【「韜光養晦」路線から野心ぎらぎら満艦飾の「戦狼路線」へ】
 ど派手の武威、領海領空侵犯の裏に何かが隠されているのではないか
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韜光養晦とは1990年代に「最高実力者』(肩書きがないのにトップだった)、トウ小平が強調したスローガンで、「才能を隠して、内に力を蓄える」という中国の外交・安保政策の基本方針だった。出典は三国志、劉備玄徳の言葉で、この四字熟語にこめられていた意思は臥薪嘗胆、立志報復だった。

中国は89年の天安門事件で国際的に孤立し、西側から厳格に経済制裁を突きつけられて、経済が頓挫したため、爪を隠して国際社会における存在空間を広げながら、基本的には、経済力もつける必要があった。他方で西側の中国制裁を「われわれの政権転覆を狙う『和平演変』だ」と言っていた。
日本が真っ先に西側の掟を破り中国に助け船をだした。

北京五輪を契機に、中国はすっかり自信をつけたばかり、2010年頃にGDPで日本を超えて世界第二位となると、米国以外の指導者すら見下ろすような態度を取り始め、胡錦濤政権後期に「韜光養晦」路線をすてた。日本に対しては傲岸不遜、上から目線で「教えてやろうか」という態度に変わった。やっぱり、臥薪嘗胆、立志報復のしっかりとして意思を含んでいたのだった。

習近平となるとトウ小平路線などきれいさっぱりと忘れ去り、というより習はトウ小平やエリツィン、ゴルバチョフを嫌っており、改革など眼中にはない。尊敬するのは毛沢東だから始末がわるい。

韜光養晦は中国共産党指導部の記憶細胞から消えた。 
南シナ海に人工島を造成し、ベトナム、マレーシア、フィリピン、ブルネイ、インドネシアと領海をめぐる諍いがエスカレートした。

台湾海峡には連日、脅迫の武威、戦闘機から空母、巡洋艦に潜水艦、台湾侵攻は尖閣諸島占拠がセットになるから尖閣海域への海警艦船は武装して領海侵犯をくり返し、恫喝を継続させている。6月22日から23日の48時間で台湾上空に出現した中国の戦闘機は未曾有の77機に達した。

米国の有力シンクタンクCSISは「軍事力の衝突によらずとも海警の陣容を見れば、海上封鎖で台湾を日干しにする能力がある」と報告書を出している。
フィリピン沖合の珊瑚礁をうめたて、「ここは中国領だ、文句あるか」と白昼堂々の侵略行為を見せつけた。

さらに過去数年来、南太平洋の島嶼国家群への大規模に進出し、これら一連の中国の軍事的膨張にアメリカはすっかりつむじを曲げた。しかしそのアメリカとて、もはや単独での防衛は難しくなり日本のほかにインド、豪州とのシェアを重視している。
    
▼それでも中国を擁護しつづけたキッシンジャーはいなくなった
 
 中国の軍事的威嚇、恫喝の武威デモンストレーションは、米国、印度、日本、台湾、豪州を十分すぎるほどに刺激した。痴呆老人さえ習近平を独裁者と言い出した。強力なチャイナ・ロビィ、中国の代理人だったヘンリー・キッシンジャー元国務長官は視界から消えた。

 日本をも刺激した。なにしろ平和憲法、非武装中立の虚言を吐き続けてきた日本がGDP1%の防衛費枠を突破しても国民の反対はごく少数だった。バイデン政権は台湾にかれこれ十五回にわたって高性能武器を供与し、米海兵隊は台湾兵の訓練にあたっている。

さらにはアメリカでスパイ気球、スパイクレーンに技術スパイ、スパイ根城の孔子学院と、あらかたの最新技術を盗み出し、ハッカーを大々的に仕掛け、TIKTOKなどを使ってフェイク情報をおくり続けた。これほど無神経な行為はないだろう。アメリカを怒らせるにフルセットだった。

 ちょっと考えて見ても、中国の立ち居振る舞いは愚かではないか。
自らの野心を相手に邪推させることは戦略的思考から言えば愚昧きわまりなく、孫子が生きていたら「おまえ、何をやっているんだ」と怒り出すだろう。
しかし、もう一度よく考えて見ると、中国伝来の方式とは、外に向かって何かを喧伝しているとき、内部での矛盾を隠蔽している可能性が高い。
おそらく共産党高層部と軍のなかで、熾烈な権力闘争が起きているに違いなく、そうした脆弱性を糊塗するためにも、外部に向かって威張りちらす、居丈高に横暴に振る舞って国内矛盾をすり替えているように思えてならない。

以上「宮崎正弘の国際情勢解題」より

続いて「頂門の一針 6906号」より転載します。

【保守政党の目指すべきことは】  <正論>施光恒

グローバル化に惑わされ

最近、「保守政党がすべきことは何か」とよく尋ねられる。背景にあるのは自民党支持率の低落ぶりだろう。政治資金の問題もあろうが、自民党が「保守らしさ」を失ったことも大きい。

自民党政治家の多くは「グローバル化」の美名に惑わされ、経済政策やその他の面で保守すべき大切な物事を見失ったのではないか。先人の大切にしてきた文化や伝統、価値観などを守り、それらをより良きかたちで次世代に継承することに目が向かなくなったのではないか。

1990年代半ば頃から先進各国で進められてきたグローバル化路線は、各国の各種規制を取り払い、国境を越えて資本を動かすことを容易にした。その結果、生活の利便性は増したものの、悪影響も少なくない。

最も懸念すべきは、各国の庶民の声よりも、グローバルな投資家や企業関係者の声のほうが各国政府に届きやすくなったことだ。グローバルな投資家や企業関係者は、自分たちが稼ぎやすい環境を整えなければ、資本を移動させるぞと各国政府に圧力をかけることが可能となった。

彼らは「人件費が下がるような構造改革を実施しなければ、生産拠点を海外に移す」「法人税率を下げなければ、貴国にはもう投資しない」などと各国政府に事実上要求できるようになった。

そのため、グローバル化路線の下では、各国の経済や社会の制度は、グローバルな投資家や企業関係者に有利なかたちに徐々につくり変えられてしまう。各国の文化や伝統、価値観などに配慮することもない。その結果、各国の一般庶民層には不利な社会が出現してしまう。

実際、日本政府も1990年代後半以降、グローバルな投資家や企業に事実上従い、彼らが稼げる環境を整備する構造改革を繰り返してきた。法人税率の引き下げ(その補填(ほてん)としての消費税率の引き上げ)、非正規労働者や外国人労働者を雇用しやすくする規制緩和、株主重視の企業統治改革などである。

日本社会の土台の弱体化

例えば日本の経済社会は、ここ約30年の間に株主中心主義へと変質した。日本の大企業(資本金10億円以上)は、構造改革が始まって間もない平成9年と比べれば、平成30年には株主への配当金を約6・2倍にも増やした。

その一方、従業員給与は減らしている(9年を100とすれば30年は78)。設備投資もほぼ同様に減少(やはり100から97)している(相川清「法人企業統計調査に見る企業業績の実態とリスク」『日本経営倫理学会誌』第27号・令和2年など)。

勤労よりも投資重視という風潮は、国民の価値観にも影響を及ぼす。日本人が大切にしてきた「こつこつ勤勉に働く」という価値は失われつつある。『国民性調査』(統計数理研究所)によれば、昭和63年から平成25年の間に「努力しても報われない」と考える若者は急激に増加した。

伝統や文化、価値観などを次世代に引き継いでいく場は、家庭や地域社会、学校教育である。近年、これらの土台も揺らいでいる。家庭に関しては、少子化問題が非常に深刻だ。少子化にはさまざまな理由があるが、最も危惧すべきは若い世代の経済状況の悪化だ。家庭をつくり、余裕をもって子育てを行うのが今は難しい。

最近の報道では20代正社員の4分の1が将来子供を持つことに消極的だった。主な理由は「お金が足りない」「増税・物価高の中、自分のことで精いっぱいで育てる責任が持てない」などの経済的不安だった(マイナビ意識調査・5月20日)。

地域社会も、過疎化やシャッター街化が進行し壊滅状態だ。平成2年と令和元年を比べると、全国の小学校の数は20%以上減少した(学校基本調査)。小学校の「校区」は地域社会の最小単位だと言える。地域の祭りや行事は校区単位で組織される場合が多い。小学校の減少は、それだけ地域社会が希薄化したことを意味する。

日本の伝統や文化、価値観

自民党の役割は、やはり日本の伝統や文化、価値観を大切にしたいと願う普通の日本人の受け皿になることであろう。

欧米の保守派には、グローバル化推進策を改め、自国の庶民の生活の安定化を目指そうとする勢力が少なくない。米国保守派の若手論客であるオレン・キャス氏は、経済政策の中心的目標を、グローバル化路線から大幅転換し、「人々が自分の家庭や地域社会をしっかり支えていくことを可能にする労働市場をつくり出し、維持すること」にすべきだと主張する。日本の保守派は、諸外国のこうした保守勢力と連携を深めるべきであろう。

国際社会に対して、現行のグローバル化路線を改め、各国で各々(おのおの)の文化や伝統を守り、庶民の生活を第一に考えることのできる国際経済秩序を共に模索しようと呼びかけるべきではないか。(せ てるひさ)