今年二月に枝垂れ梅を見に、掛川に行った。

掛川には数年前に同市に住む友人に誘われ、ギターの演奏に行った。

この時初めて、心地よい演奏をすることが出来た。

 

長年著名なギタリストを呼んで、名演奏を聞く機会を設けてきたが、ある時

ギタリストのSさんが演奏後に、「この会場は弾きやすい」という言葉を漏らしたのを初めて聞いた。

同じ会場で、メンバーが演奏する機会を年に二度設けていて自分も演奏したのだが、弾きやすいという

気持ちになったことはなかった。どちらかと言えば音響の悪い、お粗末な会場なのだ。

ずっと疑問に思っていたのだが、掛川の演奏で、なるほどこういうことかと納得できた。

舞台俳優が、「いい演技とは観客と舞台が一体化したときだ」というのを聞いたことがあった。

文学座の役者の講義だった。その時も、観客と舞台が一体化?と納得できなかった。

 

しかし、掛川では自分の出す音も、それを聞いている観客の息も同時に感知することが出来た。

まさに一体化したのであった。

けして名医演奏が出来たという訳ではないのだが、「弾きやすい会場だな」と感じたのである。

初めてのステージで、誰も知らない観客なのだが、他の何処でも受けたことがない温かい雰囲気だった。

掛川人と私の相性がいいのかなと思った。

 

そこで、話は今年の二月に戻るだが、枝垂れ梅を堪能した後、友人とランチをしようと市内を歩いたのが、

夜開業する店が多く、ランチの店がなかなか見つからなかった。

たまたま地元の二人連れが入る店があったので、そこに入ることにした。

 

若い女将が一人で切り回ししているのだが、居心地がよく二時まで居座ってしまった。

その訳は一緒に入った友人との会話が弾んだこともあるが、もう一つは女将が置いていた写真にあった。

店内の棚に一枚の写真が置いてあり、「これは何?」と尋ねると、「仙台四郎」という返事が返ってきた。

「人神で、この写真を置いておくと店が繁盛するのだ」という。

 

 

ネットで調べてみると知的障害のある仙台四郎は女将の言う通り、商売繁盛の神である。

今年の四月から法改正があって、障碍者の雇用を2%アップさせるのだという。

現状の条件でも達成は半分というから、かなり高いハードルだと思われる。

仙台四郎が生きていた19世紀末には勿論そんな法律はなかった。

それにもかかわらず、人神にまでなった知的障碍者がいたのだから、当時の仙台の人は

知的障碍者に優しかったのだろう。

これと似た話は、酒田にも昭和の時代にはあったと聞く。

その人は神にはならなかったが、尺八吹きで愛されたという。

そういえば、山下清と言う画家もいたし、昭和の日本人は法律を超えていたのかもしれない。

掛川の店にまた行けるように、ご利益があるといいな!!