先週、藤沢周平の「蝉しぐれ」という作品を読んだ。

学生の頃、家庭教師をしていた時にそのご尊父が藤沢作品を愛読されていたのを思い出した。

多分藤沢作品の影響だろうと思うが、時には庭で木刀を振り、時には書道をされていた。

 

その時はわからなかったが、蝉しぐれを読んで、なるほどと気づいたことがある。

藤沢周平の作品は、ハンディキャップのある人に寄り添い優しいのだ。

例えば主人公の牧文四郎は幼いころ父親を亡くしている。

それから後の物語のことは本を読んでのお楽しみとしておこう。

 

面白かったので、次に読もうと思ったのが、「周平独言」だった。

新たな発見は、人を見る目の確かさだった。

時代のぬくもり という最初の章で大石内蔵助の真意 と題して

「赤穂断絶から吉良邸討ち入りまでの動きは、細心で大胆なものだった。

しかし全体を覆って茫洋と大きいものが感じられるところに、この人の

真の非凡さがあるようにおもわれる」と書いている。

 

「一茶という人」も面白かった。夏目成美との関係をクローズアップしている。

ポール・ゲッティーを出すまでもなく、富豪は芸術を保護することが好きだ。

しかし、金を出す方と、受け取る方との関係ははた目にはわからないところがある。

藤沢はこう書いている。

(一茶の句)

麦秋や子を負いながら鰯売り

霞む日や夕山かげの飴の笛

を重ね合わせてみる時、一茶は一個の謎、つまり人間の不思議さを思わせる存在として

浮かび上がってくるようである。ーと。

 

いつの世も、人は一個の謎なのだなと思うのですが、如何ですか?