやはり苦痛であった。使用前も、使用後もである。

だが、一週間もすれば治ると言う確信があったので、慌てることもなく、わがままな君主で済んだのである。

とは言え歳のせいか一週間では治らず十日もかかった。家人の迷惑そうな顔が三日伸びた。

 

後期高齢者になると、ぎっくり腰は一週間でも十日でも痛みはとれない。

しかも妙なことに、歩行には問題がない。

それどころか整形外科医は「少し歩いたほうがいい」とまで言う。

これまで「絶対安静」と言っていたくせに、宗旨変えした聖人のようであった。

 

歩けるので、「あれして、これして」と頼むわけにはいかない。

車の運転も降りる時に腰に来るだけで、さして困ることもない。

一見普通に見えるとばかり思いこんでいた。

 

今日は路上で床屋のマスターに「おや、腰痛ですか?」と声をかけられた。

「私も坐骨神経痛でね、歩き方見ればわかりますよ。」とニコニコしながら言う。

同病相憐れむーと昔から言うそれであった。悪気はかけらもない。

ついに外出して歩くだけで憐れまれる存在になったか!

がっくりである。