【明治女】
明治女には不思議な魅力がある。彼女たちは芯が強いけど、男尊女卑の境遇に耐えていたとされるが、実際は違うようだ。

明治三十年代に日本を訪れた英国人ポンティングは述べる。

「日本の家に一歩踏み入れば、そこに婦人たちの優雅な支配力が感じられる。彼女は独裁者だが、大変利口な独裁者である。彼女は自分が実際に支配しているように見えない処まで支配しているが、それを極めて巧妙に行うので、夫は自分が手綱を握っていると思っている」

『明治日本体験記』を記したグリフィスも同じように述べる。

「ここでは女性が東洋の他の国で観察される地位よりずっと尊敬と思いやりで遇せらているのがわかる。日本の女性はより大きな自由を許されていて、その為に多くの尊厳と自信を持ってゐる」

明治女が平等の権利を得ており、自由闊達だったとは、驚くべき発見であろう。オールコックは『大君の都』で、実際に明治女の有能さを記録している。女は主人より遥かに計算が上手で、男たちは必ず主婦の才能に頼っていたと言うのだ。家庭の中だけでなく商売でも幅を利かせていた事が窺える。

幕末の時点で「自由闊達だった」記録があるが、実は江戸時代のほうが女性は遥かに自由だったようだ。江戸後期の『世事見聞録』の記述である。

「夫は朝早くから働きに出ているというのに、妻はご近所の奥さん同士で寄り集まって、夫の悪口を言ったり、遊びの計画を楽しげに話し合っている。そのうえちょっとした博打に興じたり、若い男を相手に酒を飲んだり、芝居見物だ、物見遊山だと遊んでばかり」

江戸時代に離婚はタブーではない。「三行半」は夫から妻に一方的に突きつけるとされているが、実際には妻から迫られて夫が泣く泣く三行半を書くことが珍しくなかった事が分かって来ている。

この風習は明治三十一年の民法施行まで続き、離婚率も現代と変わらない位に高い。むしろ離婚している女性は「経験が豊富だ」と喜ばれる向きさえあったと謂われる。

「明治女=不自由」の定説は調べる程に覆される。『逝きし世の面影』の渡辺京二氏の見解である。

「徳川期の女の一生は武家庶民の別を問わず、そう窮屈なものではなかった」

「悲惨な局面があったように見えるとすれば、それは現代人の眼からそう見えるだけで、それでも一種の知的傲慢であるかも知れない」

江戸時代の女性は伸びやかで溌剌としていたのだ。むしろ明治に入ってから抑えつけられるようになっていく。それでも明治中期までは江戸から受け継がれた自由闊達な姿であった。

江戸の教育を直接受けた幕末生まれの新島八重や大山捨松、松下むめの、沢村貞子、幸田幸など、明治中・後期以降に生まれた女性たちも、江戸時代の教育を受けた母や祖母によって、江戸の遺伝子を受け継いでいた。

いわば江戸の教育こそが「強く美しくカッコイイ明治女」の下地になっていたと謂える。

以上「プライドのある生き方」石川真理子著より

続いて「頂門の一針 6956号」より転載します。

【変見自在】【活断層の嘘】  高山正之  『週刊新潮』 令和6年8月15・22日夏季特大号

 マッカーサーが日本を去る日、朝日新聞は「民主主義への明るい道を教えてくれた」と社説で感謝の言葉を伝えた。

 実際は民主主義から一番遠い検閲と報道規制と公職追放という非道をやった独裁者だった。

 目的は白人国家を脅かした日本をカルタゴみたいに滅ぼすことだった。零戦を生んだ航空工学も仁科博士のサイクロトロンも徹底破壊した。

 製鉄や重化学工業など重厚長大産業は解体して支那に運び出し、日本は鍋釜が作れるだけの農業国にするはずだった。

 しかしエドウィン・ポーレイ賠償調査団長が持ち出し先の満洲を視察したら支那人とロシア人が水道の蛇口まで持ち去って昔の荒野に戻っていた。

 かくて日本の非工業下が足踏みしている間に朝鮮戦争が起きて、日本は何とか生き残れた。支那朝鮮もたまにはいいことをした。

 そのマッカーサーにあやかって二度目の日本解体を試みたのがあの「悪夢の民主党政権」だった。

 滅びの政策は「コンクリートから人へ」。都市開発などいらない。工業より農業を目指せ。エコロジーが大事で、エネルギーは電気が灯ればいい。

 そこに3・11の東電福島事故があった。菅直人は日本のエネルギーの3割を担う原発を即座に止めた。簡単に再稼働させない工夫をした。

 それはマッカーサーの東京裁判と同じ。日本を悪者にするために禁じ手の事後立法で「平和に対する罪」を作り、「侵略国家日本」を捏造した。

 菅直人がやった「事後立法」は「活断層」だった。

 原発は「原発施設の下に5万年前まで活動した断層がないこと」が設置許可基準だった。それがいつしか「13万年まで」に改められ、菅直人がさらに、少しでも不明があれば「40万年前までの疎明も必要とする」に変えた。

 それを審査するために原子力規制委を新設したが、実態は再稼働させないための菅直人の直轄組織だった。

 勝手に基準を変更された原発側は困った。ボーリング調査ができればいいが、北海道・泊原発みたいに岬の先、周りは深い海では調べようもない。端(はな)から再稼働不能の原発もでてきた。

 だいたい5万年がダメで13万年ならいいのか。規制の意味も不明だが、ただ規制委に東大地震研の島崎邦彦ら地震屋が入ったせいだと言われる。

 彼ら地震屋は「東電福島事故は津波ではなく地震のせいだ」と言い張る。

 その延長で「原発の下に活断層があればアウト」説を主張。反原発の朝日の支持を得て主流を占めてきた。

 東大地震研を中心とする地震屋は力もあって予算を何百億も取っている。

 ただ予算額の割には実績は実にお粗末で、2万人が死んだ東日本大震災の予知もできなかった。続く熊本地震も予知はおろか前震と本震の区別もできずに250人も死なせた。

 活断層研究も同じ。立川断層の調査で東大地震研の佐藤比呂志が「白く長い活断層」を発見、大騒ぎになったが、実は埋まったコンクリート電柱だった。

 こんな連中の「5万年前ではダメ」の主張にどれほどの信頼があるのか。

 先日、規制委の審査チームが地震屋の基準に照らすと「原電敦賀2号機下には活断層の存在を否定しきれない」とし廃炉を宣告した。

 1兆円をかけてつくった原子炉を事後立法の基準で廃炉にするなんて道理が通らない。その廃炉理由も当てにならない地震屋の当て推量だけだ。

 東大名誉教授で地震学者のロバート・ゲラーはこう語っている。

「日本の地震研究は予知ができるという伝説にしがみついている。自然が起こすものは予知できない」

「今、うんぬんされる活断層も意味がない。5万年前が危なくて40万年前なら動かないというのも嘘。40万年前の断層だって明日動くかもしれない」

 確か寺田虎彦もそんなこと言っていた。

☆☆☆☆☆  松本市 久保田 康文 『週刊新潮』令和6年8月15・22日夏季特大号採録