【重職の心得】

江戸末期の儒学者であり、教育者として当時の藩士たちに多大な影響を与えた佐藤一斎。本書はその一斎の著書である「重職心得箇条」に現代語訳を付し、安岡正篤師が解説を施したものです。

「大臣の心得」「包容の心」「機に応ずるということ」

など、重職の心得を全17条にまとめた本書は、経営者や管理職の方には必読の一書。人の上に立つ者の行動指針、人生と経営の要諦が記されてあります。重職の心得17条のうち、第2条の「大臣の心得」から、その一部をご紹介します。
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 大臣の心得
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二 大臣の心得は、先づ諸有司の了簡を尽さしめて、是を公平に裁決する所其職なるべし。もし有司の了簡により一層能き了簡有りとも、さして害なき事は、有司の議を用るにしかず。

有司を引立て、気乗り能き様に駆使する事、要務にて候。又些少の過失に目つきて、人を容れ用る事ならねば、取るべき人は一人も無之様になるべし。

功を以て過を補はしむる事可也。又賢才と云ふ程のものは無くても、其藩だけの相応のものは有るべし。

人々に択り嫌なく、愛憎の私心を去て、用ゆべし。自分流儀のものを取計るは、水へ水をさす類にて、塩梅を調和するに非ず。平生嫌ひな人を
能く用ると云ふ事こそ手際なり。此工夫あるべし。
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「大臣の心得は、先づ諸有司の了簡を尽さしめて、是を公平に裁決する所其職なるべし」

大臣たる者の心得。国家、藩、その存在の場の代表になる人はその下にいるいろいろの役目の人、つまり諸有司の了簡を尽さしめなければならない。

「了簡」の簡の字は、たいてい見るという字を書きますが、ここでは、簡という字を用いています。「りょうけん」と読みます。大変面白い熟語です。

「了」は悟るという意味である。悟るから物事を解決することができる。それで「おわる」という意味にもなる。

「簡」は「選ぶ」、いろいろな問題を、これは要らない、これはどうでもよい、これはこうしなければならない、というように選ぶこと。そして選ぶということは、複雑なものに筋を通す、すなわち「簡」であり、シンプリファイです。

いろいろの役目の人物に「それはこうだ」「こうすればよい」ということを十分に議論をさせ、その議論を公平に裁決するところが重職たる者の職務であろうということです。

「もし、有司の了簡により一層能き了簡有りとも、さして害なき事は、有司の議を用るにしかず。有司を引立て、気乗り能き様に駆使する事、
 要務にて候」

さして害のない事はそれぞれの役目の者のいう事を用いたことがよいという事です。そうするとその役目にある者は、自分の考えが通るから、「気乗り能き様に」了解し、賛成を得ることになってまことに調子がよい。

そのようにいろいろの役目の者を駆使することが重役たるものの肝腎のつとめだということですね。

「又些少の過失に目つきて、人を容れ用る事ならねば、取るべき人は一人も無之様になるべし」

アラ探しをしたら、アラのない人間はいない。用うべき人間はなくなってしまうという事です。

「功を以て過を補はしむる事可也」

これはあの過失だ、いけないところだということがあれば、それに対する功業、手柄、つまりプラスを奨励してマイナスを補わせるようにしたらよい。

「又賢才と云う程のものは無くても、 其藩だけの相応のものはあるべし」

二百六十余の藩がある。それぞれの藩にはその藩だけの相応の者はあるだろう。

「自分流儀のものを取計るは、 水へ水をさす類にて、塩梅を調和するに非ず」

これではうまい味にはならない。料理にならない。

「平生嫌ひな人を能く用ゐると云ふ事こそ手際なり。此工夫あるべし」

これは一斎先生の「重職心得箇条」の中での一つの名言といわれるものであります。どうも人間というものは好き嫌いがあって、いやだ嫌だとなると、とかくその人を捨てるものであります。

たとえ自分の気に入らなくても「できる」「これはよくやる」とか「これは正しい」「善い」ということになれば、たとえ嫌いな人間でもこれをよく用いる。才能を活用する。

これが重職たるものの手際である。この工夫がなければならないということでもっともな意見です。

以上「致知BOOKメルマガ」より

続いて「頂門の一針 6918号」より転載します。

【また巡りくる7.5ウイグル大虐殺】
【有本香の以読制毒】また巡りくる7.5ウイグル大虐殺「ウルムチ事件」から15年 弾圧で1万人が消えた夜…悔やまれ続ける安倍元首相の不在 

 7月5日がまた巡りくる。米国政府はじめ、多くの西側先進国の機関が「ジェノサイド(大虐殺)」と認定するほどすさまじい弾圧を、中国当局から受けているウイグル人にとって、忘れることできない日付である。

 15年前、2009年のこの日、新疆ウイグル自治区(=ウイグル人にとっては東トルキスタン)の中心都市ウルムチで、若者らのデモを武力弾圧する「ウルムチ事件」が起きたのだ。亡命ウイグル人らは「7・5ウイグル大虐殺」と呼ぶ。[7・5ウイグル大虐殺]

 私は事件の1週間後に米ワシントンDCを訪れ、「ウイグルの母」と呼ばれる民族運動の指導者、ラビア・カーディル女史にインタビューをした。そこで聞いた戦慄の事実を複数のメディアに寄稿したのだが、その記事のタイトルは「ウイグル人1万人が消えた夜」というものだった。

 日の高い時間から続いていた平和的なデモに、当局が介入したのは日没後。突然"大停電"が起き、街の灯、家々の灯が消えた闇の中で「虐殺」は起きたという。

 「翌朝、ウイグル人の主に男、約1万人の行方が分からなくなっていた」とラビア・カーディル氏は語った。ウルムチの中心街でデモに参加した者、通行人だった者、無差別に姿を消したというのである。

 この夜の状況は、現場から命からがら逃れ、他国の当局に保護されたウイグル人らが詳しく証言している。

 おびただしい数の車両が集められ、多くの銃声が鳴り響いた後、まるで荷物を放り込むように人がトラックの荷台に詰め込まれ、どこかへ運び去られたという。その後、道路は洗われ、朝日が昇るころには、何事もなかったかのようにされたというのだ。

 そんな凄惨(せいさん)な事件から15年。ウイグル人を巡る状況は悪化の一途をたどる。習近平政権下では強制収容所の数が増え、被収容者も格段に増えた。少なく見ても100万人、米CNN(日本語版)は21年11月10日、米防総省によるととして、「最大300万人に上る可能性がある」と報じた。

 収容こそ免れても、一般のウイグル人家庭に、漢人の"公務員"が泊まり込んで監視するというような、常軌を逸した監視が日常的にされた。在日ウイグル人のほとんどの人が故郷の家族と音信不通状態に陥り、中には当局からの電話で「脅される」事案まで発生していた。

 そんな状況から、ドナルド・トランプ米政権が20年、「中国当局がウイグル人に行っていることはジェノサイドだ」と認定したのである。

 近年、米国の議会と政府は「ウイグル人権法」に加えて、ウイグル強制労働防止法などを矢継ぎ早に成立させ、施行させてきた。これらが中国への圧力として機能し、ウイグル弾圧が軽減されることが期待されたが、果たして現況はどうか。

 「ウイグル人やその他のトルコ系民族は、10万人あたり3814人と推定される割合で投獄されており、これは中国全体の10万人あたり80人の割合の47倍である」

 これは今年5月、米国の政府系メディア「ラジオ・フリー・アジア」が報じた惨状だ。

 一方、最近、在日ウイグル人に聞いたところでは、中国当局はわずかばかりウイグル人へのパスポート発給を許し、日本への新たな留学生の送り出しなども再開しているという。

 訪日を果たしたウイグル人の若者らにも自由はない。在日中国人のネットワークと連携した中国当局による"監視"があるからだ。

 在米ウイグル人の友人がため息交じりにこう言った。

 「日本にはウイグル問題への理解者は多いけれど、欧米に比べて政治的な取り組みは少しスローだね。プライムミニスター安倍が生きていたら…」

 ウイグル問題に最も熱心な日本の政治家として、世界中のウイグル人が敬意を寄せる安倍晋三元首相の不在が、この件においても悔やまれ続ける。

 その安倍氏の命日(7月8日)もまた巡ってくる。安倍氏なき今、日本人、ウイグル人、そして世界の行く手に暗さ増す日々である。

☆☆☆☆☆☆☆   松本市 久保田 康文  夕刊フジ令和6年7月2日号採録