【民主党を牛耳る極左集団は、『1984』をマニュアルとしている】
ハマス支持派が暴徒化、星条旗を引き倒し、パレスチナの旗を掲げた。
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ジョージ・オーエル『1984年』は全体主義に陥落する危険性を警告した書だが、米国の民主党を牛耳る極左集団は、まさに『1984』をマニュアルとしているのではないか。

 オーウェル原作では「ビッグ・ブラザー」が情報統制と監視を通じて国民を支配する。恐るべきディストピアの世界を描いた。
映画『猿の惑星』にもビッグ・ブラザーのたぐいが現れた。

カマラ・ハリスは2020年の大統領選に出馬したとき、警察への予算削減に賛成し、治安の悪化がもたらす社会の混乱をまったく顧慮していない。ハリスは「移民関税執行局はKKKに匹敵する。ゼロから」再建すべきだ」と示唆した。

 治安対策はどうでも良い、イデオロギー優先で走る。ハリスの過激な政策への関与はサンフランシスコでは機能したが、激戦州ではそうではない。
したがって政策をパッチワーク的に『修繕』した。

ドナルド・トランプの暗殺未遂事件で血まみれのトランプが拳を振り上げた写真は、保守系サイト以外、ほとんど見られない。極左メディアは、ハリスを宣伝することだけに熱心で、肝要な論点を逸らしている。アメリカはゾンビ化した。

米国内に巣くうハマス支持派が暴徒化し、ワシントンDCでネタニヤフ首相の議会演説に抗議した。ユニオン駅で星条旗を引き倒し、パレスチナの旗を掲げた。

彼らは米国旗を燃やし、記念碑を破壊し、公園警備員を襲撃した。逮捕された暴徒の告訴はすでに取り下げられている。

「すべての記録は破壊、または改ざんされ、ニュースが書き換えられ、たとえば「トランプ集会」をグーグルで検索すると、「アトランタでのカマラ・ハリス集会」がでた。

Meta はトランプが拳を突き上げている写真を「改変済み」に分類した。人々が Google を使ってトランプの暗殺未遂に関する情報を検索してもトランプの名前すら提示されなかった。
 中国の言論統制と同じことが「表現の自由」があるとされたアメリカで起きている。

 「不法移民は単純に移民であり擁護しなければいけない」とし、「女だと主張する男性は女性である」。「ドナルド・トランプに投票する人々は民主主義に対する脅威である」と毎日毎日、SNSは極左の情報操作にぶんどられてしまった。

フェイクの垂れ流しが起きている。アメリカの言論空間は「1984」前夜である(ま、日本も同様ですが。。。)

以上「宮崎正弘の国際情勢解題」より

続いて「頂門の一針 6953号」より転載します。

【安全保障に「二者択一」は禁物】

<正論> 麗澤大学特別教授、元空将・織田邦男

 安全保障は国家の最優先課題であらゆる手段を尽くして確たるものにしなければならない。外交、情報、軍事、経済、科学技術など国家の総合力をもって戦争を未然に防止することだ。日本人は安全保障にかかわる具体的な政策になると、得てして二者択一で単純化しようとする傾向がある。「国連か日米安保か」「防衛力強化か外交努力か」「同盟か自主防衛か」「抑止力構築か周辺諸国とのコミュニケーションか」「防衛か反撃能力か」といった具合である。
[「対話」が崩れたとき]

 これらは決して二律背反ではない。優先順位はあるものの国連も日米同盟も重要だし、力のない外交は無力である。同盟は自主防衛努力なしには成り立たない。周辺諸国とのコミュニケーションも重要だが、これだけでは抑止力とはなり得ない。また反撃能力がなければミサイル防衛は完結しない。

 政府は今年3月29日、有事の際に住民が避難できるシェルターの整備に向けた基本方針と技術指針を発表した。台湾有事が取り沙汰される中、特に沖縄県石垣市や与那国町など先島諸島の住民をいかに守るかは喫緊の課題である。住民の輸送拠点となる空港、港湾の整備や住民が避難するシェルターの整備が急がれる。だが、実情はなかなか進んでいないようだ。

 シェルター整備は国と地方公共団体の協力が欠かせない。しかしながら玉城デニー沖縄県知事は「対話による平和構築こそが日本の取るべき外交手段だ。シェルター建設ありきでは十分ではない」と消極的だ。「対話による平和構築」が重要なのは言うまでもないが「対話」と「シェルター整備」は二者択一であってはならない。

 急激な軍拡を実施して威嚇、恫喝(どうかつ)を続け、台湾への武力行使を放棄しないのは中国である。「対話による平和構築」努力はもちろんだが、これが崩れたとき県民をどうやって守るのか。安全保障に想定外があってはならない。「まさか」ではなく「もしかして」と捉えて準備しておくのが安全保障の鉄則だ。俗耳に入りやすいフレーズを選択するだけでは県民を守るという知事の責任は果たせない。
[ウクライナの教訓]

 ウクライナのゼレンスキー大統領は戦時指導者としてロシアの侵略に立ち向かい、獅子奮迅の働きをしている。だが「外交」「軍事」を二者択一と捉え、「外交」を優先し、「軍事」の準備を怠った結果、プーチン露大統領の野望を抑止できなかったのも事実だ。

 彼は侵攻10日前(2022年2月14日)の時点でも「われわれは平和を目指し、全ての問題に交渉のみで対処することを望んでいる」と述べ、防衛努力を怠っていた。予備役動員が侵攻2日前であったのはその証左である。

 バイデン米政権は、優れた諜報能力を駆使してプーチン氏の侵略意図を見抜き、侵攻の約3カ月前からゼレンスキー氏に警告を伝えていた。侵攻1カ月前には「プーチン大統領が動く可能性がある」、6日前には「ロシアが1週間か数日のうちにウクライナを攻撃する可能性がある」「プーチン大統領は決断した」とまで伝えていた。にもかかわらず、である。

 ゼレンスキー氏は侵略から2年を経て、ようやく「平和と安全は力によってのみ守られる」と語った(4月20日)。侵攻前から「外交も軍事も」と捉え防衛力を整備しておれば戦争を抑止できたかもしれない。二者択一の罪は重い。
[心地良さに酔うのは危険]

 日本が戦争を仕掛けることはない。だが戦争を仕掛けられる可能性はある。抑止の体制を整え、戦争を仕掛けられない国造りが何より重要である。だが日本人は危機から目を背け、物事をシンプル化して俗耳に入りやすい方策を選択し、心地良さを味わおうとする傾向がある。この思考パターンはとても危険である。

 カルタゴの滅亡について論じた古代ギリシャの歴史家ポリビュオスは以下のように語っている。

 「物事が宙ぶらりんでどっちにも決まらない状態のまま延々と続くことが人間の魂を一番参らせる。どちらかに決した時、人は非常に気持ち良さを味わう。ただしそれが国の指導者に伝染したら、国の滅亡をもたらす」

 満州事変勃発後の対応がそうだ。国際連盟がリットン調査団の報告に基づく「勧告」を採択するや、日本は早々に国際連盟を脱退した。「日本の主張か連盟脱退か」という二者択一の罠(わな)に嵌(は)まった。結果、留飲を下げて気持ち良さを味わったが、孤立化を深め、戦争への道を突き進んだ。

 日本人は淡泊な性格で「あれかこれか」とシンプル化したがる。だが安全保障は「あれもこれも」という発想が欠かせない。抑止は、もし攻撃を受ければ、あらゆる手段を駆使して立ち向かう能力と意志を持ち、そして事前にそれを相手に理解させることによって成り立つ。シンプル化と二者択一は相手に与(くみ)しやすしと誤解させ、抑止を阻害する可能性がある。安全保障に二者択一は禁物である。「対話かシェルターか」であってはならないのだ。(おりた くにお)

☆☆☆☆☆☆☆  松本市 久保田 康文  産経新聞令和6年8月6日号採録