昭和が遠くなったと思う。
では昭和とはなんだったのだろう?
人には色々な昭和があるが、癌の告知ーというのが分岐点だったような気がする。
平成の重松清の小説「その日まで」では
容赦なく癌が告知されている。
人は生まれたら、いつかは死ぬものだし、
事実は事実として受け入れるというのが当然のようになってきたのだ。
勿論余命は絶対ではないけれど、嘘で騙すことはなくなった。
1988年昭和天皇の病状を伝えるのに
宮内庁は真っ赤な嘘をついた。
何故なら本人に知られてよいことはなにもないからだった。
当時告知したのは臨床医だったと思う。発表は宮内庁の医師だったように思う。
しかし病理医は真実がいつの日か知らされることを望んでいた。
自分自身が末期の肝臓がんで余命いくばくもなかったからであった。
その時、マスコミ主導で音曲の禁止だけに留まらず、正月も、高校生のラグビーの決勝もすべてが自粛された。
それが昭和という時代だった。藤沢周平の独言にあるように、昭和の戦争も大衆の狂気をマスコミが煽り、
反対意見は非国民という言葉で封じたのだったが、まさにその再現であった。
病理医の信念がTV放映されて、人々はようやく正気に戻ったように思う。
今はセクハラだの、カスハラだの面白くもないことが流行っている。
昭和以降、優しさとユーモアをどこかへ置き忘れてきてしまったのだろうか?
ところが円安で日本を訪れる外国人は、スタバやマックのある都内の喫茶店より、
昭和の雰囲気が残る温泉地の喫茶店が人気があるという。
違った視点を持つことが重要なことは、いつの時代も変わらない。